
武家屋敷を見学した後は、飯盛山。「飯盛山」という名前の由来は、この山が飯を盛ったような形からくるそうです。
戊辰戦争に際して新政府軍と幕府方の会津藩の間で発生した会津戦争。
会津藩では藩士子弟の少年たちで構成される白虎隊と呼ばれる部隊が結成され抗戦。
戸ノ口原の戦いにおいて敗走し撤退する際に飯盛山に逃れ、鶴ヶ城周辺の武家屋敷等が燃えているのを落城と錯覚し自刃。
15歳~19歳の少年たちを思うと胸が痛みます。
什 (じゅう)
一、年長者(としうえのひと)の言ふことに背いてはなりませぬ
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
一、嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
一、戸外で物を食べてはなりませぬ
一、戸外で婦人(おんな)と言葉を交へてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです。
会津の武士としての精神。世界の多くの人が感銘を受けている精神です。
会津の旅のまとめの目次はこちらハンサムウーマン新島八重と東山温泉満喫 会津若松の旅 目次
飯森山に上がるには、階段を歩いて行くか、飯盛山動く歩道を利用する方法があります。
動く歩道は250円、上りしかないので片道です。動く歩道を利用しても45段の階段を上がる必要があります。
階段を上るとこんな風景が見えます。
鶴ヶ城は実際、どこにあるのかわかりにくいので、白虎隊の少年たちが、
お城の近くの武家屋敷が燃えている様子を城が焼けたと思っても仕方ないと思いました。
飯盛山には自刃した19名と、ただ一人、生き残った飯沼氏のお墓があります。
飯盛山を下りるときいは、ゆるい坂道を下ります。
★さざえ堂
二重らせん構造の斜路をもつ特異な建物として知られる。
通称は「会津さざえ堂」もしくは単に「さざえ堂」で、正式名称は「円通三匝堂」(えんつうさんそうどう)。
堂内には上り下りするためのらせん階段があり、一度も対向する他の人に出会うことなく
また一度も同じ道を通ることなく、一方通行で堂内を参ることができるという世界的にも珍しい建物。
〒965-0003
福島県会津若松市一箕町八幡弁天下1404
電話番号
0242-22-3163
営業時間
9:00~16:00
定休日 無休
料金
大人400円、高校生300円、小中学生200円
アクセス
ハイカラさん・あかべぇ「飯盛山下」下車、徒歩5分
★戸ノ口堰洞窟
猪苗代湖北西岸の戸ノ口から、会津盆地へ
水を引く用水路で全長31km。飯森山で自刃した20名はこの洞窟を通って飯森山へたどり着いたそうです。
紅葉が見事でした。
飯森山を下りて、とらぞうさんでお昼ごはんです。
★八重の膳 1,575円(税込)
飯盛山をご案内してくださった名ガイドさんが、名踊り手として舞を披露してくださいました。
この後、お土産ものも売っていらしゃしました。
バスのおやつにクッキーシュー180円と、Dr.野口カップ260円
今回の旅で、美味しくてはまった「あわまんじゅう」。
★柳津名物あわまんじゅう
今から160年ほど昔、円蔵寺が大火に遭った際に二度と災難に「アワ」ないようにと、
栗ともち米を使った饅頭を考え、作らせたのが起り。
起き上がり法師の絵柄のちょうちんが可愛いかったです。
會津藩校 日新館
山本覚馬や白虎隊士も学んだ日新館の復元施設。
少年たちは武道や砲術、礼法、天文学などの学問に励み
「ならぬことはならぬものです」の什(じゅう)の掟を学びました。
当時の少年たちの勉強ぶりを知ることができました。
会津の武士道精神は世界の多くの人に共鳴を与えていると思います。
★端渓の大硯
硯の産地は中国が有名ですが、その端渓のものようです。
とても大きな硯で、する墨はどんだけ??と思ったのですが。。。
、
★水練場
日本で初めて作られたプールだそうです。
甲冑をつけて泳ぐ練習をしていたそうです。
たまたま、太極拳をしている団体さんがいらっしゃいました。
まるで中国みたいな風景。
什(じゅう)の掟もルーツを辿っていけば、中国の孔子の教えを素に、学んでいたそうで、孔子の像も祀られていました。
うつくしい会津の風景の中で、美しい武士道精神が育まれ、またそれによって、多くの悲哀を生んでしまったのかもしれません。
ならぬことはならぬ。
今回の旅でも尊い精神によって築かれた会津の文化に感銘を受ける旅でした。
会津若松市八重の桜プロジェクト協議会様、この度は素敵な機会をいただきありがとうございました
鉄子は私、次の会津の旅は、新幹線と郡山から磐越西線でSLばんえつ物語号も乗る旅を計画します。
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