福岡事件再審運動キャンペーン「私はわらじがぬがれない」

開始から55周年を迎える「福岡事件」再審請求運動
毎年各地でおこなわれるキャンペーンのためのブログです

勉強会のお知らせ(東京)

2011-07-17 19:23:15 | 日記
 それにしても暑い日が続きますね。皆さん連日の「熱波」いかがお過ごしですか?
――「首巻クーラー」?(いいですねー!)、――「プール通い?」(最高ですねー!!)、
しかし「夏」といったら、やっぱり「怪談」ですよね!?

というわけで、背筋が凍りつくこと間違いなし、現代の「怪談」たる
「冤罪」のテレビ番組のご紹介をいたします(ブラックなジョークですみません)

詳しい番組紹介は(全然詳しくないけれど)、下記URLを参照していただきたいのですが、
舞台はアメリカ、そして「自白」の問題にスポットを当てたドキュメンタリー番組のようです。

「自白」問題は、(物証のない)福岡事件では中心課題ですので、
皆様も是非ご覧いただき、感想等を交換できたらと思っています。

なお、7月の最後の方には、勉強会も企画していますので、
そちらの方も、リポートしたいと思います。

鈴木


『無実の自白 ~えん罪はなぜ起きたのか~』(チャンネル:BS1)
前篇(2011年7月18日 月曜深夜[火曜午前 0:00~0:50] )
後編(2011年7月19日 火曜深夜[水曜午前 0:00~0:50] )
URL
http://www.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/110718.html
http://pid.nhk.or.jp/pid04/ProgramIntro/Show.do?pkey=001-20110718-11-33477

6月15日 東北大学勉強会

2011-07-10 13:03:32 | 日記
東北大学模擬裁判実行委員会の方から,過日おこなわれた勉強会のリポートをいただきました.
   律義に,そして勉強なさったことも併せ丁寧に書いてくださって,ありがとうございます.
   裁判劇の成功をお祈りしております.

こんにちは。東北大学法学部の太田と申します。
私は東北大学法学部模擬裁判実行委員会の委員長を務めております。
今年の当委員会のテーマが「死刑」ということで、
古川様から連絡をいただき、福岡事件についてのお話を聞く貴重な機会を得ることができました。

死刑と冤罪は死刑問題を考えるならば切っても切り離すことができない関係にあると思われます。
死刑冤罪の事件が起こらなければそれに越したことはないのですが、
ご存じの通り実際に戦後には日本において死刑冤罪が確定しているものがいくつかあります。
今回、古川様からお話しを聞いて、初めて福岡事件のことを知りました。
正直、死刑について勉強をしている身でありながら、
この福岡事件について知らなかったことは勉強不足であり、恥ずべきことでした。
しかし、改めて考えると、福岡事件があまり知られていないということ自体に問題があるのではと思います。

福岡事件の経緯を聞く限りでは、もっと周知されるべき事件です。
法律に直接携わってはいない古川様や古川様のご家族が、この事件についてのキャンペーンを行い、
法律に直接携わっている実務家の方々があまり福岡事件には目を向けてはいないのではと思います。
戦後初めての死刑判決が冤罪であったなら、それは日本の刑事司法を見直さなくてはならず、
現在、日本で死刑に限らず冤罪が生まれている以上、もっと福岡事件に目を向けるべきではと率直に思います。

また、日本では死刑存置の主な理由が「国民感情」に求められております。
裁判員裁判が導入され、死刑について国民も考えなくてはならない国民と死刑が身近な時代になりました。
そんな現在の刑事司法があるにも関わらず、国民は死刑について知らなすぎではと思います。
一応死刑について勉強している身ですから、現在の死刑が抱える問題を一つだけ紹介させてください。
日本国憲法にはこんな規定があります。「憲法36条 公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。」
拷問及び残虐刑の禁止の条文です。残虐な刑罰は絶対に禁止されています。
それでは刑法を見てみます。刑法9条及び同法11条には死刑という刑罰が定められています。
ここで刑法9条及び同法11条は憲法36条に違反するのでは?ということが考えられます。
つまり死刑は残虐な刑罰であるからそれを定めている刑法9条とかは違憲ではないか、ということです。
絞首、首つりによる「死」を求められるのですからそのような考えに至ることも自然であると思いますし、実際に私も思いました。 
以上のようなことが実際に争われた判決があります。最高裁昭和23年3月12日大法廷判決です。(裁判所のHPから判決前文が読めると思います。)

