湿度60%の昨日今日は、特別肌の潤いがあって、私ってこんなに肌が潤っていると大喜び。
あのモンゴルの日射しと乾燥に耐えてきたのだから、これほど潤う日本では、手放しで肌のお手入れを怠り、ノーメイクで隣のスーパーへ平気で出かけています。
お肌に水分を補うことは、ほんとに大切です。
乗馬のときは、ばっちり日焼け止めを塗っていっても、汗でサングラスが滑り、すぐに剥げてしまって、肝心の頬はほとんど効果をなさず、キャンディキャンディ状態。
来年の、そばかす?の浮き上がりが浮「。くわばら、くわばら。
スーパーでは、みずみずしい野菜や果物がずらりと並び、お菓子売り場にはチョコレート以外のおいしいそうなものがいっぱい。
あまり沢山で、どれに手を伸ばそうか、思案投げ首。
夕方急に思い立って作りたくなっても、食材があっという間にそろってしまう。しかも、必要な量だけ買うことが出来る。
なんて、贅沢なことだろうか。
そう、思いつつ、モンゴルに惹かれる思いがあって、これはなんなんだと一人で自問自答。
いろんなものが足りない状態にあると、人は、優しく鷹揚になり、小さいことにこだわらなくなるもののようです。
完璧を望まなければ、楽ちんで楽しく、豊かに過ごせるのでした。
日本に居たら、知りあえなかった人。物理的心理的に遠くに居るはずの人が、にわかに距離を狭め親近感を持つのも、モンゴルマジックなのだろう。
モンゴルの強烈な乾燥は、汚れがこびりつくことがほとんどなくて、パタパタと払えば落ちてくれた。
雑菌はほとんど繁殖しないから、いろんな好ましくないにおいも感じられなかったし。
雑巾は、軽く洗うだけで真っ白になった。
だから、ゲルの生活が成り立つのだなぁ。
肉は、塊でしか買えなかったけれど、ハーブという自然食を食べてきた牛や豚は、羊ほどではなくても固有のにおいを発散して、元気な肉だった。
よく噛んで食べるとエネルギーが沸いて来る気がした。
パックにきれいに並べられて売っている肉にはないエネルギーがあったと思う。
薄切りの肉は、短時間で火が通り、ほんとに便利なんだけど。
ほんとに気持ちが潤ったのは、モンゴルだったのかもしれない。
そう思うのは、長年の母の介護で、心も体も干からびそうになっていたときだったから余計にそう思うのかもしれませんが。。。
内からの潤いと外からの潤いと。