三段上げは、かつて一番好きだった吟法です。
中音から、たたみかけるように一気に七の高さまで駆け上がり、「六」に下りて落ち着く。
一気に駆け上がるところが好きで、風を感じながら、頂上を窮める。
そういう若々しい三段上げが大好きでした。
突入という三段上げ+引き落としと言う組み合わせの吟法は、勢いがあります。
「詩吟をしている」という気分になるって、胸がわくわくするものだった。
以前の突入と、今の突入は、ニュアンスが変わってきています。
それは、かつて、引き落としと言っていた吟法が「大中山」と譜名がかわり、やがて、言葉を言いきってからと言う約束事によって、親しんできた引き落としが変わり、関吟の関吟らしいところが変遷していって、、、、
最初に覚えたものは、幸せな記憶と結びついていると、体にしみこんで、住み付いてしまいます。
約束事が変わったからといって、おいそれとそれを抜き去ることができないのです。
さらその愛着は、誇りと共に、体が覚え、住みついたものなら、余計にはぎ取ることができないのです。
正しい形を伝えていかねばならない立場になると、好むと好まざるとにかかわらず、「正しい」「まちがい」を言葉にせねばならないので、困ってしまうのです。
それを、野田 芦孝先生に質問すると、「自分で考えなさい」と、言葉が帰ってきました。
見事に突き放され、自立を促されました。
浜松で、第一撃。そして、第二の目覚めに向かう衝撃は、去年の吟道大学。
その二つの衝撃が、自分で考えなさい、自分で行動しなさいのスタートとなりました。
今日、達人たちの集まるところに行って、しばらくぶりに独吟をお聞きいただきました。
この数年の努力の結果が、やっと形としてわずかながら、表れてきて、その部分を十分にわかったうえで、お褒めを頂きました。
嬉しかったです。
三段上げの戦うイメージと二段の柔らかイメージを持つ吟法への興味の変化のように、私の声の出し方も変化をしました。
今の私にぴったりを見つけられてよかった。
そして、ある程度満足の行く発声ができるようになって、本当にうれしい。
今日に至るまで、体調が低調だったこともあって、かなり、神経質に柔軟性を欠いていたこともありました。
ここにきて一挙に、もろもろが「悪」から「良」にひっくり返ったことを実感しました。
ああ、幸せ。
中音から、たたみかけるように一気に七の高さまで駆け上がり、「六」に下りて落ち着く。
一気に駆け上がるところが好きで、風を感じながら、頂上を窮める。
そういう若々しい三段上げが大好きでした。
突入という三段上げ+引き落としと言う組み合わせの吟法は、勢いがあります。
「詩吟をしている」という気分になるって、胸がわくわくするものだった。
以前の突入と、今の突入は、ニュアンスが変わってきています。
それは、かつて、引き落としと言っていた吟法が「大中山」と譜名がかわり、やがて、言葉を言いきってからと言う約束事によって、親しんできた引き落としが変わり、関吟の関吟らしいところが変遷していって、、、、
最初に覚えたものは、幸せな記憶と結びついていると、体にしみこんで、住み付いてしまいます。
約束事が変わったからといって、おいそれとそれを抜き去ることができないのです。
さらその愛着は、誇りと共に、体が覚え、住みついたものなら、余計にはぎ取ることができないのです。
正しい形を伝えていかねばならない立場になると、好むと好まざるとにかかわらず、「正しい」「まちがい」を言葉にせねばならないので、困ってしまうのです。
それを、野田 芦孝先生に質問すると、「自分で考えなさい」と、言葉が帰ってきました。
見事に突き放され、自立を促されました。
浜松で、第一撃。そして、第二の目覚めに向かう衝撃は、去年の吟道大学。
その二つの衝撃が、自分で考えなさい、自分で行動しなさいのスタートとなりました。
今日、達人たちの集まるところに行って、しばらくぶりに独吟をお聞きいただきました。
この数年の努力の結果が、やっと形としてわずかながら、表れてきて、その部分を十分にわかったうえで、お褒めを頂きました。
嬉しかったです。
三段上げの戦うイメージと二段の柔らかイメージを持つ吟法への興味の変化のように、私の声の出し方も変化をしました。
今の私にぴったりを見つけられてよかった。
そして、ある程度満足の行く発声ができるようになって、本当にうれしい。
今日に至るまで、体調が低調だったこともあって、かなり、神経質に柔軟性を欠いていたこともありました。
ここにきて一挙に、もろもろが「悪」から「良」にひっくり返ったことを実感しました。
ああ、幸せ。