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多数派による独裁という悪夢。。。そして民主主義の担保は宗教である。。。という逆説

2023-06-19 02:08:01 | 政治
幸福実現党の言論チャンネルを見ていたら、伊藤貫氏の動画で、トクヴィルの「アメリカの民主主義」についての解説が秀逸だ
とのコメントがありました


その動画を探してみると、どうやらチャンネル桜の番組だったようです
私は、個人的な感想を申せば、桜の水島氏は、自分の立場を守るためのくだらない嘘の多い人物なので、あまり信用していないのですが
この伊藤貫氏の動画は、個人的に感心しました。。。率直に、素晴らしい見識だと思います
だらだらと同じようなことをしゃべっていて少し長いですし、少し哲学的で難しいのですが、拝聴いただければ嬉しく思います




これを聞くと、トクヴィルという人物が、いかに思考的な高みを持っていたか、ということに驚かされます
と同時に、この伊藤氏の考察を、水島氏にもしっかりご覧いただきたいなと思う次第です(笑)
宗教に対する偏見もいいですが、それはトクヴィルの言う「多数派によって決められている道徳的正しさ」ではないのですか?と
水島氏に皮肉を込めて言っておきたいと思います(笑)
「宗教はいかがわしいもの」、「宗教は金儲け」
水島氏はこうした世間一般の表面的な世論に乗っかかる形で幸福実現党を批判しているわけですが
それこそ、「多数派(多数決)による少数派潰し」の一例でしょうね
トクヴィルによると、民主主義の下では道徳的価値観でさえ、多数派の意見で決められるとのことですからね
まあ、皮肉はこれくらいで置いておきましょう

さて、この伊藤貫氏の動画ですが、私はこの方の言っていることがよくわかるんですよ
アメリカの民主主義は既に「衆愚政治」、つまり、民衆の「考える力」の不足により、多数派による専制政治が始まっています
多数決の意見によって道徳的価値観でさえ、善悪の価値観がひっくり返る時代になっている。。。ということですね
例えば、「差別はいけないことだから、黒人が盗みを働いても罪に問わないようにしましょう。。。減刑しましょう」。。。みたいな
こんなのが、多数決によって「道徳的」だとされ始めているわけですよ
同じく、LGBTを推し進めながら、「子供にも大人と自由なSEXをする権利がある」みたいなことを、多数決で押し通そうとしているわけです

まあトクヴィルの言っていることは、これまで私が言ってきたこと、主張してきたことと、意味はまったく同じです
そして、もう一つトクヴィルが言っている事。。。それは、これまでの西洋諸国の道徳的価値観は「宗教」から来ていたということ
つまり、キリスト教の聖書の解釈から道徳的価値観が決まっていたわけで、決して多数決で道徳が決められていたわけではなかったわけです
多数決によって道徳的善悪が決められた場合、どういうことになるかというと、それはね。。。
ソクラテスのように、街中で識者と呼ばれる人たちと議論をしたことで、「世を騒がせた」、という罪で死刑にされたりするわけです
ソクラテスに議論で負けた人たちが、腹いせに、「ソクラテスに罪をかぶせて死刑にしてしまえ」とやって、実際その通りになったわけです
またプラトンも、衆愚政治についてはソクラテスの口を通じて語らせていたと思うし
プラトンの「国家」という書籍は、そもそも民主主義制の政治ではなくて、哲人政治を説いたものでした
つまり、プラトンもソクラテスも、民主主義の問題点は十分すぎるほど理解していたわけです

また、その後のローマ時代にも、同じような民主制の問題はありました
元老院という、現代で言うと選挙でえらばれる議員や議会ですが、彼らが政治をやっていた時も、様々な民主制の問題があったわけです
そして、そういう時代の中から、まあ求められた形で、皇帝のカエサル(シーザー)が出てきたわけです

近代になって出てきた啓蒙主義も、これもまた、「多数が正義(正しさ)になる」時代を作ってきたところがあります
いや、まさにそうですね。。。これも、カント哲学の流れから始まった「不可知論」つまり
「分からない事は扱わない」、という、哲学から魂の問題を完全に分離したところから始まり
結果的に、「宗教はあの世や天国地獄を説くから単なる迷信だ」という流れが起き、それが啓蒙思想の底流に流れる源流となっています
つまり、宗教的価値観を失ってからのち、道徳的善悪の基準は、個人の欲望の自由によって、多数決で決められるようになった
ということです

話は変わりますが、釈量子さんを筆頭とする幸福実現党は「自由・民主・信仰」、この三つを政治の柱として掲げています
これ、実は重要な意味があるんですよ
「自由」は専制とは真逆の価値観であり、神が個人に自由を与えたことに由来しています
「民主」は多くの人の智慧を集めるという意味、つまり松下幸之助先生の言っていた「衆知を集める」という意味ですね
決して欲望の多数決ではないのです
そして「信仰」とは、宗教的価値観。。。つまり、善悪を説けるのは、人間の本質を説くことのできる宗教のみです
「信仰」には、人間は本来霊的存在であり、死後も魂は存在し、その生き方によって天国と地獄が分かれる
つまり、善悪は死後の世界においては明確に判定される。。。という事を明らかにしているわけです
人間には選択の自由もあるし、多くの人の意見を集めて素晴らしいものを作ることもできる。。。しかし
個人の選択の自由はあるが、その自由の行使には責任も伴う。。。つまり、多くの人に迷惑をかけたり、苦しめたりした場合は
死後、相応の責任を取らされることになる、という事です

民主主義とは、実は、信仰の裏付け、宗教的価値観の裏付けがあってはじめて、正常に機能するということなのです
その点、トクヴィルは非常に明晰な頭脳によって見抜いていたんですね
最近私は、LGBT問題やマイナンバー問題を何度も扱っていますが
今の日本の政治が、実は多数決の乱用による専制政治に向かっているということを非常に危惧しているからなのです
多くの方に、この素晴らしい動画を見ていただきたいと思います
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