先月(2012年7月)に再び福島へ行った折、道の駅で桃を買った。
光センサーで、一定の糖度のものを揃えた美味しい桃だ。
果肉も果汁も多く、実に満足。
もぎたての硬い桃を好む人もいるが、私らはやはり、桃は追熟した柔らかいのがいい。
北東北では、かりりと噛んで音がする果実なら、旨いリンゴがたくさんあるもの。
桃ならば、あのとろけるような柔らかな食感で、果汁たっぷりに甘いのが美味しいと思うのだ。
食卓に新聞紙を敷いて、桃を真ん中に乗せる。
ちなみに、この新聞紙は、なかなか重要な任務を負っている。
たっぷりの果汁は、うっかりすると後々、べたべたと人を机や床にくっつけさせるが、新聞紙作戦でこれを阻止できる。
しかも、食べた後の皮や種は、これに包んで始末でき、見事に美しく片付くのだ。
さてさて、新聞紙の真ん中で、素晴らしい香りを放って桃が鎮座している。
追熟して柔らかい桃は、手で果皮がするりと剥がれ、白く淡い紅のさしたビロードみたいな実が現れる。
これに、丸ごと噛り付いて食むのが、本当に旨い。
「桃だ、桃だぞ」と、体中をちび桃太郎が走って伝達し、頭に灯りがつくがごとく、かぶりついて目を張り、旨い旨いと喜んで食べた。
さらに、到来物もあった。
嬉しいことに、今年はその後も、幾人かの心温かき知人から、立派な桃を頂戴したのだ。
よって、我が家では度々桃を食み、満ち足りた夕餉を得ている。
福島の生産者は、震災後の原発事故による風評被害で、随分と泣かされた。
安全が確認されたにも関わらず、「福島産」というだけで売れなくなったという。
それまでの3分の1ほど、桃の売り上げが減った農園もあったそうだ。
そんな報道を知るたび、胸が痛んだ。
福島の桃は、丹精して作られ、とても良い出来だった。
そうした良さを、正しく認められる世の中でありたい。
一巡り 桃と笑顔の お福分け