風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

誘われて

2006年07月11日 | チンゲル亭裏日記

「テレビでやってたから見に行こうよ」と、誘ってくれる人がいて、家から歩いて10分ほどのところにある政府庁舎で行われているチンギスハーン像の除幕式を見物に行きました。

スフバートル広場を取り囲んで人垣ができていましたが、何とかもぐりこんで、写真が取れる位置に陣取ることができました。
カメラの画面のあまりの小ささと遠さで、スフバートル広場の広さと政府庁舎の大きさをあらためて知りました。

広い空の中に、庁舎だけがあるとあまりに実際よりも小さいイメージで捉えていたことが、今頃になってわかりました。

彼女のおかげで、式典の後、一般市民が始めてハーン像に近づけるチャンスをモンゴルの人とともにというか、人並みに押されて台座まで近づきました。
さすが彼女は、台座に触ったのですが、私は、人並みの恐ろしさにあと50センチと言うところに近づきながら、触ることができずはじき出されました。

その代わり、行きがけの駄賃というか、怪我の功名というか、ハーン像の台座にさわり、ハーンを拝んでいる人の写真が撮れました。

いつも遠巻きに見物していたモンゴルの人の生活ですが、彼女と一緒だったおかげでモンゴル人とモンゴル人のハーンへの思いのまっただ中にいるという異常接近体験をしたのでした。

私は、外国人として高みの見物で、渦に巻き込まれることも無く平和に過ごしているわけですが、彼女は、常にこのホットな位置にいようとしているわけなのです。
おかげで、とばっちりを受けたり、被害を受けたりしている代わりに、たくさんの感動もあるわけなんだなぁと、想像したのでした。

日本人の少ない社会にいたから、知り合って仲良くしていただいているけれど、彼女の活動の広さ興味のあり方をうかがい知るにつけ、日本ではまったく別枠の世界にいる人だったのだなぁと思う。

「平々凡々」を絵に描いたような私と友達となったのは、UBという日本人の少ない環境だったからなのか、あまりに違いすぎるから却って親しくなったのか、縁と言うのは不思議なものですねぇ。
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Beautiful Mongolia

2006年07月11日 | UBから
馬頭琴コンサートを聴きにいきました。
人間国宝のバトチョロン率いる馬頭琴のオーケストラの演奏は、イタリアでのコンサートを終えたばかりですから、迫力も練習量も抜群でした。

オルティンドーの人間国宝の女性の(名前が聞き取れませんでした)歌う、800年前の国歌も演奏されました。
「800年前の世界に、モンゴル以外の国に国歌があったかどうかは勉強不足で。。。」と、司会者が言っていましたが、まさに、その古き調べは、国宝といわれる人の声と、由緒ありそうな民族衣装と髪飾りとで、すっかり盛り上がりました。

人間国宝というと日本では、長老をイメージしますが、バトチョロンは脂の乗り切った今が盛りという人です。
10年ほど前に、件p大学を卒業したばかりの精鋭をそろえて、馬頭琴協会を発足させ、今では、馬頭琴をモンゴルの曲だけでなくクラシックをも弾きこなすオーケストラに育て上げた人です。

モリンホール(馬頭琴)は欧米では「草原のチェロ」と呼ばれているそうです。

モンゴルの曲を弾くときと、クラシックを弾くときとは、がらりと音の質が変わってしまうことにも驚きました。

数少ない馬頭琴弾きの女性奏者の「アベマリア」は、先月の個人の演奏会でも聞きましたが、さらに磨きがかかっていたような気がしました。
こんな指導者に教えてもらえる方たちは、ほんとに幸せですね。

30ドルという高額のチケット代金ということもあって、客席は白人と日本人ばかり。
それを見込んで、司会は日本語と英語のみ、モンゴル語はありません。
私にとって、日本語で司会をしていただくのはとてもうれしいのですが、モンゴルでモンゴルの伝統楽器の馬頭琴の演奏なのになぁ。

今日から、ナーダムです。
スタジアムでは、11時からオープニングセレモニーが行われ、800人の馬頭琴と800人のオルティンドーと800人のマスゲームが演奏、発表されました。
もし、演奏中に雨が降ったら、馬頭琴はどうなるのでしょう。
屋外スタジアムのイベントですから、雨のことは考えたはず。。。
モンゴルだから考えなかったのかなぁ。。。

そのイベントの疲れも見せず、夜8時からの2時間の演奏をこなすモンゴルの件p家たちの心身の強靭さに、ただただ驚くばかり。




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