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キリスト教の使命が終わる日

2023-06-26 02:30:28 | 政治
この記事を読んだ瞬間、「ああ、キリスト教の使命は終わったんだな」と、心に深く感じるものがございました

The Liberty Web「ChatGPTがつくりあげたドイツの教会説教に数百人が参列というが…… 堕地獄の冒涜行為になっていないか憂う」

とあるSNSでは、多くのフォロワーを集める発信者が、実はAIだったというニュースもございました
それでもまあ、SNSだけならまだいいかもしれない
だが、これが宗教の集いでの説教という事になると、話はまったく違ったものになります
このAI説教を企画した牧師さんたち、彼らは、これが宗教としての「自殺」であることに、気がついていないということは、本当に悲しいことです
「ドイツのバイエルン州フュルトにある聖パウロ教会」とのことですが
残念なことですが、当の責任者たちが、流行を取り入れることで、キリスト教が自己変革できる、などと考えているのであれば
もはやキリスト教は、宗教の本質すら見失っているとしか、私には思えないのです
魂の尊厳を忘れ、宗教が単なる人集めの手段となってしまえば、それは単なる「金儲けの集団詐欺」ということになります。。。。。

AIというものは元々、「人間の思考や感情は脳というコンピューターの働きである」というところから。。。つまり唯物論から出発しています
人間の心が脳にあるとすれば、それは必ずAIで代用する事ができる
だから、「人間にできる事は、将来的には必ずAIでできるようになる」と、そういう考えのもとに出発していると考えられます
ところが、今のAI技術は、「多数の者が認めるものが正解」という結論に導かれるように、ルール上、プログラムされています
いや、もう少し突っ込んで言えば、「少数の者がルールを決め、そのルールを正しい事として(大衆に)受け入れさせれば、それが正解になる」
というルールによってプログラムされています。。。それは、今現在、日常茶飯事的に、大手ビッグテックなどで行われている手法です

もし上記のような大手ビッグテック(例えばユーチューブなど)の手法が、キリスト教においても受け入れられるとしたら
聖書の言葉をAIが独自判断して、イエスの言葉の、それもAIのプログラムによって選別されて残された言葉だけが、説教で語られることになります
そしてその説教は、そのAIをプログラミングしている人の判断によって選別された言葉「だけ」が選び取られている
という事になります
そんな、一部の人たちの偏った判断基準で選ばれ、「真理」とされた言葉だけを聞かされる信者は、それはもはやキリスト教徒なのでしょうか?

ここで私が言いたい「結論」を申し上げることにしましょう
宗教とはね、結局、目に見えない神や仏からの啓示であり預言であるわけですよ
その言葉を、ありのままが書かれていて、各人が判断するためにあるのが、聖書であり仏典であるわけです
ですから、啓示や預言というものは、できるだけ手が加えられていない「原本」のまま残されていることが望ましい、とされています
誰か特定の人間の意図的な選別を受けてしまうと、それはもはや「神の言葉」ではなくなるわけです
そして、聖書や仏典が、長い年月をかけてふるいにかけられ、それでも2000年を超えて残ってきた理由は
聖書や仏典に書かれている教えに、「普遍性がある」ということを、数千年の歴史の中で、信者たちが確信し続けてきた
という背景があるわけです
その普遍性とは、「人間とは魂であり、霊的な存在である」という、人間の存在そのものに関することであり
人間の死後の世界では、善と悪が完全に峻別され。天国と地獄(煉獄)とが、生前の生き方によって明確に分かれる
というものです
そして、現在のAIのプログラミングの根底にあるものは、「不可知論」です
要するに、人間が魂であるか否か?死後の世界はあるか否か?天国と地獄はあるか否か?
これは「分からない」というのがAIの結論であり、「分からないから最初から無いものとする」、というのが結論になります
宗教と相いれないのが、結局この部分なのです
この「不可知論」を受け入れてしまえば、宗教は完全に「自己否定」になるわけです

これが、私が冒頭で申し上げた、「キリスト教の使命は終わった」という発言の真意です
死後の世界を説けなくなれば、宗教は終わりです
そして前回の日記でも申し上げましたが、このAIに頼ることばかりをしていると、「自分で考える事」がおろそかになってしまいます
善悪の基準が、少数の人間が恣意的に取り決めたルールに基づくものであってよいのかどうなのか?それをこそ考えなければなりません
LGBT法など、私は少数の意見によって、全体が引っ張られている感じを強く受けます
LGBT法に反対すれば、差別主義者のそしりを受ける、ということになり、その、「差別主義者」のレッテルを貼られることが怖くて
言葉を封印され、矛盾があってもそれを口にできなくなる。。。法の執行者が、大衆の口を封じてしまう
これが今のアメリカで問題になっている「ポリティカル・コレクトネス」、いわゆるポリコレです
全体主義のはじまりです

「民主主義は、本当は、宗教(信仰)が根底(社会基盤)になければ機能しない」
これこそ、プラトンが「国家」で言いたかった結論なのではないかと、私はそう思っています
AIと信仰は、本当は相容れないものなのです
コメント
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