11月1日に、訃報が舞い込んでから、大きな衝撃が、ウランバートル中の日本人に走りました。
日本でもいち早く、所属先、実名入りで報道され、日本からの問い合わせも殺到しました。
今まで、交通事故はあっても、殺害と言うことは無かっただけに、波紋が広がっています。
とりあえず、活動を停止して自宅待機ということも考えてよさそうなのですが、その指示は、公式発表があるまでは今までと同じにというものでした。
ご遺族と東京の本部からの人たちが、到着し、儀式が進められていきます。
偲ぶ会、荼毘、と昨日までに終わりました。
これからは、UBに住む人たちの安全について、緊急時の対応について、いろいろと協議されることになります。
住まいの安全についても、検討されるでしょう。その時、今の住まいで大丈夫かどうか、ライン上にあると思われる人は、引越しを考えねばならなくなります。
住み慣れたところを離れるのは、よほど、次の場所が安全である保障がなされなければ、安心して移るわけにはいきません。
果たして、そのような住まいが待遇の範囲内で探せるでしょうか。
夫と故人とは、2002年の夏ごろから、最初のUB派遣の同期の仲間として、信頼を深めつつお付き合いが続いていました。その仲間を失った衝撃は、如何ばかりのものでしょうか。
私の、恐武Sを思って冷静に振舞っている夫の苦悩の姿を今朝見ました。
自室の奥で私の目が無いと油断していたのでしょう、靴下を履こうとした姿のまま、メ[ズボタンを押したかのように、動かない姿を見てしまいました。目をしばたかせていたので、しばらく部屋から出てきませんでした。
見なかった振りをするしか有りません。
この事件で、さまざまなかかわりをしている人の、それぞれの立場を考えながら、言葉を選び、いたわりながらの会話がそこにあります。
心配しすぎて、聞かなくて良いことを聞いてしまったり、思いやるがゆえに帰って心を乱したりしています。
事の真相が解明され、安心して生活ができる日が、早く来ますように。
関係の方々にくれぐれも、負けないで戦ってくださることをお願いいたします