お休みしている夢松風のみなさんへ手紙を書きました。
「お休みの間に、自主練習をして、腕を磨く」と言う攻めの自習は、求めないことにしました。
時節柄、大きな声を出すことへの抵抗があります。
そして、音源の資料を送って、吟詠を聞くというのもねぇ。
たった2分の吟詠を、隅から隅まで、聴くのは、とんでもない集中力が必要です。
その集中力は、別の時に取っておくとして、今は、守りの自習をして頂きましょう。
① 楽器(身体)のメンテナンス
② 朗読
③ 呼吸を意識する
この三つを、要求して見ました。
①については、何時もやっている詩吟体操を丁寧に数回行う。
② 関吟のテキストは、他流からも絶賛されるほど内容が充実しています。
よく読みましょう。
テキストから得た知識から、その詩への自分の思いを胸に、
さながら演劇をするかのように、朗読します。
アクセントに気を付けて、言葉をはっきり言いましょう。
何度も、覚えるくらいに。
③ 息は、胸ではなく骨盤に貯める感じで。
吐くときは、口を閉じて、シューと音がするくらいの勢いで。
長く、ながーく、細く、ほそーく。
息を口から吸うときのコツは、息次ぎをする前の母音の口の形のまま。
お腹で、捉えます。そして、骨盤に貯めるかんじで。
そうすると、ヒップアップします。
ちょうど、詩吟体操をし終えた時の姿勢になります。
詩吟体操で、身につけつつある基本姿勢は、すべてに通じています。
こんなことを、文章で書いてどれだけ通じるのだろうか。
日頃は、体を動かしながら、目と体とで、行っていますから。
その事を、文字にした時、どうなるのかな?
お稽古のできない時、何ができるのかなぁと。
嬉しいことに、続々と、返事が届く。
それなりに、私の思いを受け止めてくださったようです。
文字は、読むとき、咀嚼する時、祖の内容を使う時、いろんな場面で、化けます。
化けても、「ん?」と言う反応が、起きれば、しめたもの。
「ん?」と言う心の動きが、必ず次へとつながるはず。
次に、会って練習する時、大間違いを発見しても、大丈夫。
修正する作業の方が、大きなものを産むはずだからです。
いつになるのか、その修正を認識して、それぞれに行う作業を想像すると、腕が鳴る。
練習再開までに、自然落下をしてしまったものをすばやく発見して、糧にしようぞ!
どんなに練習して居ても、上昇するものばかりではない。
声でも、技術でも、思想でも、すべてのものには、引力がかかっていて、自然落花するもの。
それを、忘れないで、浮力を与え続けるのは、至難の技。
だから、自分で見つけやすいようにしてあげることも、私の大事な課題。
いつもよく言うことは、「七の音が連続する時は、はっきりと浮力をつけて持ちあげるように二番目の七の音を高めに出すのよ、三番目はさらにね、四番目はもっと浮力をつけてあげて」と。それで、初めて、七の高さが揃います。
声の高さだけでなく、すべてに、あてはまるこのことを、「七」の連続音になぞらえて説明し始めたのは、発見だった。
ただ、黙って、放物線を描かせてはいけないよ。
詩吟教室なのに、声を出してない教室のお話。