「テレビでやってたから見に行こうよ」と、誘ってくれる人がいて、家から歩いて10分ほどのところにある政府庁舎で行われているチンギスハーン像の除幕式を見物に行きました。
スフバートル広場を取り囲んで人垣ができていましたが、何とかもぐりこんで、写真が取れる位置に陣取ることができました。
カメラの画面のあまりの小ささと遠さで、スフバートル広場の広さと政府庁舎の大きさをあらためて知りました。
広い空の中に、庁舎だけがあるとあまりに実際よりも小さいイメージで捉えていたことが、今頃になってわかりました。
彼女のおかげで、式典の後、一般市民が始めてハーン像に近づけるチャンスをモンゴルの人とともにというか、人並みに押されて台座まで近づきました。
さすが彼女は、台座に触ったのですが、私は、人並みの恐ろしさにあと50センチと言うところに近づきながら、触ることができずはじき出されました。
その代わり、行きがけの駄賃というか、怪我の功名というか、ハーン像の台座にさわり、ハーンを拝んでいる人の写真が撮れました。
いつも遠巻きに見物していたモンゴルの人の生活ですが、彼女と一緒だったおかげでモンゴル人とモンゴル人のハーンへの思いのまっただ中にいるという異常接近体験をしたのでした。
私は、外国人として高みの見物で、渦に巻き込まれることも無く平和に過ごしているわけですが、彼女は、常にこのホットな位置にいようとしているわけなのです。
おかげで、とばっちりを受けたり、被害を受けたりしている代わりに、たくさんの感動もあるわけなんだなぁと、想像したのでした。
日本人の少ない社会にいたから、知り合って仲良くしていただいているけれど、彼女の活動の広さ興味のあり方をうかがい知るにつけ、日本ではまったく別枠の世界にいる人だったのだなぁと思う。
「平々凡々」を絵に描いたような私と友達となったのは、UBという日本人の少ない環境だったからなのか、あまりに違いすぎるから却って親しくなったのか、縁と言うのは不思議なものですねぇ。