北陸新幹線開業とともに、広島地区では227系電車の営業運転が始まります。プレス資料によると、「安芸路ライナー」を中心に充当されるそうです。これに伴って、広島の113系、115系及び103系にどのような影響が出るかが気になるところです。
ということで、2014年12月19日(金)~21日(日)にかけて、広島地区の115系電車の現況調査を兼ねて山陽本線の駅巡りをしてきました。往路は京都まで高速バスで行き、「18きっぷ」で和木駅まで進みました。復路は、「18きっぷ」で伊丹空港まで行きJAL2251便で新潟に帰る予定でしたが、最後に大きな落とし穴が待っていました。
それでは出発しましょう。
2014年12月19日(金)。母に新津駅まで送ってもらい、19時59分発の信越本線2241D(キハ47 1511+キハ47 521+キハ47 514+キハ40 586)で新潟駅へ。「北越7号」が車両故障で運休だったのでこれに乗って大正解でした。新潟駅前からはウィーラートラベルのバスで京都駅へ。ヨシトミを3錠飲んだので、草津PAの休憩までよく寝れました。直江津から隣に客が乗ってきました。
京都駅からは6時30分発の東海道線707K(223系V46編成+V6編成)に乗車。六甲の山々を眺めるころに陽が昇りました。
7時46分に須磨駅に到着。快速列車と各駅停車が接続したり、各駅停車が折り返したりする駅で、2面4線の構内を有します。
階段を上がって改札を出ました。窓口は廃されて「みどりの券売機」になっています。トイレは4台の自動改札の奥にあります。
さて、北口に出ました。昭和38年7月築の橋上駅舎です。エレベーターは加古川方に。
3分ほど歩くと、国道2号に出ました。ローソンがあったりセブンイレブンがあったり。
交差点の向こうには可愛らしい木造の建物が。山陽電鉄の須磨駅です。
須磨寺入口に進むと村上帝社が。村上天皇を祀っている神社です。このあたりはもともと前方後円墳があり、琵琶の形に似ていることから、その伝説が謡曲「玄象」で謡われています。
再び改札前を通り、南向きのテラスへ。瀬戸内の大海原と砂浜が広がっていました。須磨海水浴場です!
南口への階段にて。「須磨海水浴場・須磨海浜公園での海水浴期間中の喫煙は過料1000円」「須磨海岸での花火禁止」とのお触書。須磨海水浴場は利用客のマナーが悪いことで有名で、報道されたこともあります。
さて、南口に出ました。ここから見ると、須磨駅は2階建てのコンクリ駅舎だということがわかります。
東側階段近くの店舗。オフシーズンである今は閉店となっています。
最後に、南口近くのハートインにて。リニューアルオープンに向けて閉店中でした。現在、JR西日本はハートイン、CHAOのセブンイレブンへの転換を進めており、この店舗も例外なくセブンイレブンとして今月生まれ変わります。
つづく
参考サイト さいきの駅舎訪問
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今度のダイヤ改正では「北越」「はくたか」とともに「くびき野」も終焉を迎えます。新たに走る名称なしの快速列車は、新潟発の場合、1本目の新井行きが現在の「北越8号」の15分後に、糸魚川行きと2本目の新井行きが現在の「くびき野4号」と「北越10号」の間に立て続けに設定されます。新井行きの快速列車の場合、通学・帰宅時間帯に115系の3両編成で設定されることから、学校のある日は凄まじい混雑が予想されます。詳しくは、ダイヤ改正後に投稿する「これがポストくびき野だ!」でお伝えする予定です。
それでは、2014年11月から現在までの「快速くびき野号」をお伝えします。特記以外は新潟駅での撮影です。
張子は、2014年11月8日の「くびき野1号」。R28編成が充当されました。
お次は、2014年11月22日の「くびき野1号」。これまたR28編成が充当されました。
3つ目は、2014年11月23日の「くびき野1号」。全検明けのT18編成が充当されました。既に幕回しが始まっていましたが。
4つ目は、2014年11月24日の「くびき野1号」。R28編成が充当されました。
2014年11月29日。新津駅からT18編成の「くびき野1号」に乗車してみました。
しばらく時間をおいて「くびき野3号」を。R28編成で運転され、到着番線が4番線に変更となりました。
6つ目は、2014年12月7日の「くびき野1号」。K1編成が充当されました。23分遅れており、到着番線が9番線に変更となりました。
2014年12月19日。越後石山駅にて「くびき野2号」を。K1編成でした。
2014年12月28日。新津駅からR27編成である「くびき野1号」に乗車しました。
