風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

あんとふく

2017年06月17日 | こたろう語録
いとこの「あん」と「ふく」がやってきた。



わかいなぁ、かろやかだなぁ。

両親が旅に出かけるので、三日ほど我が家に預けられるわけだけど。
 
←女の子の「あん」(白餡のあんです)のほうは、やんちゃで、好奇心たっぷり。
                           
おとこの子のふくは、穏やかで、ビビリンと来ているから、つきあいにくくてさ。

僕は、母の部屋、かれらは、客間にと住み分けているんだ。



だから、僕は部屋から出てきたら、彼らのいる部屋の出入り口を、兄貴としてきっちり見守ってやっているんだ。






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大きな声

2017年06月16日 | 詩吟
今は、子供でさえ、大きな声で叫ぶことが制限されるようになっています。

先日は、お茶を飲み終わって、声が大きすぎたことに気が付いて、自己嫌悪に陥りました。
詩吟のせいなのか、はたまた、配慮が足りないのか、声は、大きすぎる方なので、「声」「でかい」に反応してしまいます。
そして、何時も後になって、気が付いて、後悔しています。


それは、自分自身の問題として、解決するとしましょう。

常々大きな声を出してみたかったという方のお手伝いを詩吟でいたしました。

心置きなく大きな声の出せる会場で、合吟をいたしました。これで、二度目という方なのですが、ずいぶんと声も出て、音程も確実で、将来の有望株です。

今日の合吟で、詩吟を習う「その気」が、さらに何倍にも膨らんで、次回の練習が楽しみになってきている様子が、手に取るようにわかりました。

いい場面に居させてもらいました。

こんなお手伝いは、いつでも、喜んで、時間の許す限りお受けしたい。


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正しい歩き方は姿勢から

2017年06月16日 | 体を整える
街を行きながら、ほんのちょっとしたことで、姿勢がよくなり、素敵な歩き方ができるのに、せっかくよくにあったハイヒールを履いているのに、素敵なアレンジなのに、残念な歩き方をして、せっかくの魅力が半減している人が目につきます。

私自身、骨盤のゆがみに気が付かず、膝をくっつけようくっつけようとあがいていた時、幸運にも、山田先生に巡り合い、骨盤を正しい位置に戻すことで、膝の痛みがかなり軽くなり、大きく膨らんだ膝が、小さくなり、見た目も、機能面でも徐々に改善してきました。
先生が指摘してくださるのを、聞いていると姿勢もかなりよくなってきたようです。
自分の後ろ姿って、見えないんですもの。。。

そんな喜びとともに、周りの女性たちみんなが、美しく健康に立ち働く様子を夢に描いて、居ます。


こどものころから、体の軸をしっかりさせる工夫と努力をしたら、健康な体を維持して、健やかに育っていくのになぁと、いつも思っています。
美しい歩き方をする人は、きっと笑顔も素敵で、その人の言葉は優しく柔らかいのではないだろうか。
私も、もう少し、姿勢がよくなったら、物腰も柔らかくなるだろうか。
えっ、しななきゃなおらないって? あぁ、そうですか、、、、、

何年か前に、人体力学にそった歩き方指導を、幼稚園でできたら、いいですねぇと、山田先生とお話したことがあります。

私の年齢になっても、体操で、姿勢の矯正ができるのですから、骨が柔らかいうちに、正しい姿勢で正しく歩くことを授けることができたら、どんなにか、世の中明るくなるのかと、想像すると、楽しくなりました。

特に女性は、その特性から、歪みやすいのだから、自分で、正しい姿勢を認識して、補正するテクニックを持ったら、鬼に金棒。

より明るい家庭の運営ができるのになぁ。

気が付いたときが、始める時、若いころじゃないと無理なことではないので、今から、始めましょうよ。








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はじめの一歩

2017年06月15日 | 詩吟
今日の練習は、富士山のおさらいと、新しい課題は、「峨眉山月」

スムーズにお稽古も進み、独吟の発表も、今まで大きな抵抗を示していた方たちも、締めくくりには、独吟をするものと、わかっていただきました。

ICレコーダーを、持ってくるようになって、目覚ましく音程がしっかりしてきた方がいたり、芦孝会の会員さんの出場するコンクールに応援に来てくださるようになったりしています。

