如月末日
梅にメジロ。
春が来た。
浜離宮恩賜庭園。
喧噪の地だが、見応えのある庭園が多いのが、東京の良いところ。
広々として、気分も爽快で伸びやかになる。
如月末日
梅にメジロ。
春が来た。
浜離宮恩賜庭園。
喧噪の地だが、見応えのある庭園が多いのが、東京の良いところ。
広々として、気分も爽快で伸びやかになる。
如月六日
迎賓館赤坂離宮へ。
何とも素晴らしい、絢爛たる洋館である。
見事な技巧の装飾に、見とれながら各部屋を回る。
我らの見学する3か月前に、トランプ大統領も来たばかり。
なので、この位置にトランプがいたのかと、案内係と話す見学者もいた。
※内部は撮影不可 施設の紹介は、内閣府のhp、迎賓館赤坂離宮を参照してください。
迎賓館赤坂離宮は、創建100年を経た2009年に国宝に指定された。
2016年から、通年一般公開を行っている。
主庭の噴水も国宝。
実に見事な装飾である。大きく、威厳があって美しい。
何とも、別世界のようなひと時であった。
睦月末日
池に薄氷の景色。
新宿御苑で、冬から春への景色を見た。
大温室にも行ってみる。
東京でも雪景色を見られ、故郷の冬を思い出す。
一方で、すでに福寿草や水仙、寒桜、ロウバイが咲いていた。
ミツマタはまだ蕾。
ビロードに包まっているみたいで、温かそうな蕾だ。
東北と違い、東京は一足早く早春の風景。
睦月三十日
御成道の宿場、川口へ。
御成道は、日光へ将軍一行が参拝するため(日光社参)に通る道。
車道の間にある小島のような緑地に、案内板があった。
この奥の道が、赤羽から荒川を渡って通る御成道。
この道の途中に川口宿本陣があったという。
近くに、川口文化財センターがあったので寄り道。
窓口のある2階に上る階段には、災害の啓発になる表示があった。
過去の洪水の水位を示してある。
津波のあった東北から来た身としては、見過ごせない。
川口は鋳物の街である。
江戸の頃には手工業だったが、明治期には軍需品製造を手掛け、大きく発展した。
昭和の終戦後、川口鋳物生産は、日用品に切り替わる。
高度経済成長の終息、オイルショックから不況となり衰退した。
しかし今、再び川口鋳物の技術は見直され、新しい鋳物調理器具が作りだされている。
参考:川口市教育委員会「川口の産業」/川口商工会議所「かわぐちいいもの」/川口鋳物協同組合「鋳物の歴史」
古代から昭和の暮らしまでを、ざっと学んで後にする。
街道に戻って北へ進み、旧田中家住宅へ向かう。
明治の豪商だが、代々田中徳兵衛を襲名し、今も続く。
初代は農家だったが、二代目から麦味噌醸造と材木商を営んだ。
四代目の頃、豪商となった田中家は、立派な洋館を建築。
イギリス積みのレンガ壁が立派。
中の調度品も美しい。
奥は日本建築で、そこから中庭が見える。
見事なもので、池を回遊する庭園となっている。
残雪の中で、紅梅がほころんでいた。
落ち着く良いところであった。
睦月二十四日
伊達政宗公の滞在した江戸の地へ。
江戸で堀の造設や、将軍の話し相手などを務めた政宗公。
徳川幕府の始まりと共に、諸大名の妻子が江戸に住まうこととなった。
政宗公は、当時、外桜田に屋敷地を与えられ、上屋敷とした。
それは、今の日比谷公園内であった。
日比谷通りを後ろに心字池を見れば、池の手前から公園の中の方が屋敷。
そこは今、第一花壇となっているが、その辺り一帯が屋敷だったとみられる。
第一花壇は、広い芝生敷きの土地に点々と植栽があり、周囲が遊歩道。
幾何学模様になっているそうで、上空写真ではよくわかる。
ペリカン噴水があり、その背景に見える広い土地が第一花壇。
ペリカン噴水を含め、この辺りが屋敷の跡地。
この上屋敷には、家康公、秀忠公、家光公と、三代にわたって将軍が訪問している。
食通の政宗公は、自ら料理の盛り付けや配膳をして、将軍をもてなしたという。
参考:仙台市 東京に残る政宗公ゆかりの地「仙台藩外桜田上屋敷跡」「伊達政宗終焉の地」/千代田区日比谷公園 /
宮城県 食材王国みやぎ「みやぎ伊達家と食文化」/仙台市博物館「伊達政宗」
日比谷公園は、いろんな記念碑や石像があって面白い。
明治36年に開園の、日比谷公園内にあるレストラン「松本楼」は、同じく明治36年に開店。
季節メニューに、東北の「三陸産カキフライ」があった。
被災地の東北は、いまだに大変な状態。
寄り添ってくれているようで嬉しかった。