goo blog サービス終了のお知らせ 

ふくらく通信

東北人が記す、東北の良さや震災の事、日々のなんだりかんだり。
他所で見る東北の足跡や繋がり、町の今昔や輝きを発信。

2011年3月19日の記録:仙台市太白区長町

2018-01-19 17:56:40 | 東北被災地の歩み:仙台

3月19日 震災生活9日目


この日、震災後初めの買い出し。

これまでずっと、物がない人を優先に、自分はなんとか備蓄でやると決めていた。

だが、1週間経って開く店も増えたので、ついに買い物したのだ。


少し店先に並んだ。

二列に並び、数人ずつ店内に入っていくよう案内される。


品薄なので、一人何品までと制限あり。

牛乳は出荷不足らしい。


この日の昼餉は、スーパーマーケットで買ったおにぎり弁当。

ついにご飯を食べた。お腹いっぱいになった食事は久しぶり。

 

ありがたやありがたや。

 



近所で米も買えた。これで毎日ご飯が炊ける。

この日は、宮城の米が品切れで、入荷したての津軽米を薦められた。


 

さて、町の様子だが、長町駅や鉄道高架橋、懸命な復旧作業と工事が進められている。

 

 

 

長町病院付属クリニックは損傷が激しい。


OKスーパーだった建物は、解体を始めていた。

震災直後には店頭販売をしていたが、その後、建物の危険度判定が赤で解体。

 

震災から1週間ほどで、スーパーマーケットや食品小売店以外にも、飲食店や美容院、花屋さんなども店を開け始めた。

「みんなで頑張ろう」という思いが伝わってくる。



 

仙台の町、動き始める。

明日はもっと良くなる、そう思えた。

みんな、短い言葉で表せないほどに、様々な思いがいっぱいになっているのが分った。

 


町を歩き、たまたま傍にいて声を掛けた方も、お店の方も、
「大変だったでしょう」と話しかけると、笑顔を見せつつ、短い間にたくさんの思いを語ってくれた。

語りきれないほどに。


「お世話様です、ありがとう」といいながら会話してきて、爽やかな気分になる。

 


2011年3月14日の記録:仙台市太白区長町

2018-01-18 20:34:50 | 東北被災地の歩み:仙台

 3月14日 晴れ  長町周辺の商店街などの様子を見に行く。

町には品物を求めて店の前に並ぶ人が大勢いた。

自分は備蓄をやりくりし、1週間は何とかできそう。


余震が続くが、それでも営業できるところから店は営業。

心意気が嬉しい。  

「トイレ使えます 水あります」「充電できます」などの貼り紙をしている店もあった。

                                   

何か自分にできることをと思い、商店の状況を見聞きして回りブログで発信。

買い物の参考にしてもらおうと考えた。 

(14日にはすでに開店していた薬局。手が荒れていた自分に、保湿クリームの試供品をくれた。:写真は3/19撮影)


〔食品販売〕

・長町駅前  : まるげん 青果 (長い列あり)

       :セブンイレブン (長い列あり 今日あるだけ) 

 ・岩銀近く2番街入り口 

        :たきや 餃子・ラーメン食べらる(明日は未定、できたらやる)

  ・笹谷街道:ミニストップ後ろ 川熊さん(味噌醤油、在庫ある限り営業)

       :小学校前 伊藤魚店(あるだけ)

 ・商店街:米工房いわい (あるだけ・明日は未定、できたらやる)

     :スーパーモリヤ (入荷次第営業 長蛇の列あり)

            :100円ローソン (あるだけ・明日未定 長蛇の列あり)

          :新鮮屋アイハラ 青果 (あるだけ)

          :びすた~り 青果 (あるだけ 明日入荷予定だが未定)

            :佐藤魚屋 (あるだけ)

 ・商店街~フラワーどおり

     :えん 簡単な食事あります トイレ使えますの張り紙有り

     :はとや 駄菓子

     :び~わん うどん150円 あるだけ 水道使えますの張り紙有り

 ・たいはっくる~モールへの道沿い

      :OKスーパー 店頭販売 人いっぱい

  *ザ・モール長町は、建物危険で営業できません

 

 〔日用品〕

 ・あすと長町 

       :ヨーク北口 少量を店頭販売 明日以降は未定、できたらやる。生理用品、おむつ、赤ちゃんミルクなど少量有り

 ・たいはっくる~モールへの道沿い

     :松屋薬局 日暮れまで営業 あるだけ    

 ・笹谷街道 長町小学校隣

     :たむら 衣料品 あるだけ、明日以降もできたら営業

 

〔携帯充電〕

 ・長町商店街   :ゲームシーガル

                :信金隣り三河や(水もあり)

                :ヘアサロンkeep(トイレ利用も可)

 〔自販機(飲料)〕

  ・長町商店街:モトライブO

        :地下鉄通路内

〔公衆電話〕

  ・たいはっくる~モールへの道沿い:東北空調前

         