静かにゆっくりと進んできた「はじめの一歩」ですが、手ごたえを感じるようになってきました。おかげさまです。

何よりも楽しんでくださっているのが、心地よいのです。

7月のギャラリー恵風での、論語と漢詩のそれぞれの会のご案内もして、何人の方が来てくださるでしょうか。


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菜根譚

2017年06月15日 | 論語と
人能誠心和気 愉色婉言


家庭で優しい顔、穏やかな言葉 これさえあれば 心身お互い通じ合うことができる。
家庭の力は万倍である。


こたろうとは、優しい顔、穏やかな言葉で接することができるから、お互いに通じ合い、特に心地よいときは、ゴロゴロと喉を鳴らして、合図を送ってくれます。
誠に穏やかな豊かな時を過ごすことができます。


なのに、もう一人の家族とは、なかなかこうはいかないのである。

そんなときは、甘いものや、趣味などから得られる満足感とでエネルギーの交換をして、解消することができて、趣味のおかげといつも感謝しています。

続けて洪自誠は言います。
優しい顔と穏やかな言葉さえあれば、呼吸法で気を養ったり、座禅で悟りを開くことなど必要ないのだと。




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スマート詩吟

2017年06月11日 | 徒然に日々のことを
昨年12月に同窓会でお目にかかった先輩に誘われて、ある教場(大陽〇〇教場)に月に1回訪れています。
他流ということで、かなりの遠慮があるのですが、先輩は、その教場の元の指導者であったということで、その教場の方たちも、気持ちよく暖かくお迎えくださいました。

その教場の指導者を先輩から受け継いで、ご指導なさっている指方順一郎先生です。
それで、先生の「スマート詩吟はおもしろい」をご紹介いたします。

詩吟の可能性について、考えていた時に、一つの可能性として、「福祉詩吟」が目の前に開かれました。
そこに参加させていただきながら、模索をしたいと思いました。


今日、伺ったラメ[ル横浜は、障碍者のためのとても大きな施設です。
新横浜の駅から無料送迎バスが運行されています。満員でない限り、私も乗ることができます。
私のような者が、ここに来るには、どなたかの付き添いとして参加することができます。

指方先生は、「私の付き添いで来ていることに」とおっしゃってくださるのですが、杖をついていても、レディ<tァーストを貫かれる方です。
どちらが、付き添いなのかわからない様子です。
つまらぬ配慮をせず、普通に過ごせばよいのだと、態度で示してくださいます。

「福祉」の冠はあっても、こだわりを無くして、同好の志として、交流を深めればよいのだと、知りました。

言葉で、説明しすぎる私には、詩吟とは別のところにも、大きな学びがありそうです。



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西日の当たる家

2017年06月10日 | 徒然に日々のことを
寒がりの義母が都会の家は暖かいと絶賛した我が家は西日のあたる家である。

あれこれと試行錯誤の末、グリーンカーテンにたどり着きました。

とても快適に数年を過ごしましたが、出入りをしたい窓と布団を干したい手すりのある窓には、設置をすることができません。

あれこれと、試行錯誤の末、見つかりました!
機能満載の「撥水サンストップシェード」です。

陽射しの断熱はするけれど、光を通すので、部屋が明るい。
窓にとりつけないので、風がはいってくるし、窓からの出入りにも差支えがなくて、もちろん手すりに布団もかけられるという一石何鳥もの効果がある。

ウフフ、と喜んで、眺めて三日がたちました。




撥水加工がしてあるので、突然の雨にも、洗濯物が濡れないというおまけもありました。
これで、雨が降るかもしれない、降らないかもしれない時に外出するのに、洗濯物を部屋にいれるか入れないかで、迷わなくて済みます。

何よりも、部屋が暗くならないのが、とてもよい。

今年は、「早めにエアコンを使って、熱中症を防ぎましょう」とのコメントが多いのですが、窓を閉め切らねばならないのが、少々つらいです。
そして、こたろうさんは、エアコンが嫌いなので、エアコンをつけるとほかの部屋へと避難をしてしまいます。


