風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

母と義母と

2020年11月18日 | 徒然に日々のことを
母を見送って、17年。
義母は、私が介護をしていたころの母とよく似た状況で、義妹が看てくれています。

かなり、元気がないというので、昨日、夫と顔を見せに行ってきました。

母の介護中は、介護仲間のHPで、励まされ、いろんな情報を得ていました。
そのころは、まだ、ケアマネという業務も成熟していなくて、もっぱら同じような状況にいる先輩から教えられることが多かった。

そして、私は、家族は遠方で、姉たちもそれぞれ介護中であったり病弱であったりしたので、あてにするつもりもなかった。
始まったばかりの福祉サービスを受けて、一人で頑張ると決めたから、介護を卒業した時は、やり切ったと、不遜にも思っていました。

義母は、思いのほか元気で、「あら、元気じゃない」と思わず出そうになる言葉を飲みこむ。
介護仲間は、よく言っていたから。
それは、「お見舞いの人が来ると、昨日までの今にもおしまいという様子が嘘のようになくなって元気になる」と。
そして、介護者は大げさだと、言われてしまうと。

だから、夫にも、くぎを刺しておいたのです。
夫は、義母の顔を見て、安堵の表情がありありと、浮かんだけれど、その先の不用意な言葉は、出なかった。
珍しく私の助言を聞いてくれたのだけれど、後になって考えてみたら、義妹は、最愛の兄ちゃんからだと、「元気」という言葉を聞いて、安心したのかもしれなかったなぁと、思う。


そして、10日ばかり前のこと、義妹への電話を切ったあとで、そのにぃちゃんは、「○○子は、夜、ろくに寝られなくて、かわいそうなんだよなぁ」と言う。

「あぁいいなぁ、頼りになる、優しい言葉がけのできる兄ちゃんがそばにいてくれるなんて」と、思ったら、ャ鴻鰍ニ涙がこぼれた。

介護で、泣いたことはなかったのに、鎧っていたんだなぁと、思う。

17年目にして、その、鎧を脱いだのかなぁ。もし20年前、優しい言葉をかけられていたら、ぐずぐずになって、厳しい介護を乗り切れなかった気がする。
ボンドでがちがちに固めた気持ちが、この年月を経ることによって、ほぐされたかなぁ。

自分の母親の介護ができたのだから、何の不足もなかったけれど、義母と義妹と義妹の夫と私の夫の前で、つい言葉が出てしまった。

「母は、『長男に嫁いだ末娘に、面唐ゥさせる私は、世界で一番不幸だ。』と事あるごとに言てったのよね。」
 すかさず、義妹の夫が「お姉さん、お母さんは、幸せだったと思いますよ。申し訳ないという気持ちをその言葉を言うことで、バランスを取っていたんですよ。」と。

私に取って一番つらかったこの言葉が、そういうことだったのかと、鎧を脱いだおかげで、義弟の言葉を、素直に聞くことが出来たようです。

ありがとう。


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