今日の練習テーマは「息」について。
「盗み息」と良く言われます。
テキストの大きなかぎかっこの場所では、きちんと息を吸いましょう。
そのほかのところでは、上手に息を盗みましょう。と、言われています。
さて、上手に息を盗むのは、息を吸うことと誰しも思うのです。
でも、上手に息を吐くことも大事なのですよ。
思いっきりたくさん息を吸うと、ゆとりで、声が出せると思いがちですが、「思いっきり、ちょうど良い息を吸う」ということが大事です。
ですから、吸いすぎて余った息は、吐きだしてからっぽにしなければなりません。
新しい息をちょうど良いだけの量を吸うことがとても大事です。
そのちょうど良い量の調節ができてなくて良く起こる障害は、転句の終わりの段下がりによくあらわれます。段下がりの前で、息を吸ったにもかかわらず息が足りなくなるのです。
なぜなら、残っている息の上につぎ足した息は、実は、足し算されていなくて、つぎ足しただけの息しか使えなくなっているのです。
だから、たくさん残っていればいるほど、使える息の量はごく少なくて、段下がりを吟じるだけの量にすら足りないのです。
女性の場合、低い音は、出にくいという錯覚を刷り込まれていることが多く、頑張って出そうとして、息をまき散らしながら、あるいは、力が入って息が出にくくなっているということもあって、さながら、燃費の悪い車ででこぼこ道を行くが如くになっているのです。
それで、肝心なところ、ここぞというところでは、息を吸うことより、吐くことを考えます。
青葉の会員さんの一人も、そのことを考えていた人がいました。
ご自分の体調や体の特性を考え合わせて、例えば、大山の五、三半、三のところで、よけいな息を多めに吐きながら降りてくる、声を押しながら吐くというテクニックを使っています。
そうすると、吐いてしまえば、息は、口を開けるだけで入ってきますから、短いフレーズは、簡単に吟じきる量に足るわけです。
声と息のコントロールができるようになると、吟詠がとても楽になります。
そのテクニックを使えるようになってから、結句の大山、二段上げ、三段上げが、息が足りなくならないで、伸びやかに声が出せるようになりました。と、本当は、言い切りたいところですが、残念ながら、そのようにできることが増えましたとだけ申しておきましょうか。
そして、次に、大きな声、強い声を出したいがゆえに、せっかく開いたきれいな声が出ているのに、七、六と音を下げていくときに、喉に力が入って、あるいは、喉を狭めてしまって、声帯を擦って濁った音になっているというもったいないことが起こっていました。
大きく強い声を出す前に、さきに、美しい声ののまま音を下げていくことの練習をするのが先ではないかと考え、喉を擦らないで、しっかり解放された声を出し、山を降りていくことに専念してもらいました。
まず、七から六へ、きれいに下がりました。
六から五へ音程を下げるのは、また別の問題が起こってきますから、そう簡単にはいきません。
まず、今日は、七から六へきれいに音が移動していきました。
女性と男性の体のメカニズムが違っているという言葉や記事が目に着くようになりました。
違うメカニズムを、一つのくくりで、物事を取り計らうことは、過ちを犯すことになりかねません。
口伝で詩吟を習ってきた私たちは、理論だけでは表しきれない学びがあるのを感じます。
鷺照先生の音源を聞いた方のコメントは、私の吟詠がそっくりだとの言葉でした。
嬉しかったです。そんなことを言われたのは、初めてです。
先生のことを思いだして、ちょっとばかりめったにしない昔語りをしました。
練習に臨む時に、しっかりとテーマをもち、それを告げて、参加してくださったので、その方の特性と、日頃からどうにかしたいとの私の思いとが相まって、とてもうまくいきました。
思いがけないことを指摘をされたときと違って、テーマがあらかじめ分かっていると、その改善を期待しながら前のめりに練習に参加して下さるので、習熟度が格段に違ってきます。
初心者には、自分のテーマは決めにくいのですが、ある程度、進んだ人には、この方法が有効でした。