2015年1月4日。「くびき野1号」はK1編成でした。
2015年1月16日。「くびき野4号」はK1編成でした。撮影出来る時間は16時50分から16時55分まで。
2015年1月17日。「くびき野1号」はR27編成でした。
2015年1月18日。「くびき野1号」は国鉄色のK1編成でした。
2015年1月31日。「くびき野1号」はR28編成で、13分遅れでやってきました。
2015年2月1日。「くびき野1号」はK1編成でした。残念ながら幕回しが始まっていましたが。
同日の「くびき野2号」。R28編成で出発を待っていました。
2015年2月8日。「くびき野1号」はR28編成でした。
最後に、新津駅にて同日の「くびき野3号」を。2つ目ライトが名物のT18編成でした。
「快速くびき野号」の「いま」は以上です。現在は、K1編成、T18編成、R28編成を中心に時折R27編成が入る陣容になっています。当日「くびき野1号」になったからといって、そのまま「くびき野4号」に入る保証はありません。事実、本日の「くびき野4号」にはK1編成が入り、T18編成は「らくらくトレイン信越」に充当されたと思われます。
2001年12月の運転開始から13年余り、「くびき野」の歴史は間もなく幕を閉じます。「くびき野5号」は誠に都合のいい時間帯に設定されており、大阪方面から帰る際に何度も利用させてもらいました。「北越」とともに「くびき野」も最後まで見守ってやりましょう。
次は、広島の115系電車追っかけ記をお伝えします。
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先日、JR東日本新潟支社からプレリリースがあり、3月21日に新潟から青森まで、翌3月22日に青森から新潟まで「懐かしの青森いなほ号」が運転されることになりました。全車指定席で、近々びゅう商品も発売される予定です。使用する485系は「国鉄色」であり、オートゾックスなK1編成か、2つ目ライトが名物のT18編成か注目されるところです。従って、GWの臨時「いなほ」は全てE653系で運転されるそうです。
それでは、2014年3月、4月分の「485系いなほ号」を御覧下さい。特記以外は新潟駅での撮影です。
張子は、2014年3月2日の「いなほ1号」と221Dの並びから。現在は予備編成であるR26編成で、「キハ112-203」と並びました。
9番線に行き、「いなほ4号」と927Mの並びを。「いなほ4号」はR28編成で、115系N33編成と並びました。
2014年3月4日。東新潟駅にて「いなほ2号」を。R23編成でした。
2014年3月8日。「いなほ1号」はR25編成でした。信越線430M(115系L7編成+N10)と並べました。
9番線に行って「いなほ4号」を。R22編成でした。少し遅れてくれて助かりました。
少し時間をおいて「いなほ3号」を。R28編成で、115系N33編成と並べました。
4番線に行き、「いなほ6号」を。今は亡きT13編成でした。残念ながら「回送」幕。
2014年3月9日。「いなほ1号」はR23編成でした。221Dである「キハ112-202」と並べて。
で、「いなほ4号」は、運用則通りのR28編成でした。
2014年3月22日。「いなほ3号」はR21編成でした。回送の115系N28編成と並べて。
2014年3月23日。「いなほ4号」は運用則通りのR21編成でした。927Mの発車が8番線に変更となり、じっくりと撮影できるようになりました。
2014年4月5日。「いなほ4号」は、今は亡きK2編成でした。
同日の「いなほ12号」。「いなほ4号」が折り返して「いなほ3号」に入ったようで、そのままK2編成が充当されました。
翌4月6日の「いなほ4号」。2日連続のK2編成でしたが、残念ながら「回送」でした。
同日の「いなほ3号」。R22編成が充当されました。回送の115系N27編成と並べて。
2014年4月12日。「いなほ4号」はR27編成でした。
東新潟駅で「いなほ3号」を。R23編成で颯爽と通過していきました。
2014年4月19日。「いなほ4号」はR23編成でした。
同日の「いなほ3号」。R22編成が充当されました。回送の115系N26編成と並べて。
翌2014年4月20日の「いなほ3号」。R21編成が充当されました。回送の115系N28編成と並べて。
2014年4月26日の「いなほ3号」。R28編成が充当されました。回送の115系N20編成と並べて。
ラストは、翌2014年4月27日の「いなほ4号」。順当にR28編成が充当されました。
