hisakunnのブログ

日米の民主主義崩壊

心の証明

2010-06-29 09:29:16 | 日記
人間に在ると言われる”心”。 心って果たして在るのでしょうか?
英語で言えば、heartですが、日本のように、心の問題とか、心を育てるというような表現で語られる事は少ない気がします。
人間が実際に在るものの存在だけを肯定していまい、目に見えないものや触れる事の出来ないものは全て否定してしまう事が良い、悪いではなく、人間は在るか無いか解らないけど感じてしまう何かの存在を永い間感じて来てしまったのです。
頭脳で考え、判断出来る物事が全てで、脳で考える思考に無い物事は存在しないのだとすれば、心なんて妄想か虚像でしかないことになります。
愛とか幸せという感性も頭脳だけで考えるなら、欲望を満たす事のみが歓びになってしまいます。つまり頭脳が感じる満足感は一方的にエゴを満たす感覚でしかないのです。
人の事はどうでも良く、自分が満足できれば幸せであるという感覚です。
この感覚は、性の交わりも全て、他の排泄行為と同じになってしまうのです。
例えば、恋愛中の二人が性の交わりをする時、自分だけが満足すればその行為が終了してしまうという感覚と言えます。相い対した相手がどう感じ、どう満たされるかという事は二人の中では大切な事であるのに、そこまで想いが至らないケースです。
ある種の人達にはどっちでも良いことかも知れませんが、この関係が大切だと感じている人には大変重要な事であるのです。 ここに心の問題が生じてきます。
宗教というものの認識が薄い形で経過して来た日本では、形式だけを重んじてきた為に、この心に感じるという感覚を実感できる人が多くありません。何を大切に想うかという感覚に海外の人達とは大きなズレがあるのです。
どちらが良い、悪いではなく、人間社会にとって必要な要素としてどうあった方がベターかという問題でしょう。現実の社会では、人と人、物と物が複雑に交わりあって成立っています。個人の中では、皆自由で平等で好き気儘に振舞えても、社会ではバランスの取れた関係が必要です。
現在の日本社会では、こいったバランスが大幅に崩れています。
それぞれがエゴを満たす為のこじ付けと方便に明け暮れ、自己の行為の正当化に必死になっているようにしか見えません。この状況は、政治、経済、教育、医療あらゆる方面に如実に現れています。
 結局、どこを見ても心の存在を否定しているかのような言動ばかりです。
私は、日本は、もう少し個人の範囲と社会との関係を切り離した形で、心という面を大切に出来る社会になって欲しいと感じています。
現在の日本社会では、生活(金)の比重が大きくなり過ぎて”心”なんてどうでも良いという社会になっているような気がします。 
戦後の経済優先の教育とメディア誘導が大きな原因ですが、今の日本人にはどうでも良いことかも知れませんね。本当に”心”って在るんでしょうか?


最新の画像もっと見る

コメントを投稿