風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

まじむ

2019年12月03日 | 徒然に日々のことを

「風の」に惹かれて読んだ本が、大当たり。

キュレーターでもある原田マハさんの作であることを読み終わって知り、これは実際にあった話と知り、そして、とうとう、通販で、たのんでしまったのがこれ。



ワンフィンガーの私が、酒それも「ラム」を買っちゃった!

家に届くまでは、あっという間だったのだ。

届いて、しばらく、これってお酒よねと思って、3日ほど、寝かせておいた。

一瞬で、決めて購入したのに、今に至ってぐずぐずと...

なんだろ?

すぐに飲まなくてごめんね、冷蔵庫の氷でごめんねと言いながら、ロックにして飲む。

”40”という数字にビビりながら、口にすると冷たさと共に、さわやかさがひろがった。
これを「風が吹く」というのだろうか。

マジムがおばあに教えられて初めて飲んだときの中米フランス領マルティニク島産のアグリコール・ラムは、衝撃だったのに。風が吹いたのに。

そしてその風が、南大東島でとれたさとうきびから、アグリコール・ラムをつくることになったのに。
酒飲みだったら、よかったのに。

もっと、その醍醐味を、堪能できたのに。

1本飲み終えるころに、何か変わるだろうか。







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玉島高校校歌

2019年12月03日 | 徒然に日々のことを
      玉島高校校歌

              山本雅一 作詞  岡本敏明 作曲

1. 青き野に風邪は光りて
   ふるさとの 幸を誇れば
   育ちゆく 身もすこやかに
   あこがれを (われら) 雲にうたわん
   遥照は 今日も晴れたり


2. 師の教え 高く仰げば
 日は昇る 瀬戸の海原
 あたたかき 友のつどいて 
 まなびやは(さやに) 此処に立てり
 美しき 朝はひらけぬ


3. ひたすらに 文を読む日の
 尊きは 若き生命よ
 ああ我等 あすの栄を
 はらからの(うまし) 国にいたさん
 大いなる 希望はわきぬ

改めて、いい歌だなぁ!

1番に出てくる遥照山は、400メートルほどの山ですが、高い建物のない玉島の地では、どこからでも眺められ、その山上では星が降るほどの美しい景色、それ以上に、星を纏うような感じがしました。

今も、その景色を思い描きながら、故郷の話題で、「○○の北の」というとまず遥照山を思い浮かべ、あぁ、あの方向にね!と想像し、「南の」というと、山の景色のない方を思い浮かべ、位置関係を認知することができます。

関東に来て、その山がなくて、とりとめのない、支えのない思いをしたものです。

行動範囲の広い登茂ちゃんには、実際に目に見えなくても、その背骨は、伯耆大山ということが、赤澤真寿美個展の山の絵でわかりました。

私にとっての山(背骨)は、遥照山だった。

校歌は、一番しか覚えてなかったけれど、歌は、スムーズに歌えました。
若いころの楽器で覚えた歌は、高音も伸びやかに出るものなのねぇ。


「出ない」と思うのは、「年」のせいにしているとしか思いようのない、現象を味わった。
あるいは、くたびれた時の体で覚えたメロディーは、それまでのものなんだなぁ。
伸びやかに気持ちが、伸びやかな体を成し、伸びやかに声につながるのだとも。

思いがけなく、50年余りの昔にタイムスリップしたのが、文字ではなく、感覚を共有できる人と
体温を感じながらであったことが、幸せ感を呼び覚ましました。

この処、ざらついた感覚を拭い去ることができなくて、足掻いていたことがあって、世間を小さくして、こだわりを捨てられないで居るからと、気が付きました。

あの頃のしなやかさを思いだすと、「拘りは、執着である」と、理解が動いた。

自然体で、何の衒いもなく日々の生活の中から、描いている赤澤氏の絵を見て、つまらないものを捨てることができました。

皆様へ、一見の価値のある絵たちが並んでいます。銀座へ是非お運びくださいな。
あ、これって、校歌のところではなく、個展の日のブログに書くべきことだった!


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