風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

夢松風9月1回目

2016年09月14日 | 詩吟
前回の課題「白帝城」を仕上げをして、独吟。

はぁーーーー、なんてことだろう!

お名前を頂いた二人の吟詠が、あきれるくらい、「気」がはいっていて、「吟詠」となっていて、驚きました。

雅号効果なのだろうか、自然の流れなのだろうか。
これだけの吟詠をしてくださったら、細かいことはどうでもよいと思う。

そして、その先輩の吟詠を聞いて、後輩さんたちも、とても良い吟詠でした。

やはり、体で奏でる詩吟は、体から体へと転移して、育つものだと思う。

良き先輩を得て、後輩さんたち更に上を行くぞと、がんばれ!

昨日に続いて、嬉しいことが来た。
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三段上げ

2016年09月14日 | 詩吟
三段上げは、かつて一番好きだった吟法です。

中音から、たたみかけるように一気に七の高さまで駆け上がり、「六」に下りて落ち着く。
一気に駆け上がるところが好きで、風を感じながら、頂上を窮める。
そういう若々しい三段上げが大好きでした。

突入という三段上げ+引き落としと言う組み合わせの吟法は、勢いがあります。
「詩吟をしている」という気分になるって、胸がわくわくするものだった。


以前の突入と、今の突入は、ニュアンスが変わってきています。


それは、かつて、引き落としと言っていた吟法が「大中山」と譜名がかわり、やがて、言葉を言いきってからと言う約束事によって、親しんできた引き落としが変わり、関吟の関吟らしいところが変遷していって、、、、


最初に覚えたものは、幸せな記憶と結びついていると、体にしみこんで、住み付いてしまいます。
約束事が変わったからといって、おいそれとそれを抜き去ることができないのです。

さらその愛着は、誇りと共に、体が覚え、住みついたものなら、余計にはぎ取ることができないのです。


正しい形を伝えていかねばならない立場になると、好むと好まざるとにかかわらず、「正しい」「まちがい」を言葉にせねばならないので、困ってしまうのです。


それを、野田 芦孝先生に質問すると、「自分で考えなさい」と、言葉が帰ってきました。

見事に突き放され、自立を促されました。

浜松で、第一撃。そして、第二の目覚めに向かう衝撃は、去年の吟道大学。
その二つの衝撃が、自分で考えなさい、自分で行動しなさいのスタートとなりました。


今日、達人たちの集まるところに行って、しばらくぶりに独吟をお聞きいただきました。
この数年の努力の結果が、やっと形としてわずかながら、表れてきて、その部分を十分にわかったうえで、お褒めを頂きました。

嬉しかったです。


三段上げの戦うイメージと二段の柔らかイメージを持つ吟法への興味の変化のように、私の声の出し方も変化をしました。

今の私にぴったりを見つけられてよかった。
そして、ある程度満足の行く発声ができるようになって、本当にうれしい。

今日に至るまで、体調が低調だったこともあって、かなり、神経質に柔軟性を欠いていたこともありました。

ここにきて一挙に、もろもろが「悪」から「良」にひっくり返ったことを実感しました。

ああ、幸せ。

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