風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

メール送信可能に

2007年04月13日 | 日本から
メール送信ができるようになりました。
ほんのちょっとのことで、あれこれさ迷ってしまういつまでも初心者の私でした。(^_^;)

コメント

心半分

2007年04月12日 | 日本から
娘と鼓太郎が仲良く住んでいたマンションの部屋を、今度は3人と1匹とか心地よく過ごすために、あれこれと聡怩竄逡ミづけが毎日のように行われています。

時々、「あ、そうか、ここはウランバートルじゃなかったんだ」と気づくことがあり、まだ気持ちを半分残している感じです。

帰りたくなかったわけではないし、嫌いで一刻も早く帰りたいと思ったわけでもなく、住む羽目になったのだから、出来るだけ楽しもうと、無理なく出来ることを出来るようにやってきたのですが、確かに、今思うととても手ごたえのある2年間でした。

そういうすごし方が出来たのも、最初の10ヶ月間を完全に守られた形ですごし、穏やかにモンゴルになじん出来たことが、そして、半年の冷却期間を置いて、2度目には、ある程度覚悟して来蒙したことが良い結果をもたらしたものと思います。

仕事として、結果を要求されたら、私のことだからきっと窮屈になって投げ出したことでしょう。
好きでやっていることですから、評価される事など望まなかったし、自分の自己満足でやめないできたことが、気持ちのゆとりを持って続けられた最も良い理由だと思えます。
その中でも、何かの時には一番良い形で、助っ人さんが現れて、支えていただけたことも、素直な気持ちで続けられた大きな理由なのでしょう。

まだ、心を残しているくらいですから、思い出になるには時間がかかりそうです。
ふらふら、あっちこっちしている今も、まぁ、それはそれで無理して気持ちを呼び戻そうとしないで、その状態をそれとして認めながら、日本生活へのリハビリをしましょう。

ただいまと言うメールを送信しながら、まだ、地に足が着いていない感じ。
若いころのように、ぶっちぎりで、心をひっぱてくることはしないでおこう。
今、どうしても面唐ゥなければならない者がいないということも、そのままにしておこうと思うのだろうし、「ねばならなぬ」と思わなくなったこともあって、自由に自然にと気持ちを遊ばせられるようになったのかなぁと思うことにしています。

モンゴルの皆さん、日本の皆さんよろしくお願いします。
今後、モンゴルのことを書いてきたHPとブログをどのようにしたらよいか、思案中です。

日本では、モンゴルの活動的な私は当分なりを潜めると思うので、アップもままならないだろうし、適当な素材を見つけたら、ブログ継続あるいは別ブログを考えるかなぁ。。。

ちょっと小休止ですかね。
でも、毎日毎日書く事を続ける習慣がせっかく出来たのだから、なくしたくないですし。。。
迷ってます。



コメント

メール送信

2007年04月10日 | 日本から
ただいま、メールの受信は出来ますが、送信が出来ない状態です。

写真、メッセージを頂いた方、送別会、歓迎会に参加いただいた方々へお礼のメールが送れません。

大変申し訳ありません。
設定について、あれこれやっておりますが。。。(^_^;)
いま少しお待ちくださいませ。

コメント (1)

モンゴル会

2007年04月08日 | UBから
帰国翌日、地方に帰られる方もいらっしゃるので、「モンゴル会」と称して私たちの歓迎会をしていただきました。
ちょうど、シニアボランティア派遣の15周年を記念するャXターをお土産に、そして、今年は日モ友好35周年でもあり、その記念切手も発行されました。

モンゴルを知る人にとって、オトゴンテンゲルはモンゴルの山、そしていわずと知れた富士山は日本の山。
その二つの山をデザインした記念切手も良いお土産になりました。



日本とモンゴルの旗、公募したロゴ、桜とエーデルワイスがあしらわれていて、良い記念でした。
(モンゴル中央郵便局で、1、380トグルクで売っていました。)
コメント

チンゲル亭の表紙

2007年04月07日 | UBから
   ご愛読ありがとうございました。

2年間のUBでの生活をつづってきた「風のこたろう」は、すみこの帰国によって、終わりを告げることになりました。

2005年4月から始まり2007年4月で終わったUB生活では、いろんなことがありました。
日本に居るときから夢見ていた老後は、文化系とスメ[ツ系の趣味を持ちボランティアをする。
その3本の柱に支えられて、若々しく明るく楽しくありたいと願った生活が、そこに早々と実現しました。
UBでは3本の柱が完璧なバランスを保っていました。
さて、こちらでは、どれだけバランスを保って3本の柱を立てることができるかが、命題です。

夫は、また、彼の専門を生かしてUBへと旅立つことになりましたが、仕事の性質上、私は日本で留守番をしなくてはなりません。
日本では、平々凡々な主婦のこと、この2年間のような劇的な生活が展開されることはないでしょう。
ここで、ひとつ区切りをつけて、風のこたろうUB編の終了を致したいと思います。



コメント

出発

2007年04月07日 | UBから
夫の2年間の任期が終了しました。
ほんとにお疲れ様でした。

朝、4時50分にお迎えの車が来ました。
6時30分発のMIATに乗るためです。

こんなに早い時間にもかかわらず、お見送りに駆けつけてくださった方が居ました。
ほんとにありがとうございました。
別れはつらいからと、在任中お見送りに空港に行ったことが無いにもかかわらず、私たちのために来ていただいて、恐縮の極み。
記念撮影をしたりして、はしゃぎまくり、ハイテンションにしていました。

