風のこたろう

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'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

とても残念

2006年10月26日 | チンゲル亭裏日記
今日の12時をもって、日モ友好秋の件p展は終わりました。
たくさんの人が、見に来てくださったようで、盛況のうちに終わりました。

今朝、SAVE THE CHILDRENに行く前に、TUUL、ニコ、とTUULさんのボーイフレンドでドイツ人のマルチンの4人で、展覧会を見に行きました。

たくさんの件p作品を見て彼らは、驚き喜んでいました。
一般の人たちが、こういう作品を鑑賞する機会はあまり無いようですから、小学生のニコにとっても、いいことだったと思います。
日本語科の先生にも招待状をお配りしてのですが、どなたかでも着たいただいたでしょうか、あるいは、学生に渡していただいたのでしょうか。
件p大学の学生さんは、先生たちの作品が出展されていますから、たくさんの来場があったそうです。

陶撃ノついては、モンゴルではあまり見られないので、好奇心たっぷりのTUULさんからいろいろと質問が出ました。
釉薬についてきちんと説明ができなかったので、わかってもらえたでしょうか。
マルチンは、中国の研究家なので、とうげいとはどんな漢字を書くのかと質問がありました。

とても残念なのは、その前日すでに金井さんが出品したトナカイの角を彫って作ったペンダントヘッド(銀の鎖付き)がなくなりました。

監視のための人員は配置してあるのですが、目が届かなかったようです。
ほんとに残念です。
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ドイツ人 マルチン

2006年10月26日 | SAVE THE CHILDREN


マルチンさん トゥールさん ニコちゃんと、作品展を見に行きました。
モンゴル人の画家の説明に、3人は熱心に聞き入っていました。
マルチンさんの見入っているのは、らくだの骨に彫刻をした像の造詣作品です。

観覧は20分で切り上げて、SAVE THE CHILDRENへ滑り込みセーフ。
トゥールさんの友人はドイツ人なので、せっかくですから、ドイツの子供たちの話をしてもらいました。
子供たちは興味深く話を聞いていました。
トゥールさんの子供たちの興味を惹くように上手な抑揚がさらに興味を惹きつけたようでした。

彼の話が、ずいぶん盛り上がって予定の時間をかなりオーバーしました。
まぁ、これも良し。今日できないことは、来週に回せばよいのです。
宿題を見て、た な は行の書き方、発音をしていたら、ほとんど時間がなくなりました。
「さるさん、りんごを取ってください。」「ありがとう」の絵本を使って、動物の名前を覚え、ありがとうを覚えます。
この本は、単純なので、いろんな使い方ができます。
それをトゥールさんは、とても興味深かったようです。
「3度目には、子供たちはとてもよくわかってきました」と言う表現でした。
彼女は、感情のよく動く人です。言葉より、その目と表情がよく思いを伝えてくれます。

折り紙は、変わり風船です。
風船は、もうすでに教えてあげたのですが、半数は忘れています。
同じような折方で、ちょっと難しくなるものが、少し間をおいて出てきたので、折り方がたやすく頭に入ったようです。
この折方は、友人のEさんに教えていただきました。
近いうちに、彼女に参加していただくつもりです。





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ナツァグドルジ

2006年10月25日 | UBから
オペラ ナツァグドルジ作 「悲しみの三つの丘」を見に行きました。

この日は、ナツァグドルジの生誕100年の日を記念して、オペラの開演でした。
土曜日でも日曜日でもないので、何かあるのかな、しかも6時半と開始時間もいつもより1時間半も遅いなぁと思いながら、友達と行きました。

オペラ座の入り口に,見なれた顔の俳優が扮装をして立っており、兵隊の格好をした俳優も、ドアの前に陣取っています。
そして、観客になるはずの人たちが中に入れてもらえず大勢集まっています。その列に加わって待っていました。

そのうち最初の俳優がマイクを持って何かしゃべり始め、100と言う数字が聞き取れました。
オペラ座の階段に道を明けなさいという指示に、ずいぶん素直に素早く人々が反応しました。
しばらく待っていると、黄色のシティータクシーに乗った人が乗り付けました。
それぞれ正装をして、楽器を持った人たちが、次々到着する黄色い車から降りてきます。
拍手 拍手!
いつも一番前の席で見るので、オーケストラ ボックスの中にいる顔なじみの人たちです。
やがて、オペラの扮装をした俳優たちが続々到着し始めました。

