ふたばようちえん日記 2 (園長の雑記帳)

このブログでは、幼稚園で子どもたちとかかわる中で、園長が日頃考えていることや大切にしていることを不定期に綴っていきます。

子どもを育てるということ

2015-10-02 08:23:17 | Weblog
 子どもを育てるって、どんなことだろう。このような仕事をしながら社会の様々な人とかかわっていると、そのことについて考えさせられることがよくあります。

 子育てというのは、子どもが生まれてから人生を自分の力で生きていくことができるようになるまでの間、支えていくこと。そして、生きていく力が身につくように助けることだと思います。しかし、必ずしもそれがうまくいく家庭ばかりではないという現実があります。それはなぜかと考えた時、子育て観や人生観といったものが、揺らいでしまっているのではないかと思います。

 日本では古来、「7つまでは神のうち」と言われていました。乳幼児死亡率が高かったということもありますが、7歳までは神さまから預かったものとして大切に育てようということでした。

 現代の社会では、この「預かった」という感覚が希薄になっているのではないかと思います。結果として、多くの親が、自分の子どもは自分が作ったもので、自分にすべての責任と権限があるように感じてしまっているのではないかと思います。

 小さな子どもの受験競争がこれだけ加熱し、燃え尽きたり挫折した結果、不登校になったり鬱になったりするケースが続出するのは、そのためではないかと思います。また逆に、ほったらかしにしたり預けっぱなしにしてしまうのも、根は同じだと思います。親が自分の子どもを思い通りにしようとするのも、ほったらかしにするのも、自分のものだから自分の自由。そんな感覚を多くの人々が無意識に感じてしまっているのではないかと心配になります。

 子どもはすでに、生まれた時から自分の人生を歩み始めています。大人の助けを受けなければ生きていかれないかもしれませんが、その人生はその子のもので、他の誰のものでもありません。そしてそのことは、どんなことよりも尊重されなければならないことだと思います。

 助けを受けなければ生きていかれない存在ですから、親は当然助けようとします。でもついつい、助けるだけでなく、先々までレールを敷こうとしてしまいます。失敗や挫折という人生における貴重な経験をさせないようにしてしまったりもします。しかし、親がそうしてしまった時、子どもは自分の人生を歩んでいません。また、人生を自分で歩む力も身につきません。

 また逆に、何度も転びながら自分の人生を歩み始めた時、それを見守り、励ます人がいなかったら、子どもは前に進むことができなくなってしまうかもしれません。

 レールを敷くのではなく、またほったらかしにするのでもなく、子どもが自分の人生を歩み始めていることを見守り支えていく。このバランス感覚が必要です。

 現在の日本社会は、宗教心を持たない人が多くなっています。そのため、神さまから子どもを預かったという感覚を持つことができません。その分、親自身のバランス感覚が問われることになります。わが子を前にして、どんな時に助け、どんな時に一歩引いて見守るべきか。それを見極めようとするとき、子どもが既に自分の人生を歩み始めていることを謙虚に受けとめたいと思います。

 子どもたちが豊かな人生を歩んでいくことができるように、私たち自身も自分を磨いていきたいですね。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 子どもの自立と大人の自立 | トップ | 表現したい気持ち »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Weblog」カテゴリの最新記事