2014年3月、4月分の「485系いなほ号」は以上です。羽越路がすっかりE653色に染まっている今、こうして「485系いなほ号」をUPしていると懐かしささえこみ上げてきます。今度の「懐かしの青森いなほ号」が正真正銘「485系いなほ号」のラストでしょう。K1編成の最後の花道となるのか。
ところで、R23編成なんですが、1月25日以来運用に入っている様子がありません。ひょっとしたら、近く廃車回送することを前提にしているのではないかも知れません。3月14日以降、485系新潟車の定期運用は新潟と糸魚川の往復になるだけだし…。
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E129系電車は、昨年12月6日の営業運転開始以来、白新線1926Mをはじめ、これまでE127系の担当だった仕業に何本も入っており、存在感を示しつつあります。現在はA1編成からA9編成まで運用に入っており、A10編成も落成されて昨日上沼垂にいるのを確認しています。
さて、115系電車にも動きが出ています。要検で入場していたN24編成はピカピカになって出場しており、一昨日の越後線1544Mの前位に入っていたのが確認されています。
それでは、2014年8月分の新潟の115系電車を御覧下さい。特記以外は新潟駅での撮影です。
張子は、2014年8月3日の信越線436M。湘南色のL9編成が充当されました。
そのまま3番線の先端に行き越後線141Mを。N7編成+N36編成でした。
9番線に行って信越線435Mを。L11編成でした。
しばし待機して信越線438Mを。N19編成+N8編成でした。
再び3番線に行って越後線140Mを。N13編成でした。
6つ目は、2014年8月9日の信越線1723M。N36編成+S8編成でした。
7つ目は、同日の越後線140M。N11編成でした。
8つ目は、同日の越後線149M。S4編成+N2編成でした。
9つ目は、同日の羽越線935M。要検直前のL12編成でした。「クハ115-1024」の塗装が剥げています。
2番線に行って越後線151Mを。L10編成でした。
そして、信越線1742Mを。N33編成に運用変更となり、発車も4番線に変更されました。
2014年8月10日。白新線1630MはN27編成+N26編成でした。「いなほ4号」が30分遅れていたのでこの列車も10分ほど遅れ、到着番線も1番線に変更となりました。
続いて、白新線1632Mを。N17編成+N19編成でした。10分くらい遅れていました。
そして、信越線434Mを。N1編成+N7編成でした。
さらに、越後線136Mを。6月に全検から出たばかりのS10編成でした。
豊栄駅に行き、羽越線934Mを。N3編成+N34編成でした。
新潟駅に戻り、越後線149Mを。S9編成+N4編成でした。
2014年8月17日。信越線435MはL7編成でした。新津駅で撮影。
新潟駅に赴き、越後線140Mを。N31編成でした。
「いなほ82号」の撮影のため豊栄駅に赴き、ついでに羽越線936Mを。湘南色のL9編成でした。
東新潟駅に戻り、白新線655Mを。N36編成+N17編成でした。
2014年8月22日。信越線427MはN15編成+N14編成でした。新津駅で撮影。
2014年8月30日は古津駅5連発。トップバッターの信越線429MはL10編成でした。
続いて、石打からの1721Mを。N10編成でした。
3つ目は、信越線430M。湘南色のL9編成がN25編成を従えていました。
4つ目は、柏崎からの1323M。N3編成+S3編成でした。
北長岡駅での調査が不本意な結果に終わり、信越線440Mを。L5編成でした。
2014年8月31日。長野色のN33編成がN31編成を従えてました。
9番線で信越線1323Mを。5月に全検から出たばかりのN14編成がS12編成を従えてました。
そのまま白新線1630Mを。N22編成+N7編成でした。
最後に亀田駅で信越線433Mを。N21編成+S2編成でした。
大変長くなりましたが、2014年8月分の115系電車は以上です。今度のダイヤ改正でE129系はどこまで進出するのでしょうか。現在のE127系の仕業を全て置き換えるだけではなく、115系の仕業の一部にも進出するでしょうか。これに伴い、115系に廃車が発生するのでしょうか。特に、全検を終えて2年半から4年半経つY編成は怪しいのではないでしょうか。115系の弥彦線色とか0番代のモハ車が組み込まれているL2、L4、L5、L6編成とかは3月13日までに撮影された方が賢明です。
次は、485系関連の記事を2つほどお伝えします。
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鶯巣駅から527Mに乗車。平岡駅で停車時間があったので例によって喜久水購入といきたいところでしたが、「青空フリーパス」ではないのでこのまま車内にとどまるのみ。