さて、この判決を読む前にもう2つほど憲法の条文を紹介したいと思います。
「憲法13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については公共の福祉に反しない限り、
立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」という個人の尊重・幸福追求権・公共の福祉の規定と
「憲法31条 何人も、法律の定める手続きによらなければ、
その生命もしくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」という法定手続きの保障という規定です。
ちなみに、前者は良く耳にする新しい人権と してのプライバシー権や環境権などを根拠づける条文です。 

では、話を最高裁の判決に戻します。
この判決内容を端的に述べますと、憲法13条により、生命に対する国民の権利も公共の福祉に反する場合はく奪でき、
憲法31条により、法律の定める手続きに従えば個人の生命を奪うことも可能であるとして、
死刑そのものが直ちに憲法36条にいう「残虐な刑罰」には該当しないという判決です。
この「直ちに」というところに注目してください。
死刑という刑罰は死刑という理由をもって憲法36条に違反するというわけではなく、
死刑の執行の内容が残虐なら憲法36条に違反するということだと思います。
残虐な死刑の執行方法としてこの判決では「火あぶり、はりつけ、さらし首、釜ゆで」等があげられています。
そして「死刑の執行方法等がその時代と環境において
人道上の見地から一般に残虐性を有するものと認められる場合には、憲法に違反する」とも判決は述べています。
つまり、違憲の可能性も将来に向けてありうるということを述べています。
(ただし、これが死刑そのものが違憲になる可能性があるのか、あくまで執行方法が違憲となるという二つの考えのどちらの話なのかは明らかではありません。)

そして、この判決では判決を下した裁判官の補充意見として次のことが述べられています。
「国家の文化が高度に発達して正義と秩序を基調とする平和的社会が実現し、
公共の福祉のために死刑の威嚇による犯罪の防止を必要と感じない時代に達したならば、
死刑もまた残虐な刑罰として国民感情により否定されるにちがいない。
かかる場合には、憲法31条の解釈もおのずから制限されて、
死刑は残虐な刑罰として憲法に違反するものとして、排除されることもあろう。」
国民が死刑が残虐だと思えば死刑も違憲となる可能性があることを述べています。
以上のように死刑は時代と環境によってまた国民感情によって違憲となりうることがわかりました。

ここで注目してほしいのはこの判決が出された時期です。
これは昭和23年即ち1948年、戦後わずか3年後に出された判決で、この判決は現在も効力を発揮しています。
今から63年も前の判決が現在も効力を持っているわけです。
現在から63年前は絞首による死刑は違憲ではないとされていましたが現在はどうでしょう。
現在の時代や環境、国民感情は絞首による死刑をどのようにとらえているのでしょうか?
昭和23年 の考えを今も用いているというのは少し ばかりおかしいのではないかと思います。
もう一度死刑が残虐な刑罰にあたるかどうかを考え直す必要があるのではないかと私は思います。
このような死刑に関する問題はもっとたくさんあります。
ですが、あまりに私達は死刑について知らなすぎるのではと思います。

もっと死刑について知らなければなりません。
その意味でも福岡事件は非常に重要な事件です。
この事件が死刑だと確定したならば、みなさんはどう思いますか?
もっともっと正面から死刑と向き合わなくてはならないと思います。

これ以上書くとあまりに長いのでここらへんにしておきます。
またこの度はブログの原稿が遅れてしまい、誠に申し訳ございませんでした。
そして、古川様にはこのような貴重な機会を与えてくれたことに深く御礼申し上げます。

太田響

追伸・・・
以前ブログに掲載していただいたHPから移動しました.
東北大学模擬裁判劇実行委員会・新HP⇒http://www.geocities.jp/tohokumogisai_web/

まだまだ続くよ!

2011-07-03 13:55:10 | スケジュール


春のキャンペーンが終わって2週間,未だにレコーダーの文字起しをしています.
作業が遅くてすみません.

さて,春キャンペーンもひとまず終わり,このブログも使命を果たしたと思ったのですが,
各地の皆さまからアンコールをいただき,
秋キャンペーンまで,ゆるゆると勉強会等を継続することに相成りました.
このため,このブログも期間を延長し,その勉強会の予定やリポートを掲載していこうと思っております.

まだまだ,事後処理も終わっていない状態ですので,
勉強会の情報につきましては,しばしお待ちください.