「盗み息」と良く言われます。
テキストの大きなかぎかっこの場所では、きちんと息を吸いましょう。
そのほかのところでは、上手に息を盗みましょう。と、言われています。
さて、上手に息を盗むのは、息を吸うことと誰しも思うのです。
でも、上手に息を吐くことも大事なのですよ。
思いっきりたくさん息を吸うと、ゆとりで、声が出せると思いがちですが、「思いっきり、ちょうど良い息を吸う」ということが大事です。
ですから、吸いすぎて余った息は、吐きだしてからっぽにしなければなりません。
新しい息をちょうど良いだけの量を吸うことがとても大事です。
そのちょうど良い量の調節ができてなくて良く起こる障害は、転句の終わりの段下がりによくあらわれます。段下がりの前で、息を吸ったにもかかわらず息が足りなくなるのです。
なぜなら、残っている息の上につぎ足した息は、実は、足し算されていなくて、つぎ足しただけの息しか使えなくなっているのです。
だから、たくさん残っていればいるほど、使える息の量はごく少なくて、段下がりを吟じるだけの量にすら足りないのです。
女性の場合、低い音は、出にくいという錯覚を刷り込まれていることが多く、頑張って出そうとして、息をまき散らしながら、あるいは、力が入って息が出にくくなっているということもあって、さながら、燃費の悪い車ででこぼこ道を行くが如くになっているのです。
それで、肝心なところ、ここぞというところでは、息を吸うことより、吐くことを考えます。
青葉の会員さんの一人も、そのことを考えていた人がいました。
ご自分の体調や体の特性を考え合わせて、例えば、大山の五、三半、三のところで、よけいな息を多めに吐きながら降りてくる、声を押しながら吐くというテクニックを使っています。
そうすると、吐いてしまえば、息は、口を開けるだけで入ってきますから、短いフレーズは、簡単に吟じきる量に足るわけです。
声と息のコントロールができるようになると、吟詠がとても楽になります。
そのテクニックを使えるようになってから、結句の大山、二段上げ、三段上げが、息が足りなくならないで、伸びやかに声が出せるようになりました。と、本当は、言い切りたいところですが、残念ながら、そのようにできることが増えましたとだけ申しておきましょうか。
そして、次に、大きな声、強い声を出したいがゆえに、せっかく開いたきれいな声が出ているのに、七、六と音を下げていくときに、喉に力が入って、あるいは、喉を狭めてしまって、声帯を擦って濁った音になっているというもったいないことが起こっていました。
大きく強い声を出す前に、さきに、美しい声ののまま音を下げていくことの練習をするのが先ではないかと考え、喉を擦らないで、しっかり解放された声を出し、山を降りていくことに専念してもらいました。
まず、七から六へ、きれいに下がりました。
六から五へ音程を下げるのは、また別の問題が起こってきますから、そう簡単にはいきません。
まず、今日は、七から六へきれいに音が移動していきました。
女性と男性の体のメカニズムが違っているという言葉や記事が目に着くようになりました。
違うメカニズムを、一つのくくりで、物事を取り計らうことは、過ちを犯すことになりかねません。
口伝で詩吟を習ってきた私たちは、理論だけでは表しきれない学びがあるのを感じます。
鷺照先生の音源を聞いた方のコメントは、私の吟詠がそっくりだとの言葉でした。
嬉しかったです。そんなことを言われたのは、初めてです。
先生のことを思いだして、ちょっとばかりめったにしない昔語りをしました。
練習に臨む時に、しっかりとテーマをもち、それを告げて、参加してくださったので、その方の特性と、日頃からどうにかしたいとの私の思いとが相まって、とてもうまくいきました。
思いがけないことを指摘をされたときと違って、テーマがあらかじめ分かっていると、その改善を期待しながら前のめりに練習に参加して下さるので、習熟度が格段に違ってきます。
初心者には、自分のテーマは決めにくいのですが、ある程度、進んだ人には、この方法が有効でした。