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ふくらく通信

東北人が記す、東北の良さや震災の事、日々のなんだりかんだり。
他所で見る東北の足跡や繋がり、町の今昔や輝きを発信。

今年の写真帳 4頁目

2018-12-19 10:51:17 | ゆるゆる歩き:町や通り

睦月九日

南部坂から仙台坂へ。

南麻布から麻布十番への道で、東北の先人の足跡を巡る。

 

麻布は起伏に富む。

現在は有栖川宮記念公園となっているが、江戸時代には盛岡南部藩下屋敷だった。

 

公園内は、高低を活かした、よい庭園がある。

 

小川の流れる様は、里山のような風景であった。

 

どうも良い香りがすると思ったら、なんと早くも紅梅が咲いていた。

 

 

公園の入り口は、南部坂の始まり。

 

 

ここから坂道を上っていく。

途中で振り返ると、すごい勾配だ。

 

 

しばし、道なりに行くと、やがて交差点で「仙台坂上」の文字を見る。

 

ここから坂を下っていく。

その坂が仙台坂で、信号機の脇に道標があった。

 

なかなか長い坂道である。

坂の下にも道標。

 

坂の南側には、韓国大使館と住宅が立ち並ぶ。

その辺りが、かつての仙台藩下屋敷で、脇を通る坂道が今でも仙台坂と呼ばれる。

 参考:港区「港区地名の歴史」/有栖川記念公園/道標「南部坂」「仙台坂」/織田木瓜紋会「第4回江戸古地図petit散歩ちょっと織田家レポート」

 


坂を下ったら、麻布十番の商店街へ出てゆるゆる歩いた。

 

大江戸線の麻布十番駅近くに、稲荷神社があった。

 

 

提灯の灯りや、七福神の乗った宝船の石像が目を引く。

 

今ではビルが立ち並ぶ麻布だが、所々に、昔の名残や和風の情緒がある。

東京にある東北ゆかりの地を訪ねて、その情緒を楽しみ、早い春の香りに驚いた日であった。


今年の写真帳 2頁目

2018-12-17 20:25:08 | ゆるゆる歩き:町や通り

正月二日  

 

上中里から駒込を通って巣鴨へ。

正月なので、新年の平安祈願に神社巡り。

 

まずは、上中里駅すぐ傍の神社。

駅の脇の坂道を上るとある。

 

源義家命を御祭神とする平塚神社だ。

ご神徳は勝ち運。

 

奥州の者としては複雑な思いもあるが、奥州征伐をなして陸奥守となった武将の強さには感服。

奥州征伐は、蝦夷の独立を阻むための戦だった。

 

しかし、義家公の行いは結果、奥州藤原氏台頭の礎となり、奥州藤原氏の栄華につながる。

おかげで、奥州は朝廷側と上手に調和しながら、およそ百年の間、独自性のある自治がなされた。

 

 

 

お詣りの後、ふと脇を見れば、のどかな光景。

日向ぼっこのお猫様。

 

ここから、旧古川庭園の脇を通って進む。

しばらくすると幟が出ていて、路地に目をやると鳥居が見えた。

 

 

路地に入って鳥居のほうへ行ってみる。

そこは、妙義神社であった。

お詣りすると、巫女さんが我らにお年玉をくれてびっくり。

たまたまなのか、正月だからか、お餅を振舞ってくれたのだ。

 

ありがたくお餅を頂いていると、目の前を悠々と横切り、手水舎に向かう小さき者あり。

またもや猫ちゃんに出会う。なんとも、ほほえましい光景。

ご近所さんらしいが、時々ここでお水を頂くらしい。

 

 

駒込の妙義神社も、ご神徳が勝ち運だ。

日本武尊が御祭神で、さらに室町時代の武将、太田道灌がここで祈願して戦勝したという。

 

また、この神社には、桜の木がたくさんあった。

それで、綺麗な桜の値付けになったお守りもあったので、頂いた。

 

その後、駒込橋や染井橋を通って巣鴨駅へ。

 

 

 

 

これら橋の下は線路だ。

駒込橋は上に富士山と下に桜の装飾、染井橋は桜の装飾で趣がある。

 

