8年前の今日、高台から沿岸までを望む。
海岸には、先人が植えて長年引継ぎ育てた松林が見える。
すっかり緑に縁取られていた海辺。
まさか、この翌月に津波で壊れるとは思いもしなかった。
美しい木々の緑と海の青の線。
調整区域として広がる田んぼ。
田んぼに点在する緑と、合間に白く見える家々。
中にはイグネと呼ばれる屋敷林もある。
広々とした穏やかな風景。
その景色は、大年寺の長い段を上った先にあった。
8年前の今日、高台から沿岸までを望む。
海岸には、先人が植えて長年引継ぎ育てた松林が見える。
すっかり緑に縁取られていた海辺。
まさか、この翌月に津波で壊れるとは思いもしなかった。
美しい木々の緑と海の青の線。
調整区域として広がる田んぼ。
田んぼに点在する緑と、合間に白く見える家々。
中にはイグネと呼ばれる屋敷林もある。
広々とした穏やかな風景。
その景色は、大年寺の長い段を上った先にあった。
暦は、冬の終わりと春の始まりの狭間になる「節分」を告げる。
年中行事を振り返ると、祝いと厄払いは一対であるように思う。
節分の行事も、春を迎える祝いと共に、一年の災いを祓う意味が込められているからだ。
もともとは、中国から伝来した風習で、大晦日に疫病の鬼を追い払う「追儺」の儀式だった。
いつしか、節分に追儺が行われるようになり、鬼を祓うのに豆まきするようになったという。
豆まきは、南北朝時代には行われていたらしい。
(参考:国立国会図書館「大豆~粒よりマメ知識 第1章節分と豆まき」)
当時は人々の暮らしに、祈りの力が強く影響する世の中で、病や天変地異などの、様々な災いごとを鎮めるのに行う儀式は、とても大事だったに違いない。
昔の人に習って、日々の暮らしに行事を取り入れるのも、活気が出て良いものだ。
豆まきも、近頃は小分けになった豆が売られているし、落花生を撒くという家も多いだろう。
我が家では、豆を小分けにして包むこともある。撒き易いし、威力を発揮しそうである。
落花生なら、八街産がうまい。
今年買った節分の豆は、紅白の糖衣豆で「善光寺のご祈祷」という物。
大変歴史のある寺で、ありがたみがある。
なにしろ善光寺のご本尊は、百済から寄贈された仏像だと伝わっている。
欽明天皇の時だというので、隣の朝鮮もまだ三韓統一していない昔、わが国は倭国と呼ばれ、聖徳太子となる厩戸皇子が少年の頃という昔だ。
そういえば、東日本大震災の被災地に祈りを込め、陸前高田の「高田松原」の松から地蔵菩薩が彫られており、その入魂供養は2012年に善光寺さんで行ったという。
さて、節分は大寒最後の日で、翌日は立春。
豆まきをして鬼を祓い、清々しく春を迎えたい。
10年前の今日、偶然立ち寄ったのは先人の墓。
寛文事件で生き残った古内志摩。
懸命に回避した伊達家の危機。
表向きの記録とは別に、真相は隠されているかもしれない。
その実情を知りつつ、藩のために騒動の始末に尽力した古内氏。
どれ程心痛し、行く末を案じたろうか。
その先人の努力があって、今がある。
史跡は物語る。
我らに、よりよい生き方を考えよと。
葉月下旬
東京丸の内周辺を歩く。
葉月十五日 東京駅から有楽町
東京駅南口すぐ隣のKITTE。日本郵便の商業施設。
中にある東京大学総合研究博物館が面白かった。
近くにある、三菱一号館は、中庭も美しい。
その後は有楽町駅へ。
ガード下の風景が面白い。
二十九日 皇居周辺
二重橋を眺める。
桜田門をくぐる。
皇居の桜田門を出ると、前が桜田門交差点。
警視庁向いに赤レンガの建築物が見える。
法務省だ。
明治の建築である法務省赤れんが棟は、重要文化財でもある。
中に法務資料展示室があるので、入り口で許可証を受け取り見学した。
こうした史料展示の場が多くて嬉しい。
葉月 夏休みに帰郷
仙台の我が家で寛いだり、出かけたり、実家のある岩手へも行く。
折しも、仙台は七夕まつり。
八日 東松島 野蒜 宮戸
津波で被災してから、地道に復旧と再建に尽力中
野蒜駅は、さらに内陸へ移動し、海を見下ろす位置で営業再開。
葉月 九日から十一日 岩手
盛岡にて、岩手銀行赤レンガ館見学。
新しくできた、「道の駅 平泉」にて。
和からしソフト。
混雑をさけて、お盆のうちに東北を後にした。