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chatGPTについての一考察

2023-06-21 02:30:02 | 政治
今日は毛色を変えて、今話題のchatGPTについて、考えてみたいと思います。。。
もちろん、この文章をchatGPTに書かせているわけではありませんので、最初におことわりしておきます

はじめに、chatGPTについては、多くの人が不安視している面が大きいのではないかと、私は感じています
と言いますのも、この分野でAIが幅を利かせてくると、人間のクリエイティブな仕事がAIに奪われ、無くなってくるのではないか?
そんな風に感じている人が多いのではないかと思うのです

クリエイティブ(創造的)な仕事が奪われる
それは例えば、chatGPTで歌詞や小説が書ける、などということが、よくニュースなどで取り上げられていることが原因かと思います
確かに、そういう分野でAIによる作詞や作文が増えてくる可能性は否めないでしょう
しかし、それによって人間の創造的仕事がすべて奪われる、というのはおそらく杞憂になると思います
むしろ、想像力を鍛えた人の仕事が、逆にプロとしての評価を受けることになる可能性はあると思います
なぜかと言いますとね、それは前回の日記に私が書いたことが、一つのヒントになるかと思いますが
結論を言うと、AIには、「真理を探究する」という仕事ができないからなのです
つまり、「何が真理か」を判断することが、AIには絶対にできないのです。。。AIには、本当の意味で人間のひらめきを理解することができません
私たちは、そこを理解する必要があるのです。。。
もしそれが理解できないようなら、この日記を読んでいる人もまた、「考える力を失っている」。。。かもしれませんね(笑

もしこれから先、AIの作った小説が高い評価を受けるような時代が来るとしたら。。。。
それは、人間の思考能力が、AIに頼り切ったがゆえに「退化してしまった」ことを証明することに、きっとなると思います

私は、「百聞は一見に如かず」の言葉通り、chatGPTを実際に使ってみました
なかなか面白いと思いました。。。でも、私はこれを使って日記を書こうとはあまり思いません
それは、どうやっても自分の納得のいく文章にならないことが明らかだからです
もし、chatGPTを使って日記を書いた人の、例えばSNSやブログを読んだとしたら、おそらくはある程度判別はつくと思います
というか、完全な判別はつかないかもしれないが、文章の浅薄さ、底の浅さはいかんともしがたく
なんだかAIっぽい文章だなと、感じるぐらいはきっと感じる事でしょう

むしろこれから先、本当に怖いのは、AIによって拾ってきた、「誤った情報」に基づいて、文章を書いてしまった場合です
AIは写真や動画なども、微妙な修正を加えることが可能だと言います。。。つまりフェイクが非常に増える可能性がある
これは本当に危惧すべきことです。。。そして、chatGPTによって書かれた文章も、不正確なものが非常に多い
これはね、前回私が書いたことを思い出していただければ、皆様にも分かると思います
なぜ不正確なのか?それは、AIで拾ってくる情報は、「多数派の意見が正しい」と判断されたものだからです

現代では、スマホなどで簡単に情報を拾える時代になって、自分が非常に賢くなったように感じている人が多いと思います
しかし、それは気を付けませんと、雑情報ばかりを集めてきていて、考える事、思考する事をやめて、「ただ受け入れている」だけなのかもしれません

前回の日記の動画で伊藤貫さんが言っていたこととして
現代のアメリカでは、「どういう風に振舞うと、あなたが「素晴らしい人間だ」と判断されるのか?」
ということばかりに重点を置いた、出世術、処世術が重視されるあまり
例えば
敬虔なキリスト教徒だと見られるような振る舞いをすれば、多くの人から信頼されやすい、だから敬虔なキリスト教徒のふりをする
というように、この世的に得になる生き方。。。これが正しさの根拠になっているわけです
だから、実際に、キリスト教徒が2千年もの長きにわたり、なぜイエスの言葉を聖書で学び、信じてきたのか
聖書の言葉を単なる処世術だと考えたなら、他人から良い人だと見られるための処世術をイエスは説いた。。。という事になります

しかし、本当にそんなことで、人の心は動き、感動するのか?ということなんですよ
キリスト教の歴史において、なぜ、ライオンに内臓を食われても信仰を捨てなかった人が沢山いたのか?
なぜ、イエスと同じように迫害され殺されても、信仰を捨てない人が沢山いたのか?
この世的な損得を善悪の根拠にした場合、こういう信仰を理解することは決してできないのです
そして、人間の道徳、倫理観、これらの判断の基準になってきたのが、実は信仰であったこと、それはこれまでに何度も述べてきましたが
2千年間、人を信仰の道にいざなってきたのは、本当は「感動」なのです
人の心が感動し、「これは真理である」と受け入れてきたことが、人間の道徳・倫理として、その判断の基準を作ってきた
そう私は思っています

最後に結論を述べておきますね
AIには「感動」を理解することはできません。。。「信じる」ということも理解できません
AIの判断の根拠にあるのは、AIにプログラムを行った人の、その「判断の根拠となる思考傾向」です
つまり、そのAIを創った人が「正しい」と感じている思考傾向。。。その狭い思考傾向が、「善悪の判断基準」となっているわけです
つまり、AIで小説を書くと、もれなくAIをプログラムした人の思考傾向が、そのまま文章の傾向になって現れる。。。という事になります
もし、chatGPTが、多くの人の思考傾向を総合して判断している。。。というなら
要するに、「多数決で多い意見が正しい」という判断基準を持っていることになります
世の中で嘘情報が多数流れているとしたら。。。事実に関係なく、多く流れている嘘情報が正しさの根拠となります
これが、chatGPTが、本当の意味で一流の創造力を持てない、その根拠になります
つまり、誰にでも受け入れやすく、無難な、ボンクラの書く文章を、文脈だけ上手に書いて
「ああ、文章がよくまとまっている。。。凄い凄い。。。」
そんな風に、手放しで喜んでいるわけです
人を感動させるような作品がAIで書ける。。。そんな風に思っているなら、ちょっと考え直した方がいい
あなたは、「自分が考える」という力を失っていませんか?

最後に、考える力をどうすれば鍛える事ができるか?一つヒントを出してみましょう
まあ、それは紙の本を読むことです。。。それも、名著と呼ばれる古典を紐解くことです
古典は、思考とインスピレーションの塊です
私はトクヴィルの「アメリカの民主主義(デモクラシー)」を1巻上下、2巻上下、購入しました
これから古典として、実際に読んでみます
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