福岡事件再審運動キャンペーン「私はわらじがぬがれない」

開始から55周年を迎える「福岡事件」再審請求運動
毎年各地でおこなわれるキャンペーンのためのブログです

5月28日・29日 静岡ボランティア協会

2011-06-01 12:35:47 | 日記
今日も静岡の学生さんから,リポートをいただきましたのでご紹介します.
   非常に丁寧に書いていただき,ありがとうございます!!


福岡事件に関わってたった二日しか経っていない。
だけど楽しい。
早起きの苦手な僕が夜の4時に寝て7時に起きたのだ。それだけ福岡事件には魅力がある。
いや、福岡事件だけではなく、それに係わっているメンバーも魅力がある。

運動をやられている古川さん、法学の先生方の宮本先生、桜庭先生が本当に楽しい。
僕は最初、この福岡事件に携わる態勢として、真面目で、勉強が好きで…みたいなイメージがあった。
しかし、古川さん、宮本先生、桜庭先生の「楽しければいいじゃん。最初から福岡事件を難しく考えずにメンバーが楽しいからおいでよ。って誘えばいいじゃん。そうしながら一人でも多くの人に福岡事件について知ってもらえば」という一言に肩の荷が下りた気がした。

この一言を聞くと優しい方々のように聞こえる。だが…
古川さんのイメージは最初からいい人イメージだった。
しかし、宮本先生、桜庭先生は、最初は、特に討論会をしたときなど「恐ろしい」に尽きるイメージの方々だった。
しかし、飲み会などではとても楽しくいい方々で、素晴らしい方々だと思った。これは褒め言葉でもなんでもない。
この方々は「法学」というのに本当に情熱を注がれている方なのだと改めて思った。
飲み会を機に「恐怖の方々」から「尊敬している方々、親しみやすい方々」に変わった。
これは勝手に思っているだけなのだが。
書きたいことはまだまだ沢山あるが、伝えたいことはたった一つ「福岡事件は本当に楽しく活動ができる」である。
遊ぶこともでき、勉強することもできる一石二鳥の場所である。
初日の話はこんなところにしておき、本日5月29日(二日目)の話をしたいと思う。

本日初めて新聞社の力を知った。
なんと、静岡新聞の記事を読んで、静岡のシンポジウムに来てくれたのだ。
新聞を読んで、来てくれるなど夢にも思わなかった。
静岡新聞に書かれていた記事も、中日新聞に書かれていた記事も両方とも今回は小さな記事だったのだ。
見ている人は、大きさに関係なく見てくれるのだ。と改めて知った。
高校1年生の3人組も来てくれた。
少なからず古川さんの喜びがわかった気がした。

すごく眠いなか8時30分に来て、支度をしてお客さんを待った。
ボランティア関係者を除きたった4人ほどしかきてもらえなかったが、その4人が宝のように思えた。
こんな感情は生まれて初めてだ。
二日目は討論会などはなかったのだが、パネルやDVDなどを流した。
僕は朝からいたのでたくさんのDVDを見ることができた。

福岡事件は冤罪だ。
僕はこの活動に誘われ、調べたとき、「福岡事件は冤罪」というのがイマイチよく分らなかった。
真犯人がいないからだ。
そう、真犯人がいなくても「冤罪」なのだ。
法治国家の日本は「刑罰の重さ」によっても冤罪は生まれる。
日本国内沢山の冤罪がある。冤罪は今も作られているのだ。
冤罪を作っているのは誰なのであろう。許しているのは誰なのだろう。
今まで、冤罪は他人事だった。悪く言えば興味がなかった。

「叫びたし 寒満月の 割れるほど」
この句を残して亡くなられた西さんはどれほど無念だったのだろうか。どれほど孤独だっただろうか。
当時日本の人口は8320万ほど。
8320万もの人が福岡事件と向き合うことができたのなら、西さんは処刑されずに冤罪だということが証明されたかもしれない。
「興味がない」の一言で西さんは処刑されてしまったのかもしれない。
このことから冤罪を作っている、または許しているのは僕なのだ。
あなたなのだ。社会に生きている全ての人なのだ。

「興味がない」の一言で冤罪を作ってはならない。許してはならない。
このことを肝に命じながら生きていかなければいけないと思った。
今日本の人口1億2797万人。
1億2797万の方々全ての人に興味を持ってほしい。
「興味がない」の一言で亡くなる命がないように、その一言で冤罪が生まれないように、静岡でも盛り上げていきたい。

自分の中の狭い世界がどんどん広がっていくような気がした。
「井の中の蛙、大海を知らず」
福岡事件に出会うまでの僕は本当にそんな感じだった。
これから僕の人生が、この事件に出会ったことでどう変化していくのかを楽しみに見守ってもらいたい。
 
山下洸棋