巣鴨駅から電車に乗って帰ってきた。

この日も、穏やかでいい一日だった。


今年の写真帳 1頁目

2018-12-16 17:41:47 | ゆるゆる歩き:町や通り

今年も残すところ、あと2週間ほど。

あちこち出かけた思い出の写真はいっぱいで、整理しているうちに時が流れた。


師走は暮古月ともいう。

「年の終わり頃で過ぎ去る」を示す言葉通り、写真を見て過ぎ去った日々を思い出す。

暦をさかのぼって振り返ろうと、写真帳にして頁をめくってみよう。

 

 

「元日」

 

 

初詣は、その名が好印象なので和楽備神社へ。

和やかで楽しさ備わる地か。

 

もとは、室町期に蕨城をこの地に築いて統治した渋川氏が、守り神として八幡大神を祀ったと伝わっている。


明治44年に、この八幡宮に蕨内方々の社を合祀して改称。

神社名は、蕨の偉人岡田健次郎氏の案をもとに、東宮侍講によって命名されたという。

 

(参考:和楽備神社御由緒)

 

蕨の城主であった渋川氏は、足利将軍家の一族で、奥州の斯波氏と同族である。

古の先人を通して、この地と故郷の縁を知る。

 


お詣りの後は、神社内に並ぶ露店を見回った。

ふと、足を止めて連れ合いが欲しがったのは鮎の塩焼き。

 

神社の露店は縁起物でお賽銭同様、元日から使って良いお金と思って買う。

 

当方のふるさと東北も鮎の産地あり。仙台は広瀬川が鮎釣り場。

政宗公も鮎好きで、よく捕ったという。

(参考:仙台市史通信23)


関東では、鮎といえば栃木の那珂川。

何しろ、鮎の漁獲量が日本一で、那珂川あゆ街道と呼ばれ有名だ。


なんと子持ち鮎だ。

「落とさないように食べて」と、親切な店主が言う。


炭火で芳ばしい鮎を美味しく食べ、ちょいと店主と立ち話。

元日から嬉し楽しであった。

 

さて、神社を出ての帰り道は、宵の口に灯り連なる商店街を通る。

 

足元には、蕨市の象徴が描かれている。

市の木にケヤキというところは多い。

仙台も同じくケヤキだ。とはいえ、共通点を見つけると親しみがわく。

 

空には満月一歩手前のまるい月。

円満な一年を願う。


あの日のまちかど 第5景 塩釜マリンゲート付近

2018-11-29 18:49:31 | ゆるゆる歩き:町や通り

震災の年の今日、塩釜で美しい夕暮れを見た。

 

↑2011年11月29日 しおがまみなと復興市場

 

当時、マリンゲート塩釜の隣に、仮設商店街があった。

 

震災時、津波が襲った塩釜。

海水が乗りあがって来たかと思うと、あれよあれよと押し寄せる。

車や大きなコンテナも流され、ぶつかりながら漂う。


建物の一階は水の中。

庇のすぐ下は、水と漂流物という有様だった。

(参考:塩釜市震災関連情報/動画サイト「塩釜港の津波」)


数か月後、踏ん張り、集まって商いを再開。

その仮設商店街も、2015年には閉鎖し解体。


今ここは駐車場となり、脇には、近隣施設の上階を繋ぐ遊歩道が出来た。

「マリンデッキ塩釜」と名付けられ、津波避難を兼ね備えている。


十数件の仮設商店街の人々は、移転再開したり未定だったり様々。

本当は肩を寄せ合って、揃って再建したかったろうに。


厳しい被災後の暮らしは今も続いている。




あの日のまちかど 第3景 仙台市あすと長町

2018-11-23 14:59:32 | ゆるゆる歩き:町や通り

震災の前年、8年前の今日。

まだ空き地だらけだった再開発地。

↑2010年11月23日のあすと長町

 

震災後、この手前に広がる空き地には、仮設住宅が並んだ。


今では、周辺に大型店が建ち並び、すぐそこに見えたスーパーも隠れて見えない。

仮設住宅は解体され、その区画だけ空き地に戻っている。

 

この日、ここから見える空は、美しい夕焼け。

震災翌朝には、真っ黒な煙が雲となって棚引くのが見えた。


だが、再び空は爽やかな表情に戻り、町を照らす。