福岡事件再審運動キャンペーン「私はわらじがぬがれない」

開始から55周年を迎える「福岡事件」再審請求運動
毎年各地でおこなわれるキャンペーンのためのブログです

6月19日 専修大学シンポジウム

2011-06-26 20:57:42 | 日記
関東学院大学の学生さんから,
   先の専修大学シンポジウムのリポートをいただきましたのでご紹介します.


    
私が福岡事件の専修大学での集会に参加させていただいて、
けして多くとは言えないかもしれませんが、
様々な思いを持った人と交流することができたという体験が
こういったキャンペーンにほとんど参加したことのない私にとっては新鮮でした。

そしてまた、考えさせられる要素のひとつでもありました。
国家の引き起こした冤罪事件を是正しなければならないという形からの参加者がいれば、
死刑制度はあってはならない、廃止すべきという形からの参加者もいます。

しかし福岡事件という一つの事件に対しての興味関心の入り口は一つでなくても、
活動を支援したい、もっと知りたい、という気持ちは参加者全員に共通していて、
だからこそ今回の集会への参加に繋がったのだと思います。
そして、今回の活動を通じて福岡事件の複雑さ、
深さの一部に触れることができたことは私自身の経験としてかけがえのないものとなりました。

今後をつうじてもっと福岡事件に関わりたい、支援したい、そう思える一日でした。

関東学院大学 秋山

6月19日 専修大学シンポジウム

2011-06-25 23:58:23 | 日記
いつも皆様にリポートを書いていただいて,ありがとうございます.
   遅くなってしまいましたが,今回は私も書きます.

  

 静岡の山下くんは「飲み会」に出会って楽しいと感じたというが、
しかし「楽しい飲み会」は「静岡=一地域」だけではないだろう。
支援者のある一人はシンポジウム後に「俺はアフターファイブの男だから」と言い放った。
シンポジウムもその「内容」も飲み会の前置きであったとしか思われない。
そして、そのような「むちゃくちゃ」を是正しない東京の会もまた「楽しい」のではなかろうか。
私たちこそ「アフターファイブの人間」であることを思い出さなければいけない。

 無論思い出されるべきは飲んだ酒の銘柄というような、瑣末なことではない。
「家庭でのなごやかな誕生祝宴のことなど」で言い表されるような具体的な人間の繋がりである。
そのことに思いをはせなければ「飲み会は楽しかった」と呟いてみたところで、
その言葉自体は吹けば飛ぶような重量しかもちえないだろう。

 「シンポジウム(重さ)」をとるか「飲み会(軽さ)」をとるかという短絡的な二者択一でないだろう。
また、単純にどちらかのみ出席し、東京の会を知るというものでもないだろう(簡単にできるものでもなし)。
しかし、自分たちが手に入れ、または手に入れようとしているものを見直す必要はあるだろう。
そして、おそらくそのような見直しを通じてしか、山下君が楽しんだと言ったところの「人間」を
他ならぬ私たちが思い出すことはできないだろうし、飲み会の環は広がらないだろう、と思う。

 今回の飲み会では、新しく「ルーテル学院大学の学生さん」と「東京家政大学OG」等々のご参加があった。
「飲み会の新規参加者」はその人の意思に関係なく楽しまなければならない。
また、長きに渡ってシンポジウムと飲み会を両立させ続けた方々はそれだけで素晴らしい。
しかし、繰り返しになるが、飲み会参加者も「人間」であり、古くからの支援者も「超人」ではない。
お二人のご参加は、とかく「固定化」してしまうわれわれに新たな喜びを与えてくれたのではないだろうか。
飲み会参加者から「よかった」という声が多かったのは、
飲み会が新たな「段階」に進んだとしてうけとめられたからではなかったろうか。

 集会の直接的な感想にはなっていないかもしれないが、集会の準備などを手伝いながら、
また集会に参加しながら、自分なりに「美酒」を噛みしめようと、
拙いながら以上のようなことを考えたので、リポートの代わりとして報告する次第である。


6月19日 専修大学シンポジウム

2011-06-23 20:21:26 | 日記
長らくお待たせしました.
   先日19日の専修大学シンポジウムのリポートをいただきましたので,ご紹介します.