なるべく自然の風を取り入れて、水分補給を怠りなくして、こたろうさんと一緒に仲良く、この夏を乗り切ろうと思います。
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夢青葉6月

2017年06月08日 | 詩吟
今日の練習テーマは「息」について。

「盗み息」と良く言われます。
テキストの大きなかぎかっこの場所では、きちんと息を吸いましょう。
そのほかのところでは、上手に息を盗みましょう。と、言われています。

さて、上手に息を盗むのは、息を吸うことと誰しも思うのです。
でも、上手に息を吐くことも大事なのですよ。


思いっきりたくさん息を吸うと、ゆとりで、声が出せると思いがちですが、「思いっきり、ちょうど良い息を吸う」ということが大事です。

ですから、吸いすぎて余った息は、吐きだしてからっぽにしなければなりません。
新しい息をちょうど良いだけの量を吸うことがとても大事です。


そのちょうど良い量の調節ができてなくて良く起こる障害は、転句の終わりの段下がりによくあらわれます。段下がりの前で、息を吸ったにもかかわらず息が足りなくなるのです。

なぜなら、残っている息の上につぎ足した息は、実は、足し算されていなくて、つぎ足しただけの息しか使えなくなっているのです。

だから、たくさん残っていればいるほど、使える息の量はごく少なくて、段下がりを吟じるだけの量にすら足りないのです。

女性の場合、低い音は、出にくいという錯覚を刷り込まれていることが多く、頑張って出そうとして、息をまき散らしながら、あるいは、力が入って息が出にくくなっているということもあって、さながら、燃費の悪い車ででこぼこ道を行くが如くになっているのです。



それで、肝心なところ、ここぞというところでは、息を吸うことより、吐くことを考えます。

青葉の会員さんの一人も、そのことを考えていた人がいました。
ご自分の体調や体の特性を考え合わせて、例えば、大山の五、三半、三のところで、よけいな息を多めに吐きながら降りてくる、声を押しながら吐くというテクニックを使っています。

そうすると、吐いてしまえば、息は、口を開けるだけで入ってきますから、短いフレーズは、簡単に吟じきる量に足るわけです。

声と息のコントロールができるようになると、吟詠がとても楽になります。

そのテクニックを使えるようになってから、結句の大山、二段上げ、三段上げが、息が足りなくならないで、伸びやかに声が出せるようになりました。と、本当は、言い切りたいところですが、残念ながら、そのようにできることが増えましたとだけ申しておきましょうか。


そして、次に、大きな声、強い声を出したいがゆえに、せっかく開いたきれいな声が出ているのに、七、六と音を下げていくときに、喉に力が入って、あるいは、喉を狭めてしまって、声帯を擦って濁った音になっているというもったいないことが起こっていました。

大きく強い声を出す前に、さきに、美しい声ののまま音を下げていくことの練習をするのが先ではないかと考え、喉を擦らないで、しっかり解放された声を出し、山を降りていくことに専念してもらいました。

まず、七から六へ、きれいに下がりました。
六から五へ音程を下げるのは、また別の問題が起こってきますから、そう簡単にはいきません。
まず、今日は、七から六へきれいに音が移動していきました。

女性と男性の体のメカニズムが違っているという言葉や記事が目に着くようになりました。
違うメカニズムを、一つのくくりで、物事を取り計らうことは、過ちを犯すことになりかねません。

口伝で詩吟を習ってきた私たちは、理論だけでは表しきれない学びがあるのを感じます。

鷺照先生の音源を聞いた方のコメントは、私の吟詠がそっくりだとの言葉でした。
嬉しかったです。そんなことを言われたのは、初めてです。
先生のことを思いだして、ちょっとばかりめったにしない昔語りをしました。


練習に臨む時に、しっかりとテーマをもち、それを告げて、参加してくださったので、その方の特性と、日頃からどうにかしたいとの私の思いとが相まって、とてもうまくいきました。

思いがけないことを指摘をされたときと違って、テーマがあらかじめ分かっていると、その改善を期待しながら前のめりに練習に参加して下さるので、習熟度が格段に違ってきます。

