コダワリの女のひとりごと

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京都観光にアクセスも便利な「ホテル本能寺」で朝ごはん

2016-05-12 | 旅 京都府

よく使う予約サイトにお部屋プランなどが出ることなかったので、存在は知っていたけれど泊まったことはありませんでした。

それもそのはず、大本山・本能寺に訪れる法華宗信徒のための宿泊提供施設を発端とし、京都を訪れる修学旅行生が同じ宿で全校生徒が過ごすことのできる規模の施設を作りたいという考えのもと、昭和37年3月にオープンしたホテル。

ずっと修学旅行で予約がいっぱいなので一般の人が泊まる機会があまりなかったので、少子化で子供が減ったため最近目にするようになったのかもしれません。

私も修学旅行で京都を訪れているのですが、私の学校は洋風の近代ホテルに宿泊すべしという考えだったらしく、当時、京都で一番高層で近代的なホテルに宿泊でした。

年に2回~3回もうかれこれウン十年旅している京都ですが、宿泊するときは、京都駅前か京都市役所界隈を選択することが多いです。

歴史的に重要な場所であり、本能寺は何度も行っていたのでホテルがあることは知っていたし、ホリーズカフェが好きなのでカフェはなんどか使ってました。
今年の桜の季節に宿泊プランを見つけたので面白い!と予約してみました。



お部屋から本能寺の境内が見えます。
本能寺というと、思い出すのは「本能寺の変」。
しかし、本能寺の変のときに本能寺があった場所はこの地ではありません。


お風呂は2か所あります。
温泉ではないけれど、日本人なのでしょうか?大浴場があると解放感があって好きです。

宿泊はベット派なのにユニットバスは苦手。
ビジホ利用をしても大浴場があるところがあればそちらを選択します。

夕食もセットできましたが、夕食は外に出ることにして、朝ごはんは興味があったのでつけてみました。


私は実ブッフェスタイルがあまり好きじゃないし、どちらかというと朝はごはん派なのです。
食べ放題、飲み放題は自分ではあまり選択しません。
こういうThe和食!が好き。


お鍋は湯豆腐でした。



本能寺の変 
天正10年6月2日(1582年6月21日)、本能寺に宿泊中の織田信長は、臣下である明智光秀に襲撃されます。
100名あまりの臣下が応戦し、信長も弓と槍をもって戦うものの、負傷し火に巻かれたため切腹。
遺体は見つかりませんでしたが、信長及び信長の嫡男・信忠も自害したことにより織田政権は崩壊。
信長を討った光秀も羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)に敗れ、時代は大きく動きます。
長く続いた戦国の乱世が終息に向う契機となったという意味で、日本の歴史上有名な事件となります。
光秀が謀反を起こした理由については野心や怨恨、陰謀など諸説あり、日本史上「永遠のミステリー」です。

ホテル本能寺のサイトを見ると、歴史上の史実がわかりやすく説明されています。
ホテル本能寺公式サイト





ホテル本能寺旅館・オーベルジュ(その他) / 京都市役所前駅三条駅三条京阪駅
075-231-3123
京都府京都市中京区寺町通り御池下ル下本能寺前町522

チェックイン15:00 チェックアウト翌10:00 
定休日 年中無休
 
 
 


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