                 
①シュバイツァー寺による西さん法要  ②西さんの獄中日記紹介    ③古川美智子さんの再審運動日記の紹介
                 
④エジディオ共同体の方からのコメント ⑤専修大学矢澤先生から『真相究明書』贈呈


「愛ちゃんに思いがけない誕生祝の電報をいただき、思わず号泣してしまった。
 私にも愛ちゃんと同じ年頃の娘がいるだけに、娘からもらったような錯覚におちいってしまった。
 といっても、もう妻子と音信も途絶えて十数年になる。複雑な気持ちで泣いてしまった。
 しかし、それより何よりも、私を信じてくれる人間はもうこの世にはただの一人もいないと思っていた。
 だから私の誕生を祝福してくれる人など考えてみようもなかった。それだのに愛ちゃんから祝電をもらって、
 私の誕生を祝ってくださる方もあったのかと思ったら、泣けて泣けて仕方がなかった。
 ふり返ってみると、私自身、自分の誕生日など思い出すのもいまいましく、忘れていた。
 生まれてきたことを恨みに思っている者に、それも獄中の死刑囚に、何が誕生日だ。
 誕生日など思いださせないでくれといいたいのが私だったはずなのに、愛ちゃんの祝電には泣いてしまった。
 私は忘れていた人間のぬくもりが体内に甦ってくるのを覚えた。
 と同時に、忘れていた家庭でのなごやかな誕生祝宴のことなども思いだした。
 愛ちゃんのおかげで忘れていた人間を思い出したよ。本当にありがとう。」
(古川泰龍 著『叫びだし 寒満月の 割れるほど』法蔵館、1991年、117-118頁)

「無実の死刑囚」とは抽象的な「人間」ではない。
そして「死刑囚の苦悩」もまた抽象的な「苦悩」などでは断じてない。
少々長い引用は、そのことを自分たちの胸に刻みつけたいがためだ。
また「50年の雪冤運動」も同様に抽象的な「年月」でもなければ「苦労」でもない。
同じく、『寒満月』の一節から。

「ここ数年、わが家は盆も正月もない素寒貧の生活だった。
 二人の死刑囚の冤罪に気づいた私は、家族のことも忘れて救出運動に没頭した。
 家計を投げ出したわが家は、その日から生活に困った。
 しかし私には、風前の灯同然の二人の死刑囚の生命とはかえられなかった。
 家内は金を借りて歩いた。長女の愛子は年頃だというのに外出着もない。
 小学校の子供たちも粗末な服装で学校に通った。もちろん服装ばかりではない、食事をはじめ万事が最低だった。
 私は好きなビールものめず、水をビールと観念してのんだ。焼酎がのめるときはいいほうだった。」
(同上、133頁)

 西さんは「忘れていた人間」を思い出して泣けたというが、
しかし「人間を忘れている」のは「西さん=死刑囚」だけではないだろう。
福岡地裁の裁判官は判決言い渡し後に「真実は神のみぞ知る」と言い放った。
証拠も「人間」も不在の裁判であったとしか思われない。
そして、そのような「むちゃくちゃ」を是正できない社会もまた「人間」不在なのではなかろうか。
私たちこそ「忘れていた人間」を思い出さなければいけない。

 無論思い出されるべきは「ヒューマニティ」や、「抽象的」な人間性ではない。
「家庭でのなごやかな誕生祝宴のことなど」で言い表されるような具体的な人間の繋がりである。
そのことに思いをはせなければ「一人の生命は全地球より重い」と呟いてみたところで、
その言葉自体は吹けば飛ぶような重量しかもちえないだろう。

 また、「家庭でのなごやかな誕生祝宴など」を「家庭でのなごやかな正月祝宴など」と置き換えると、
古川家が背負ってきた重みを少しは想像できたことになるだろうか。
しかし、「重量」というと苦痛だけを想像しそうだが、それは一方で人間的な「充実」でもあるだろう。
それは美智子さんが自身の人生について「よかこと(よいこと)ばっかりだった」
と述懐していることからもうかがえる。

 「充実(重さ)」をとるか「安楽(軽さ)」をとるかという短絡的な二者択一でないだろう。
また、単純に古川家を見習い、古川家に右ならえというものでもないだろう(簡単にできるものでもなし)。
しかし、自分たちが手に入れ、または手に入れようとしているものを見直す必要はあるだろう。
そして、おそらくそのような見直しを通じてしか、西さんが忘れていたところの「人間」を
他ならぬ私たちが思い出すことはできないだろうし、福岡事件は広がらないだろう、と思う。