記念の日の特別な演出でした。
これがハリウッドなら、この階段に赤い絨毯が敷かれ、到着する車は、リムジンであったりするのでしょう。

今日の演目は、モンゴルの作家の書いたモンゴルのお話ですから、その観客のほとんどはモンゴル人です。
今日は、二階席まで一杯でした。
友達の知り合いの馬頭琴つくりの男性が、招待客として来ていました。
オーケストラや俳優の家族、音楽関係者が数多く招待されている様子でした。

結婚を間近かに控えた幸せな恋人が、横恋慕した王様によって引き裂かれるのですが最後は彼女を取り戻しハッピーエンドと言うお話です。
最後のシーンは、モンゴルの結婚式です。

ご馳走が並べられ、馬乳酒の大きな器が配られ、相撲も行われます。
圧巻は、オルティンドー男性歌手によるオルティンドー、そしてオルティンドーの大合唱です。
民族衣装を着て、盃を持ち心地よい音色にこちらまで酔いました。

今日のもう一つの趣向は、4幕のそれぞれの主役級の演者4人が変わりましたので、都合16人で演じられました。
1幕目は、新人さんだったようで、モンゴル人独特の心地よい歌声ですから、眠ってしまいました。
このまま、最後まで眠りながら見るのかと思っていたら、2幕目からは、眠るどころではありませんでした。

モンゴル語の理解はまったくできないのですが、俳優の声の演技から伝わってくるものが有って、とても楽しめたのです。
言語の脳の部分ではチンプンカンプンでも、魂の深い部分で理解していると言う感じでした。
今日は特別な日ですから、役者さんも心をこめた演技だったのでしょう、そして、二度目の観劇ですから、より理解できたのかもしれません。

王様の側めたちが、彼女の恋人への気持ちを変えさせようと手を変え品を変え説得する場面は、モンゴル語の「~~シュウ」と言う語尾が、とても生きていたように感じました。
その側めたちの衣装はと言うと、日モ件p展の絵の通りです。
ほっぺに小さめの赤い丸の頬紅と30センチ以上も長い袖のぶらぶらががとてもかわいいのです。
こんないい作品なのですから、モンゴル人だけでなく外国人ももっとたくさん見に来るといいのに。
こんな演出が有ると知っていたら、せめて、オペラ座の外の写真を撮ったのですがあいにくカメラを持っていきませんでした。
明るいときに、外の看板がきれいになったというので、撮りに行きたいと思います。

        29日(日)夫と散歩がてら撮ってきました。
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日モ友好秋の展覧会

2006年10月24日 | UBから
モンゴルの件p家30人と日本人件p愛好家による秋の展覧会「草原の太陽」が開かれました。


草原とゲルと馬のモンゴルに、このように質の高い件pがあることに失礼ながら驚いたのは3年前。
見るたびにすばらしい絵が増えていることに、感動を覚えます。

日本にいらっしゃった陶撃フ先生と奥様の作品が展示されないのはほんとに残念です。先生が日本に行く前ににいただいた小作品を、私と夫の器たちの隣に内緒で、独断で並べさせてもらいました。いかにも私と夫の作品のようになりました。先生ごめんなさい。(了承を得ないで名前を出すわけには行きませんから)


アムガラン












モンゴルの件p家の作品のブログ掲載は、担当者のバトルガさんの了承を得ました。



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吉田拓郎 かぐや姫 嬬恋

2006年10月24日 | こたろう

3万人コンサートって、こんなにすごいものだったのねぇ。
今日、NHKで見て驚いた。
31ねんぶりのコンサートに3万5千人も集まって、それが、おばさんよりおじさんのほうが多いと言う、まれに見るコンサートでした。

日本中どこに行っても、おばさんの影におじさんが小さくなっていると言うのに、その日の嬬恋は、おじさんたちの天国だった。

31年前の、嬬恋コンサートを何度もすごいと聴くことはあったけれど、フォークソングが好きなのに、なぜかぴんと来なくて、そんなものあったの?気分でした。
謎が解けました。1975年8月は長女が生まれた年です。
初めての子育てに、ありえないアクシデントが重なって、私は孤軍奮闘していたときでした。

娘が、健康で大きく生まれ、しかも夏であったことから、大して苦労とも思わず、というよりも苦労と思う余裕も無く、頑張れていたのでした。
世界は、娘と私だけ。それは、それは濃密な以心伝心の時間が過ぎていました。そっか、生まれたばかりの赤ちゃんはしゃべれないんだものね。
もう独りの大人が居ないことで、言葉を使うことをしばし忘れていた時期でもありました。

