風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

剣詩舞の先生

2016年08月02日 | 出会った人

7年余り前に、とてもお世話になった剣詩舞の先生 大輪神道流の小西如泉先生に久し振りにお目にかかりました。

そのころと変わりなく、きりっとしたお姿は、一時、体調を崩されたとお聞きしましたが、復調なされて、以前以上にお元気で、袴に隠れていても、足さばきが手に取るようにわかりました。

初心者は、袴に隠れているのを良いことに、じたばたと、足を踏み違えるものです。
ここしかない、この向きでしかない位置にぴたりと決まるから、私のような者でも、見えるのです。
この写真では、足の位置はわかりますが、膝を曲げないで、腰が高い位置にあるときの足さばきは、以前習っていた時は、皆目わかりませんでしたが、長く休止していて久し振りなのですが、わかってしまったのです。

整体の山田先生のご指導もあって、腰からの足の出方、上半身の傾きによって、足の位置がどこに来ると、安定して美しいかが、ちょっとばかり見えるようになったこともあるのでしょう。


お稽古の時に、袴で、足の位置がわからないと訴えた時に、ふつうは、こんなことしないんですよと言いながら、袴をたくし上げて、足さばき、足の位置を見せてくださいました。
そして、何んと次のお稽古の時は、トレーナーを履いてきて、まるで足の動きが見える練習をしてくださいました。
なんてことを先生にさせてしまったのかと思ったのですが、初心者の見えていて見えなかった頃のエピソードです。

袴をはいてこその動きの美しさですから、なんとなく先生も恥ずかし気でしたが、袴がなくても美しい足さばきでした。
方や、私の足と言ったら、馬脚を現すどころか、恥ずかしくて、とても見せられたものではなく、袴をはいて練習しなくちゃと、思ったことでした。


ところが今日も、あの時ほどおみ足が見えるほどではないにしてもはっきりと足袋が見えるまで、袴をたくし上げて、足の動きと位置をお弟子さんたちに見せていらっしゃいました。
これと思う意見は、柔軟に取り入れて、お弟子さんのために何でもなさる偉大な先生だったのだと、いまさらに、感じいりました。

この先生が、死に物狂いでご指導くださったから、半年余りで、曲りなりの舞ができたのだと、感謝してもしたりない思いでいっぱいになりました。

ご自身の技にプライドを持ち、そのようにお弟子さんへのご指導を続けられていて、あの頃初心者としてお目にかかったお弟子さんが、先生舞のの軌跡を描いて、決めていく姿は、とても美しく凛々しかった。


どうしても、型の決まらないお弟子さんには、流れるように舞うけれども、一つの区切りでは、キチンと型を表して、静止せねばなりません。とおっしゃっていました。


その言葉から、お習字の楷書と草書の違いが見えてきました。
うったてと、止め。まさに、その通りに先生はお手本を示されました。

うったてと、止めの間の舞は、剣舞と雖もしなやかに滑らかに、静止した美しい形のなかにも、扇をしまう動作などにも、その細かい部分に気が行き届いていて、飽きることがない。

そして、大きな動作の時は、直線だけでなく、詩吟でいえば「揺り」となぞらえる部分の舞の手は「たゆとう」ように流れてゆきます。元気なだけの剣舞とはまた違った女性らしい動きが、魅力でした。

こんな味が詩吟にも出せるようになったら、よいなぁと、ぽかんとして、見つめました。

                         (8月3日加筆)


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