風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

東京芦孝会7月中央会

2012年07月23日 | 詩吟
あまりうれしくない縛りから解き放たれて、やっといつもの日々がやってきた。
コンクールは、嫌だったけれど、その思いを引きずることなく今朝を迎えられたことは、私は私に、良かったねと声をかける。

今日は、午後からは、そうそうたる方たちを前に、私の詩吟の練習法をご披露する日です。
依頼を頂いてから、一転して、野田 芦孝会長の所用が無くなり、先生もその場にいらっしゃるということで、いろいろと考えすぎるぐらい考え込んでしまいましたが、結局は日ごろの練習を展開することしかないということで、心に決着をつけました。

しかし、その前に、コンクール出場という事態になり、別の嵐が吹いたわけなのです。
その間、あれこれと考えることも出来なかったので、「いつもの通りに」と出した結論が、そのまま、ぶれることなく維持されたわけです。

午後、私へ与えられた時間が来たとき、野田 芦孝先生は、いつも座っていらっしゃる席を荷物ごと取り除いて、私に提供してくださいました。そして、下の席へと移動されました。

いざ始まると諸先輩方も、さも、私の弟子であるがごとく指示に従ってくださって、私の実技を暖かく支えてくださいました。

初心者向けと言っても、結局は初心者のゲストが一人で、その方も3段保持者ということなので、夢組でやっている練習を少し高度に厳しくやることになりました。

一人ずつ、もっと自分の楽器としての身体を正しく補正して、喉の力を抜いて、「あー」と高い声を出すことに熱中しました。

中央会は、全て実技のときは席順に実行するという習慣ですから、そのとおりにするとなると、上師範の岸菜先生が、一番バッターとなります。
一瞬迷いましたがその一瞬後には、いつものようにと思い、上師範にたいして、師範の私が稽古をつける事が始まりました。好奇心旺盛で、何でも学ぼう精神の上師範は、とても素直な良い生徒をしてくれました。
そして、総師範の野田 芦孝先生の番に来ても、ちっとも気取ることなく生徒に徹して下さったのには、驚き頭が下がりました。

さすが、東京芦孝会の、ざっくばらんな暖かい環境で、伸びようとする者の芽をつまない、権威主義ではない考え方が、夢組を教えているだけだった私に、大きく開眼させた瞬間です。


ちょっとしつこく訂正を入れた方にも、真剣に考えてくれているのがわかったから、なんでもないよとかえって喜んでくださったのには、ホッとしました。

自分の考えを、応援して下さる人が居るということが、どれだけのびのびと振舞えるか、それによって、十分に考えを伝えることが出来たという幸せは、最高です。

その練習の後の合吟は、このまま合吟コンクールに出てもよいような意気のあった詩吟でした。あら、コンクール嫌いの私がコンクールをたとえに出すなんてね。

一人越に入った私でしたが、好評を得て、中央会第一回の試みは、成功したようです。

これから、指導者の集まりが結成され、よりよい中央会の有り方、ひいては、東京芦孝会への明るい展望がさらに開けるよう、知恵をだしあうことになりました。

組織のことについて考えるときは、頭が痛くなって、会議では眠くなるのですが、いかに声を出すかについて考えることなら、楽しくてしょうがないのですから、出来るなら会議はパスして、声を出すことに精出したいなぁ。
そして、いっぱい学びたいことを保留にしないで、思ったときに学べる体制になって欲しい。

会議後の反省会でも、議論百出。盛り上がった一日でした。

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