蟹の目の里ブログ

蟹の目山、陶石山、大日山の登山口の蟹の目の里の紹介
旅、映画、本の紹介、四季の花、小屋づくりの経過などを発信します。

大日山に案内看板を取り付けに

2022年09月19日 12時35分58秒 | 蟹の目の里
令和4年9月18日  晴れ

 先月の大雨で真砂への道路は大穴が幾つもあき2キロ手前からあるきだす。








登山口まで2,8キロ、ここから大日山頂までは4,3キロあります。登山口に4,3キロの標識を下げ

山頂までの五分割の標識を下げながら、大日小屋へ








 時折強い風が吹いたり、無風になったり、空は曇り空、勝山、大野の町並みがきれいです。

カタコが原は笹の海、風に揺れて泳ぎながら歩く。










山頂には越前兜から、大杉からの方が数人ランチ中

ここまでIさんがガンバリ、背負ってきた標柱を分岐に立てる。

ツルハシでは深さが30cmくらい、必要な石ころも2個しかなく、充分な強度があるとは言えず

次回に補強することにして、今日のミッションは終了((笑) Iさん有難うございました。








真砂てまえの道路は結構大工事になりそうなので長期の通行止めになりそうです。
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ママチャリで奥山中温泉周回

2022年09月11日 16時38分52秒 | 蟹の目の里

令和4年9月11日 晴れ 

先週のママチャリ塩屋往復が筋肉痛もほとんどなく、楽しい思い出となったので

今日は故郷の市谷(蟹の目の里)を目指し出発、病院の坂は押して登り、後は快適に

ノロノロと漕ぎ走る。途中写真を撮ったり、休みを入れたりしながらなんとか市谷着

何と登山の車が6台、嬉しい限りです。有難うございます😊

すれ違う自転車は皆ロードバイク、軽そうにすいすいと追い抜いてゆきます(笑)

もう70年近く前に、塩屋から重い自転車に木箱に入った魚を何段も積み重ねて

売りに来ていた魚屋がいたが、舗装のされていない道をどれだけの時間をかけて

市谷まで売りに来ていたこと思うと昔の人の苦労がしのばれます。

杉水は喫茶店のマグノリ祭りで大賑わいです。駐車場はもち論、道路も駐車の車で

満杯、100台以上と思います。人では300~400人、密状態、

SNSでこんなに山奥の店に集客できるとは驚きでした。

 

 

県民の森からは標高407mの立杉峠までは自転車を押して登ります。

ここからはブレーキが悲鳴を上げるほどの下りが続き、気を抜けません。

後は塔尾経由で四十九院トンネルを抜け図書館でリクエストの本を受け取り

自宅へ、ちょうど40キロくらい距離、常にライトのあかりのつくママチャリ

なので、普通以上に脚力が試され、いい運動になりました。

次は何処にしようかとたのしみが増えました😊

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ママチャリで自伝車道を塩屋往復30キロ

2022年09月11日 16時10分08秒 | 蟹の目の里

令和4年9月4日 晴れ

四十九院から蟹の目登山の後、時間も早いので、昨年に買ったママチャリで

百万石ホテル後ろからの加賀自転車道を初めてペダルを漕ぐ。

 

大聖寺川沿いの広い専用の道は勾配もなく快適、いつもの工場や店の裏から

の眺めが新鮮で楽しい。

散歩、走る人、たまに自転車の方、ロード自転車はあっという間に走り去る

塩屋河口の両岸にはプレジャーボートが沢山係留され、壮観、、、

もう60年以上前に花火の想い出の瀬越橋(当時は木の橋)を越え塩屋浜

に到着、50年前には毎日のように波の状態を見に通った懐かしい浜です。

当時は夏の浜茶屋も10軒も並び、賑やかでした。沖合には大きなサメがい

ると漁師の方に聞かされたものです。

波は静か、数人の人が浜辺散歩、塩屋の町は昔と変わりません。

帰りの時間が夕暮れ、日没に重なり、大聖寺川から眺める白山連峰の眺めが

とても印象に残りました。山代の旅館のあかりがあちこちに見え、蝉の声と

秋の虫の大合唱がにぎやかに川沿いに響き渡り、慣れない自転車の旅は終了

往復30キロくらいでした😊

 

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深田久弥さんが歩いた100年前の四十九院~市谷への峠道

2022年09月05日 23時05分29秒 | 蟹の目の里

令和4年9月4日 晴れ

町内の草刈りを終えてから四十九院の林道入口に車を止め、終点まで2キロばかり歩く。

最近の杉の伐採跡があり、二又谷をひだりに入る。奥の杉林の手入れ道があり、沢沿いに続いている。

(林道最終地点広場)

炭焼き窯跡

二又分岐、右から登り左へ降りた

微かに残る古道

最後の杉林を越えても、微かに道型が沢近くに延び、これが深田久弥さんが大正時代に歩いた道と思われ

るが、標高630mの峠近くの二つ目の炭焼き窯跡までははっきりとしており、赤符を下げる。

炭焼きは60年前ごろまで行われ、炭の運搬道も市谷から峠を越え四十九院につながる道を使ったと思わ

れ、この微かな道が深田久弥さんが100年前に峠から蟹の目山(当時は三角点設置無)を経て荒谷越え

(深田さんは一谷峠と記述)から下山している。

標高630mの峠、山頂400m手前の登山道にでます。右は市谷への古道があるはず?

明治28年生の古老から60年前に聞いた話では、昔、四十九院の人が提灯を下げてこの峠から村会議員

の応援を頼みに市谷に来たという。

(左から大日山、小大日山、加賀甲)

白山は見えなかった

右は鞍掛山、白いのは小松ドーム、木場潟

左は小倉谷山、右は富士写が岳

帰りの沢は小さな滝が幾つもあり面白い

蟹の目山頂から400mほど手前の低い部分が峠と思われ、次回は市谷までつなぎたい。

帰りはより山頂に近い沢を水の中を歩き,登りの沢に合流する。オロ、アブは案外少ない。

往復4時間余り、昔の人はこんな道は普通だったんだろうか?

 

 

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