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ふくらく通信

東北人が記す、東北の良さや震災の事、日々のなんだりかんだり。
他所で見る東北の足跡や繋がり、町の今昔や輝きを発信。

女川と新たな町の片鱗:(記録日2013年2月)

2017-09-29 11:57:35 | 東北被災地の歩み:南三陸・石巻

今、女川湾の周辺は、被災した建物の解体が進んで更地が増え、山となっていた町の破片も消えている。

そして、新たな町を思わせる国道計画の高さ表示や、盛土などが所々にあった。

(↓解体済みの場所に盛土・旧七十七銀行・マリンパル跡地辺り)

(↓左端に国道計画高さ表示)

(↓女川湾周辺)

 

かつては、湾に沿ってたくさんの建物が立ち並んでいた。

女川町観光協会が作った小冊子には、かつての町の写真も載っていて、どれほど多くを失ったかが分る。


震災当時のことを見聞きし、現地を巡って歩くと、いろいろな事を再認識する。


どこへ逃げるべきか、迷っているうちに津波に飲まれてしまう。

避難場所の選定も、避難路の整備も、日頃から良く考えて用意しておかねばならない。


津波は、その時の条件や、地形によっても微妙に違う形で現れる。

一律の構造物で防げるものではなく、地域に応じた対策が必要になるのだ。


また、構造物だけではなく、人々の適切な避難意識や行動と合わさって、大切な命が守られることを忘れてはいけない。


少しずつ動きを見せる女川。


女川湾には漁船があり、製氷施設も出来た。


(↓女川湾と漁船)


(↓製氷施設)


でも、あの日から一変した暮らしはいつまで続くだろう。

困惑することも多いだろうに、そこには、出来ることから懸命に一つずつやっていく人々がいる。


現地の人々は、今日も仮の暮らしで辛抱している。

新たな町を作るべく、再び生業も住まいも取り戻すよう願って。


やがて花が咲くように、空き地に公園や店や工場が戻るだろう。

高台に家が作られ、人々が行き交うだろう。


だって、私らは生きているのだから。

きっとまた、町は作られ、ふるさとが生まれるはずだ。



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