 

米の残量が少ないので、米粉や小麦粉を使ったり、汁でかさ増しして雑炊にしたり、工夫して食べている。

野菜も少ないが、地震直前に買ってあったキャベツと、日持ちのする根菜や冷凍のカボチャなどがあって何とかなる。                

だが、やはり少し空腹だ。                           


巷はガソリン騒動。

ガソリンスタンドでは行列が出来て購入困難。

車からガソリンを抜き取る泥棒まで出たと、話す人もいた。

 


2011年3月13日の記録:仙台市太白区長町

2018-01-15 12:01:13 | 東北被災地の歩み:仙台

3月13日 晴れ 仙台市内は日中暖かく過ごしやすい。


仙台市内の電気復旧は一部だけ。

まだ停電の地区があり、テレビやネットが使えない場所も多いようだ。

我が家は、昨夜の電気の復旧で炊飯器が使える。

ただし、車は燃料が乗り僅か。使えるのは一度きりだろう。

 

夫の実家が気になるので、おにぎりを作って持たせ、お湯とインスタント味噌汁もつけて、最後の燃料で車を出し、夫に様子を見に行かせた。



入ってくる情報は、被害情報が一番早くて多い。

だが、自宅で待機している人も多く、どこでどんな対応をしているか、生活に必要な情報が一番ありがたい。

本日の新聞も、生活情報関連が出ていて助かった。



充電場所も情報交換の場になっているが、張り紙も有効ではないかと思った。


人が集まりやすいのは、大型店やコンビニ、公衆電話。

だから、そうした所や店などに張り紙をして、給水場所、充電場所、病院などの生活関連の情報を提供すると良いのではないかと思った。



幸い被害が少なく、何とか生活している人にとって、備蓄の日用品が不足してきたらどうしたらよいか、被害の大きさを実感するたびに不安が増すだろう。


現地の無事だった人が、協力しあって復興に向かう力は大事。

そのために、こうした不安も少なくしたいものだ。



余震、今も続いているが、それでも世の中は動いている。

「まるげん」は、生鮮食品なので昨日売り切って今日は閉店。

品の入荷搬入が大変らしい。


あすと長町のヨークベニマルは、内部の破損が見える。

今日も閉店しており、望みをかけて来た人が十数名、あきらめて自動販売機のみを利用して帰る姿があった。


長町駅と太子堂駅の間では、地震の時に途中で止まった列車が、そのままそこにある。


2011年3月12日の記録:仙台市太白区長町

2018-01-15 11:28:00 | 東北被災地の歩み:仙台

 2011年3月12日 晴れ


日中、外に出て長町周辺を歩いてみる。

長町駅と太子堂駅の間で、貨物と4両客車の列車が停車。

駅は封鎖状態。

「あすと長町」の大通りを通った時、東の空に黒煙が、雲のようになって長くたなびいているのが見えた。


「たいはっくる」(長町駅前の太白区図書館・会議室・店舗などの複合施設)は、外壁のはがれや歩道の継ぎ目などが破損、少し段差が出来ている。
 

長町南付近も、歩道に起伏が出ていた。

長町付近で唯一、「まるげん」が営業し、青果を買う人の列が出来る。

数少ない公衆電話の前に、並ぶ人の姿もある。


 

新しい地区である「あすと長町」は、水道や道路も特に問題ない模様。

電気も12日の夜7:20頃に復旧した。


都市ガスや水道より、電気の復旧が一番早い。

うちはたまたま断水せず、助かった。



パソコンや携帯電話の充電はできたが、携帯電話はまだ繋がらない。

インターネットは使えた。

だが、節電のため、パソコン利用も短時間にし、使用を控える。




食料備蓄、カセットコンロ、ろくそく役立った。

電池の必要性を痛感。

 

充電池、リモコンなどの電池を集めて使用。

ラジオや懐中電灯と、普段使うリモコンなどと使用電池が同じだと助かる。



歴史的な大地震を、経験してしまったのだとしみじみ思う。


明くる朝 黒煙の雲 忘られぬ:2011年3月12日の記録

2018-01-14 15:50:36 | 東北被災地の歩み:仙台

震災の夜は、あまりよく眠れなかった。

まだ暗い中、玄関からゴトリと音がして新聞が届いたのを知り、びっくりしつつもありがたかった。

そして、朝焼けの空を見て、その明るさがどれほど嬉しかったことか。


その日は、あちこち歩いて、町の様子を見て回った。

あすと長町を通りかかったとき、東の空に大きな黒煙が上がっていたのが見えた。


津波で破壊され、そのせいで大火災も起き、沿岸部の町は大切な物も大切な命も、たくさん失われた。


その黒煙が、まるで雲のようになって東の空にたなびいている。

切なかった。


あの日見た空は、生涯忘れられない。