16時54分に温田駅に到着。交換可能駅で、島式ホーム1面2線の構内です。
構内踏切を渡って駅舎撮影。昭和30年12月築の、木造の平屋の駅舎です。トイレは辰野方の離れた所にあります。
一旦駅舎の中へ。駅事務室だった部分は「高島屋」という個人商店になっています。営業時間は18:00まで(土曜は17:00まで)で、定休日である日祭日は完全無人駅となります。
「高島屋」に対面して大きな待合スペース。阿南高校の生徒が利用するとのことで、3辺のベンチに木造のベンチが1つ追加されています。
それでは天竜川に向かって周辺散策。駅前は小さな商店街です。
南宮大橋に入ろうとすると大きな建物が。阿南警察署です。阿南町ではなく泰阜村での立地なので不思議な感じです。
立派な吊り橋である南宮大橋を渡って阿南町へ。天竜川越しに562Mを苦虫を噛みしめながら見送りました。
南宮大橋を渡り切ると、長野県立阿南病院に到着。ちょうど耐震化工事中でした。
阿南病院に隣接している薬局。全日食チェーンが入っており酒類まで販売されているのが面白い所です。
再び天竜川を渡って南雲神社に行き、旅の安全を祈願してきました。鳥居と吊り橋の絶妙なコラボレーション。
折角なので南雲神社の脇から天竜川を。「飯田線全駅下車への道・第8回」の後半は「天竜川」がキーワードでした。飯田線の大嵐以北はほぼ天竜川に沿ってますが、中でも大嵐の天竜川、為栗の天竜川、宮木の天竜川が印象に残りました。
暗くなってくると再び雨が降り出しました。17時54分発の531M(213系H9編成)に乗車し、天竜川を眺めながらバランスアップなどで夕食。天竜峡駅到着後、遺失物引取手続きして傘を取り返し、243M(213系H7編成)に乗り継いで飯田駅へ。
飯田駅前から19時34分発の中央道高速バス(名古屋200か11-28)で名鉄バスターミナルへ。喜久水酒造を見ると、喜久水カップで一杯やりました。
乗り継ぎ時間を利用して名古屋駅に行ってみると、東海道本線は台風の影響が無いかのように平常運転そのもの。しばし待った後、22時40分発のバス(名古屋200か14-68)で一夜を過ごしました。
新潟駅前に降り立つと、台風18号が牙をむいており凄まじい風。6時5分発の信越線422M(115系L8編成)にて新津に帰還しました。
「飯田線全駅下車への道・第8回」は以上です。今回は南信地方の10駅を巡ってきました。駅間徒歩が厳しい地帯が4駅も含まれ、中でも田本駅は衝撃でした。天竜峡駅に自動券売機がないのは驚きでした。
さて、「飯田線全駅下車への道」の第9回以降ですが、2013年の乗り継ぎ旅のUPが全部終わっていないので、北陸新幹線開業後のUPになる見通しです。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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14時4分に唐笠駅に到着。周辺散策を終え、蒸し暑い待合室で20分ほどだらだらと。
そろそろ出発の時間となりました。15時20分発の554M(313系R104編成)に乗車。鶯巣までは320円也。飯田方面に行こうとして乗り間違えたカップルも。
15時49分に鶯巣駅に到着。片面ホーム1面のみの構内です。
それでは駅舎撮影。昭和11年12月築の待合所です。鶯巣は「うぐす」と読みます。難読駅名の代表格です。
待合所の中へ。木製のベンチが一列になっていますが、本棚も備え付けられています。
時刻表を。上り8本、下り9本です。鶯巣での滞在時間は34分。
雨がぽつぽつと当たってきましたが周辺散策。駅前は急坂になっており、何軒か家々が固まっています。
しばらく坂を下っていくと、茶畑のある民家がありました。静岡県に近いことを感じさせる風景です。
国道418号まで下ると鶯巣バス停が。「梅の里ふれあい会館」と隣接してました。トイレも隣接していますが、鶯巣駅でトイレといえばこれしかないのです!
10分ほど歩くと天竜川橋に到着。このあたりは流れが速いです。
右岸に辿り着いたところで引き返します。唐笠駅周辺は泰阜ダムでしたが、下流側には佐久間ダムがあるのです。
鶯巣駅に戻る道すがら、一匹の猫ちゃんに出会いました。
鶯巣駅に戻りました。ふとホームから斜面を眺めていると、一面の茶畑になってました。
そろそろ出発の時間となりました。16時27分発の527M(213系H8編成)に乗車して飯田方面へ。
つづく
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