さすがに、成田国際空港にランディングしたときは、思わず、落としそうになったものがありました。
今度は、娘に会えると気持ちを高揚させて、笑顔。

はぁー、かなり疲れました。





上空写真を見ると、いまさらに思うのですが、モンゴルって平原だけではなくて、川もあるし、高い山もあるんですよね。
これが、緑の草原に変わるのは、5月も終わりごろ。
毎週のように、美しい花が咲き乱れていたのを昨日のように思い出します。
今年は、雪が少なかったので、花や木の生育はどうでしょう。
去年のように、雨が多いと草原の草も生い茂るのですが。
今年は、牧草屋が集めた草がトラックに積まれたまま売れ残っているのも見られるほどでした。
今年も、草が生い茂って馬や羊たちの飼料が十分ありますようにと、上空から祈らずに入られませんでした。



コメント

出発

2007年04月07日 | UBから
夫の2年間の任期が終了しました。
ほんとにお疲れ様でした。

朝、4時50分にお迎えの車が来ました。
6時30分発のMIATに乗るためです。

こんなに早い時間にもかかわらず、お見送りに駆けつけてくださった方が居ました。
ほんとにありがとうございました。
別れはつらいからと、在任中お見送りに空港に行ったことが無いにもかかわらず、私たちのために来ていただいて、恐縮の極み。
記念撮影をしたりして、はしゃぎまくり、ハイテンションにしていました。

さすがに、成田国際空港にランディングしたときは、思わず、落としそうになったものがありました。
今度は、娘に会えると気持ちを高揚させて、笑顔。

はぁー、かなり疲れました。





上空写真を見ると、いまさらに思うのですが、モンゴルって平原だけではなくて、川もあるし、高い山もあるんですよね。
これが、緑の草原に変わるのは、5月も終わりごろ。
毎週のように、美しい花が咲き乱れていたのを昨日のように思い出します。
今年は、雪が少なかったので、花や木の生育はどうでしょう。
去年のように、雨が多いと草原の草も生い茂るのですが。
今年は、牧草屋が集めた草がトラックに積まれたまま売れ残っているのも見られるほどでした。
今年も、草が生い茂って馬や羊たちの飼料が十分ありますようにと、上空から祈らずに入られませんでした。



コメント

記念の勲章

2007年04月04日 | UBから
今日は、定例の教授会だそうです。
その教授会の席で、二つの勲章が夫に授与されました。
ひとつは、20年以上地質の専門家として業績を残した人に授けられるもの、ひとつは、大学の先生として業績を残したものに対して授けられるものです。

たったの4年間で、専門家としての業績を認められたことに、大いに誇りえることだとは思います。
先生としての勲章(私にはバッチとしか移りませんが、ごめんなさい)よりも専門家として、教授会の面々が認めたということに意味があると思います。

夕方からの、送別の夕食会には、教授から両方につけてくるようにと助言されたのですが、私は地質の専門家だからと言って、先生に与えられる大きいほうのバッジ(勲章)は家において行きました。

夫の頼みで、写真をアップするのは、控えさせていただき、ご報告のみにさせていただきます。
コメント

モンゴル最後の旅が終わり

2007年04月03日 | UBから
ホスタイ ツーリストキャンプで3日間のんびり過ごし、3時にはお迎えの車が来ました。

もう、次が無いのだから、予定通り無理やりアパートを後にしました。
春が、かすかに感じられる、タヒの保護地区は、私たち以外の人と出会うことがありません。
何もかも忘れて、2回のゲル泊を楽しみました。

相変わらず、お互いに相手のしたいことに干渉せず、行動をともにしたのは、二日目午前中の散策です。

2時間も上り坂を歩き続けたとは思えないくらい爽快で楽な散歩でした。
車も人さえ見えない体験は、モンゴルならではのことです。

夫は、4年間、私は2年10ヶ月のモンゴル生活が、終止符をうとうとしています。

夫は、仕事の成果ということで、結果を出すことが出来ました。
私は、何が出来たのかなぁ。気持ちの変化は有ったのかなぁ。
よくわからないのですが、オルティンドーは習いはじめよりは、自分なりには納得のいく声が出ていると思えます。
乗馬は、一人で乗り降りが出来、素直な馬だったらある程度操縦できるようになりました。
三つの柱の最後は、ボランティア。SAVE THE CHILDREN UKの子供たちが、日本語で挨拶をして、二言三言はなすことが出来、折り紙を10種くらい覚えました。
UKからの感謝状は、額をはずされスーツケースにしまわれています。

日本では、たぶん飾ることは無いでしょうが、夫の賞状と勲章は、わたしたちの心の中に輝いています。

モンゴルに来ることによって、たぶんたくさんのものがもたらされたはずです。
今、自分ではこれとこれと挙げることは出来ませんが、日本での生活の中で、ひとつずつわかってくるように思います。



コメント

ホスタイ三日目

2007年04月03日 | モンゴル風景
三日目は、昨日の暖かさがうそのようにまた風が吹き、ほほを指す冷たさ。
午後には、出発するので、ストーブに燃やすものは薪しか用意されていません。
お湯だけはャbトにたっぷりくれるので、お茶をいれ、ゲルの中で夫は本を読み、私は折り紙。

やがて、ゲルのドアから、子供が水を汲んで帰るのが見えた。
3人の子供たちに声をかけ、折り紙と飴をあげてちょっとだけ遊んでもらった。







ほっぺを真っ赤にして水のャ潟^ンクを3人で力を合わせて運ぶ子供たち。
元気に遊び、ねずみの折り紙をとっても喜んだ。
そんな子供たちを見ていたら、寒いから、もっとスト<uを燃やしてと、いえなくなった。
薪入れのブリキ缶とャ潟oケツの石炭入れは、補充してもらうことをやめて、お昼ご飯を食べに行くレンガの建物の暖かさを、待つことにする。


コメント