初心者には、自分のテーマは決めにくいのですが、ある程度、進んだ人には、この方法が有効でした。


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まだ、心は西に

2017年06月06日 | 徒然に日々のことを
故郷へ帰ると、遠方からご苦労様と、お客様扱いをしてくれて、京都では、頭の白い老人二人が、荷物をもって、よろよろと歩いているように見えたようで、電車やバスでは、瞬間的に席を譲られ、それも、イケメンさんにね。

すっかり良い気分になって、三日間を過ごしました。

思いがけず立ち寄ることになった友人宅では、焼きアナゴのバラずし(ちらし寿司)が偶然に届いていました。
亡き姉が、帰郷の度に作ってくれていたので、しばし感傷に浸り、ややあって、興奮しながらおいしく頂きました。

友人のお母様が、90を過ぎてお元気で、いらっしゃることと、親しい友人との行き来が心配なくできていることを喜びました。

ゆとりを持っての帰郷だった上に、車案内してくれる友人もいて、お墓参りもできました。
6月2日という日は、父の5月30日、母の6月3日というちょうど命日の真ん中の日です。

同窓会の案内を頂いてすぐに出席を決めてから、いろいろなことが何の支障もなく進みました。父母の思いがあったのかなと思うくらいです。

水がおいしく柔らかで、蛇口から出てくる水が皮膚に優しく、お肌つるつるになるのも、あぁ、帰って来たと、感じます。



食べ物の味が、こちらにいる時は、決してまずいと感じることはないのですが、故郷の空気と水に触れて、頂くと、優しく甘いと感じます。
甘いのは、砂糖の甘いではなく、水が甘いと感じるその甘さです。



こちらのほうが長くなってしまいましたが、故郷の感覚とは、そういうものなのですねぇ。

ツンツンと角や針を出して、攻撃的になっていたようです。
ちょっと胸の中が、暖かくなって、塊が解けた感じがあって、何に、肩ひじはっていたのかなぁと、思います。





           宿泊したアイビースクエア 空がこんなに青かった。


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西方へ

2017年06月01日 | 徒然に日々のことを
6月1日(木)11時半より 同窓会 幹事さんの御尽力により14年ぶりに開催、住所不明の方の探索も大変な労力をもって、行われ、100人の内30人余りの出席で、大盛会のうちに終わりました。

面影のある方、しばらくお話をしてやっと、思いだす方、それぞれでしたが、緩やかに盛り上がりを見せて、皆、満面の笑みでした。

五似ん会のメンバーは、3人の出席、お二人は、それぞれの仕事とお役目で、出席が叶いませんでしたが、夕刻には駆けつけてきて、夕飯を共にしました。

短時間でもやはり、盛り上がったのは、言うまでもなく五似ん会の方です。
それぞれの思いを語りあって、なるほどとひざを打ち、やっぱりこの五人ならではだなぁ。
互いを思いやりながら、厳しい指摘も、暖かい理解もしあいました。
「同朋友有自ずから相親しむ」

思いがけず、川べりの草むらにゆるりと飛ぶ蛍も見ることができました。





もう一つの大きなイベントは、平安神宮の「薪能」鑑賞。
さすが京都、6月というのに、夕暮れになるとダウンを着ていても、冷え込みが厳しかった。
薪の火が、風に吹かれてほんの少しの温かみが届くだけでも、ほっとするくらいでした。

一つの演目ごとに、狂言師がMCの如く登場する初めての方式で、面白おかしく、来年はもう一枚着てご来場をと言っていました。

  今日の演目は、
観世流能  「渠ェ幡」
観世流能  「野宮」合掌留  
大蔵流狂言 「鬮罪人」 
金剛流能  「小鍛冶」




三時には、行列が始まりました。
5時会場の時には、何列にも折り重なった待つ人の列が、整然とゆったりと動きだし、走る人は一人もいなくて、並んだとおりの順番で、席が確保されていきました。
友人の尽力のおかげで、二列目の真ん中の席に座れました。

おかげで、たまさか風の向きで、薪の暖かさを感じ、薪の燃えるかおりがして、情緒たっぷり。



鑑賞後は、友人宅に泊まって、深夜まで、とりとめもなくしゃべり続け、心の洗濯をして、翌日、それぞれ、岡山、東京へと散りました。
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