それで、話題のコンサートは、私のアンテナに引っかかることなく、話題になるたびに「?」だったのでした。

吉田拓郎って、すごい人なのねぇ。いい歌を歌ってますねぇ。
3万人の大合唱の声がそろってるなんて、すごいなぁ。
みんな歌詞覚えてるし、30年以上もファンでいることもすごい。
その時々で、左右され節操も無く、ふらふらしている私とは違う人たちだ。

私もその前から、ナットキングコールは好きだけど、それほど熱狂的ではないし、歌詞は覚えてないし、歌えないし。歌えるのは、モナリサをちょっとだけだし。
ビートルズもイマジン イエスタデイくらいだし。。。。。
PPMは、パフだけか。。。
近頃、「わかいころからずーーーっと」と言う言葉に、すごくうらやましさを感じます。
今から何か好きになって、30年、、、ウ!80サイを超えて、、、、、
ウーーン ありえない? ありえるかも?
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寒くなると

2006年10月23日 | チンゲル亭裏日記

先週末は、湯たんぽの心地よい温度を楽しみながら、思いのほか冷え切っていた体を温めていました。
その時、読んでいた本は。
登場人物たちは、私よりかなり若い年代なのですが、同じ感覚で読み進めるのが面白かった。
結婚して子供も居てという年代になると、10才や20才の年齢の差は関係なくなってくるのだろうか、それとも、作者の恩田陸さんが私の感覚と同じだからなのか。
久しぶりに、うんうんとうなずきながら心地よく読み進める面白い本でした。 (日本モンゴルセンターで借りた「黒と茶の幻想」)

そのほかには、友達が日本から持ってきてくれた内田康夫シリーズ、ダ・ヴィンチコードを斜めに読み返し。センターで借りた「わが人生の案内人」ー澤地久枝ーを途中まで読みました。

NHKの週間ブックレビューは、毎週楽しみにしている番組です。
いろいろな本の紹介をしてくれるので、うれしい。
そして、アマゾンのウイッシュリストに書き込んで、帰国したら読みたい本のリストが次々に出来上がっています。
わがやからの足も便利になったことだし、神田の古本屋さんや、大手町の紀伊国屋にも行ってこの目と手で選びたい。

手近な本屋さんで、手近に済ませていた読書の傾向を少し改めたい。
図書館をまず上手に利用しよう。
本を読みたい熱が、寒くなってくると高まってくる。
とりあえず、明日は、日モの展覧会に出展しに日本センターへ出かけます。また、本を借りてきましょう。限られた本の中から選ぶのは、難しいときとすんなり決まるときとあります。
もっと、本をそろえてほしいなぁ。
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倉敷=綿菓子の様な思い出

2006年10月22日 | チンゲル亭裏日記

倉敷で過ごした2年間は、まるで羽が生えたように自由で、楽しくて、うれしくて、何の不安も無いときでした。

倉敷に引っ越してきたときには、三人のうち二人が嫁いでおり、一人残った姉も進学で忙しく、お目付け役を務めるものが居なくなりました。
それで、2年生にもなったことだし、一人で出かけることを許された時期だったのです。

倉敷の家は、住宅街であっても小学生の足で歩いていけるところに、本屋さんも八百屋さんも肉屋さんも呉服屋さんもありました。
母のお使いを頼まれたり、自分の本を買いに行ったり、一人で出かけるのがうれしくて、世界は私一人のものと実感したときです。

父は、定年を前にして、とても偉い人になったらしく私にとってヒーローでした。そして、年の離れた末っ子の私は父の溺愛の対象でしたから。
母は、7人家族からそれぞれが独立して4人家族になって、時間も経済的にもゆとりができて、家の中が静かで落ち着いていました。その頃はいつも、笑っていましたし、何よりも駄目といわれた記憶がありませんでした。

転校した小学校では、クラスのみんなに大事にされて、先生はおおらかだったし、何も憂いの無い、秋晴れのような、綿菓子のような、日々でした。

その中で、心ときめかせるところがありました。
なぜかよく遊びに行っていた父の職場の前の川を挟んだ向かい側に大きな洋館がありました。
見たことも無かった柱の高い高い洋館に、黒い大きな今にも動きそうなブロンズ像が立っている緑の茂った建物でした。

