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しばらく、通行止めだった仙台市の荒浜。
1年経って、ようやく足を向けた。
かつては、家が立ち並んでいた。海岸を、木々がいっぱいに縁取っていた。(震災前2010年11月撮影)
近くに大きな公園もあったし、熱帯植物のある大温室と、バラ園などを設けた園芸施設もあった。
周辺には、よく手入れされた田畑があって、平野の続く穏やかな地域だった。
冬の田んぼにはハクチョウが来て、
初夏には水と早苗の輝く田んぼにサギが来ていた。
人々は海と山からの風をよみ、田畑を作り、漁をする暮らしがそこにあった。
今(2012年)は、建物の跡だけがある。
砕けた建物のかけらが、まるで堤のように積まれている。
再建する場所があるものの、まだ整地も終わらない場所もあるのが現状。
砕けた町を見るたびに切なくなる。
たくさんたくさん失った。
いっぱいいっぱい人々が涙を流した。
それでも私らは生きている。
動いて、食べて、笑うこともあって、明日へと繋いでいく。
生きるのは大変だ。
辛いことも多いもの。
けれども、小さな喜びも、人と分け合う嬉しさも知る。
今日より明日は良くなる、そういう気持ちになれることが大事だ。
だから、今日も明日も、輝きを探す。
一歩一歩、踏みしめながら。
去年の今頃は、町中の傷を見ながら、花の咲く春を待っていた。
今も、おんなじ。
この頃、ばっけが顔を出しているのを見つけ、嬉しくなる。
一昨日の夜遅くには、窓際で誰かがポテトチップスを食べているみたいな音がして、見れば水気の多い雪が窓に当たっていた。
それでも、春の日差しはふりそそぎ、天人唐草の小さな青い花が笑っている。
もうじき梅が咲くだろう。ひと月後には桜も。
そうしたら、花を見よう。
空を仰ごう。
鮮やかな春が、人にも勢いを分けてくれるはずだから。
仙台駅から南に、広瀬川にかかる宮沢橋を渡ると、丘陵地が見える。
さらに宮沢橋から伸びる通りを行くと、やがて右手に山門も見えてくる。
そこは大年寺だ。
この丘陵の上に行くと、伊達家の墓所があり、その周りは町を望める公園となっている。
また、その一角に空に向かってそびえたつ鉄塔がある。
この鉄塔は、仙台放送の送信塔だ。夜には灯りで照らされる。
震災後、しばし点灯を休んだり、時間を遅らせて点灯時間を短くしたりしていたが、ついに照明を節電用に取り替える工事を行った。
そして、2012年6月末頃、いよいよ新しくなって点灯したのだった。
これが、とても美しい。
回り燈篭のように、灯りが色を変えながら回り、目にした人々を和ませる。
震災で多くの命が失われたが、その御魂を鎮め、町の復興を願って、新たな灯りを点すことになったのだという。
「綺麗だ」と思った時、心は和み、励まされる。
夜空に浮かぶ鉄塔の灯りは、町の人々を見守り、元気付けている。
この鉄塔は、2012年7月1日~16日に名称を公募し、その後『仙台スカイキャンドル』と名がついた。