「指導する者の責任と、選手達自身の責任…」
『勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし』
負けたことは、指導する者の責任にあることは当然のことです。
だからといって、負けた悔しさを微塵も感じることなく、その試合を自ら振り返ることをしないのは、
選手自身が、自分達が為すべきことに応えていない…
責任がレスポンスビリィティと言うなら、選手自身が応えるべき責任があると思います。
それを選手に自覚させる責任は指導する者にあります。
その互いの責任を共有し、選手自らその試合を振り返り、次に向かう気持ちを持つことは選手たる子供達自身の責任でしょう。
水飲み場までは、導くことはできます。
その水を飲むか否かは、選手自身の責任を自覚した判断だと思います。
確かに、水を飲むというモチベーションを育むのも指導する者の責任であることに間違いはありません。
負けたことの原因を明らかにすることは指導する者が行うべきこと…
それを指導して、次に向かう気持ちを持たせるのも指導する者の責任であること
そして、その指導に応えるか否かは、選手自身の責任であることだと思います。
そうでなければ、選手の自主自立はどこで育むことができるのでしょうか?
『君達はよく頑張った。負けたのはコーチの責任だ。』…それは、指導する者が、選手に対する責任として、選手達に応えきっていないのも確かだと思います。
負けたことについては、選手達自身の責任と指導する者の責任はあると思います。
それを選手に知らしめることが指導する者の責任ではないでしょうか。
そして、次に向かう方向を明らかにして、その具体的方策を創造し、
選手達自身に行わせることは、指導する者の責任だと思います。
しかし、選手自身が全力を出し切ったかどうかは、
選手自身にも自ら考え、応える責任があると思うのです。