譜№25 大山 の形を習得中の男性。
とても気持ちよく詠っています。吟詠が、ゆったりとして来ました。
大好きな漢詩をうれしくてたまらない様子で、吟じられます。
この思いに水を差さないで、もっと気持ちよく、関吟の約束事に添った
吟じ方ができることをわかっていただくには、どうしたらよい?
毎回、立ち止まり、毎回同じ結論を出す。
小細工をしないで、私の感じたままを伝えるしかない。
〈余計な雑音を入れない。〉
楽をしようと思っているわけではないことは十分わかっています。
意識とは別の体が、欲しているのだろうと思う。
六の高さがきれいに出て、更にのびやかな声・音が出てくるようになったのになぁ。
濁った音色の六ではずみをつけて、七の音に上がる癖がある。
女性には、見かけません。
六の高さの音色のまま、丹田に意識を下ろして行く(決して力をいれるのではない)
すると、美しい音色のまま七の高さの声がでる。
ほら、できるじゃない。
その意識と体との連携を、うっかりすると忘れる。
その濁った音をださないで、とか、弾みを付けようとしないで、とか、毎度言葉を変えてみる。
気持ちよく吟じれば吟じるほど、テキストにはない音が出現する。
そして、山を下りていくときにも、五から三半の高さに下りる時も、無駄な音階が入る。
毎回、訂正してすぐに治るのであるが、次の練習では、また同じ繰り返し。
ここであきらめてしまうと、その上には、伸びていくことが出来ない。
ただただ、気付きを促す。
手を変え品を変え言うのではなく、同じ言葉で、ただただ繰り返す方が良いのかもしれない。
ほんのちょっとしたことを見逃すと、先に言って、大きく道が広がって、元の軌跡に
戻すのが、多大な時間と量力が必要となる。
そうなって、悩まないで済むようにと考える。
しかし、自分が理解して、自分で変えようとしない限り変わらないのである
ということもよくわかる。
転ばぬ先の杖は、上を目指すには、余計なのかもしれない。
それでも、言わずにはいられない。
ここまで来て勿体ない、もっと先にいけるのに。もっと楽しんで詠うためにを考える。