高校生になって、大原美術館と、緑は新渓園であることを知りました。
その隣りのエルグレコという喫茶店に友達と入ったときは、夢のようで、うれしかったのです。
その頃の私といえば、喫茶店なんて入ったことの無い田舎の高校生でしたから、またまた、大人になった気分になり、世界は私のものと感じたのでした。

私にとって、倉敷は、思い出すだけで、のびのびーとするところです。
そして、機会があれば何度でも行きたい、そうそう、大人になってから主人と一度だけデートした鶴形山公園のあるところでもあります。(^^♪
幸せの一杯詰まった倉敷。
帰国したら、大阪と倉敷は絶対行くぞぉー。
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大原美術館

2006年10月22日 | 出会った人
      大原美術館
久しぶりに大原美術館のサイトを覗いて見ました。
盛りだくさんの資料館のようになっていました。

両親が亡くなって実家も整理されてしまった後も、お墓参りにいったら必ず時間を作って美術館あたりを散策しました。
美術館の前を流れる倉敷川を挟んだ向かい側には、父の職場もあり、懐かしさで一杯になるところです。

美術館の入り口には、カレーの市民 と 洗礼者ヨハネが出迎えてくれます。

アニエールの街路は、ユトリロの作品だと覚えていたのですが、今日サイトを見てラファエロと記述があり、どこでどう間違えたか(^_^;)

大原と言えば「受胎告知」です。作者のエルグレコの名前の付いた喫茶店が美術館の隣りに有るくらいです。
板張りの床のシックなお店です。

近くに住んでいたころは、その店は入ってみたいなぁだけで終わったのです。
高校生のときは、友達とどきどきしながら初めて入ったときは、感激でした。
田舎町に住む高校生にとっては、喫茶店なんて、まだまだ、めったに入れるところでは有りませんでしたし、小さいころからの憧れの店でしたから、晴れ舞台のようなものです。
美術館の館員さんや、エルグレコのウエイトレスさんまでもが、特別な違う世界に生きている人のように思えました。

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劇団「東京青松」

2006年10月21日 | 日本から
「東京青松」
私の知り合いが東京で、活躍しています。
まもなく公演がある様子です。
モンゴルから、東京の興味のある方へお知らせいたします。

あえて申しますと、メンバーのお母様が私と同年代です。
したがって、若い集団です。(^^♪

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秋の雨

2006年10月21日 | チンゲル亭裏日記

窓から見える向かいの屋根が白く化粧をして、いかにも寒そうに凍っています。
乗馬の禁足令です。馬に乗らなくても、田舎に行ってゲルのストーブのそばでのんびりするのもいいなと思っていたのですが、あまりの顔色の悪さに、暖かくして部屋を出ないでいることになりました。
アパートのコンクリートの中より、ゲルの薪ストーブの暖かさのほうが体に良いと抵抗したのですが、、、

つれづれに、電子辞書を引いてみたら、いろいろと面白い言葉が出てきました。
思い違いをしていた言葉や慣用句などもあって、たまには、辞書も読んでみなくチャと思ったことでした。

初めて知ったことわざを一つ
『秋の雨が降れば、猫の顔が三尺になる』
 《意味》 秋は晴れの日より、雨の日のほうがむしろ暖かいと言うこと。
 《注釈》 秋に雨が降ると寒がりの猫が喜んで、顔を三尺も長くすると言うことから。

なるほど、鼓太郎が去年初めて風邪を引いたのは、暖房の入る前の秋のことでした。
人間が寒いと感じる前に、猫は寒さを感じているのをそのことで知ったのでした。
来年の秋は、鼓太郎の顔が長くなるのを観察することにしましょう。

UBでも、9月になって空が曇り、雨もよいになると「雨になれ」と願います。
その通り雨になると「はぁ、良かったまだ暖かいんだ」とほっとするのです。
そして、雪になると、身を引き締めて、冬の到来を覚悟します。

こちらは乾燥して居ますから、雪には水分が無く積もることはめったにないのです。
屋根が白く染まってそれと分かります。
前のアパートには、枯れ草の残る庭がありましたから、その上に白く残っていましたが、今のアパートはコンクリートに覆われています。
今のところ通路まで白くなることは無くて、すぐに解けて、コンクリートが黒く光っています。
日陰に雪が溶け残り、アイスバーンになるのはまだ先のことです。
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