今回のキャンペーンでは、新しく「西さん日記」と「美智子さんの日記」の朗読があった。
「無実の死刑囚」はその人の人柄に関係なく救われなければならない。
また、50年の長きに渡って雪冤活動を続けた古川家はそれだけで素晴らしい。
しかし、繰り返しになるが、無実の死刑囚も「人間」であり、古川家も「超人一家」ではない。
お二人の「日記」の朗読は、とかく「抽象化」して受け止めてしまうわれわれに
その具体的な苦しみや喜びを想起させてくれたのではないだろうか。
集会参加者から「よかった」という声が多かったのは、
福岡事件が「具体的な」事件としてうけとめられたからではなかったろうか。


最後に今回のキャンペーンで朗読された、西さんの日記の一部を紹介して終わりにしたいと思う。


「昭和40年(1965年) 5月14日

 吾が故郷の遠きこと千里の感がしてならない。否、万里も億里も離れている。
 牡丹の散った一片を見るにつけ思いは果てしなく深くかなしいのである。
 その悲しみをお佛堂に行って、佛の前にぬかずいて、否、ひれ伏して念じたのである。
 宿業ですからと、簡単な言葉ではないのだろうけど、
 そう言われるたびに悲しみのこみ上げて来てならない。
 そういう本人が無実で死刑にうたれていたら、親身な者たちからも、見離されていたら、どういう思いがするだろうか。
 思うまい思うまいと思えど、人間であることの悲しさよと、お念佛申すばかりである。

 今日はバラを頂いたので皆さんと共に恩徳賛を合唱して花の心に合唱させてもらった。
 バラは只黙しているだけである。何かをさとしているかのようである。
 そう沈黙の抗議、無実は沈黙の抗議あるのみであろう。
 それもお念佛の中からの黙しているものであるというに意義がある。」


 集会の直接的な感想にはなっていないかもしれないが、集会の準備などを手伝いながら、
また集会に参加しながら、自分なりに「50周年」という言葉を噛みしめようと、
拙いながら以上のようなことを考えたので、リポートの代わりとして報告する次第である。

鈴木

6月17日 玉名シュバイツァー寺 西武雄さん法要

2011-06-23 19:55:33 | 日記
また相前後してしまいますが,ビラ配りと同日の17日,
   シュバイツァー寺でとりおこなわれた西さんの法要についてリポートをいただきましたので,ご紹介します.


皆さんこんにちは。久留米大学法学部法律学科の大塚峻也です。
去る6月17日は福岡事件の西武雄さんの命日でありました。

熊本県玉名のシュバイツァー寺で法要が営まれました。
この福岡事件の再審請求の問題点や、再審の歴史などを神戸学院大学の内田教授からご説明していただきました。

その後、西さんの日記を朗読しました。
九州ルーテル学院大学の西川さんと私で行いました。(私はいまだに棒読みしかできませんが…)

金曜日の夜という忙しい時間、天候もあまり芳しくない時間からお越しいただいた皆様、どうもありがとうございました。

6月19日 専修大学シンポジウム

2011-06-20 19:47:41 | 日記
  

昨日の東京・専修大学シンポジウムは,50名近くの方にご参加いただき,ありがとうございました.
シンポジウム後の飲み会には,そのうち30人という皆様の出席率の良さに驚きましたが,
非常に楽しい時間を共有できました.

残念ながら,私の撮影した写真は,飲み会のものしかないため,
シンポジウム内容の写真やリポートは,しばしお待ちください.


西日本新聞記事(福岡)

2011-06-18 16:27:08 | 記事など
西日本新聞に,久留米大学学生達による,西さんの獄中日記デジタル化の記事が掲載されました.
明日の専修大学,そして明後日のフェリス女学院では,この日記の一部公開を予定しております.
こぞってのご参加,お待ちしています.

元死刑囚の獄中日記出版へ 「福岡事件」 デジタル化作業 久留米大生たちが進める/福岡
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/247516


6月15日 東北大学構内勉強会

2011-06-16 19:03:46 | 日記
今回は,写真のみのアップ.
   東北大学の模擬裁判実行員会の皆様との勉強会の様子です.
   古川さんがいらっしゃらないことから,福岡事件の映像を皆で観ているところなのかもしれませんね.
   裁判劇実行委員会の皆さんは,今年「死刑」問題を扱うとのことです.
   模擬裁判劇に,この福岡事件勉強会の経験がいかに生かされるのか,今から非常に楽しみです.  



東北大学模擬裁判実行委員会HP⇒http://www.geocities.jp/tohokumogisai_web/mogimogi3index.html