日本語教師のガン先生が、我が家に遊びに来てくれました。
珍しく、遠慮をするモンゴル女性で、これは、本心かそれとも日本人のことを良く知った上で、礼儀として遠慮しているのか分からないときがあります。
大学の教師の部屋で何度か会い、次は、外のカフェで会い、やっと我が家へ来てくれることになりました。
前日になって、私の家ではご面唐ィかけするので、どこかカフェに行って会いましょうとメールが来ました。
それで、分かりましたと返事をして、待ち合わせ場所で会いました。
カフェでは、落着かないから、やはり我が家へとお誘いすると、手ぶらで来ましたから、行けませんといいます。
私は、お茶しか出しませんから、行きましょうと、腕を取って引っ張って帰りました。
約束どおり、お茶だけで話が進みます。
彼女は時にモンゴル人らしい歯に衣着せない言い方をしますが、それが、的を得ているので、面白いと感じます。
そして、日本人の人間模様を事細かに聞きたがります。
彼女にお茶を入れてあげたカップは、気に入ったのを国立でパートで一個だけ買ったものです。
同じ値段で、セットのカップが買えるのに、どうして一個だけ買うのか不思議に思うようです。
割れたら無くなってしまうでしょう?と、最後まで食い下がってきました。
そして、このアパートに備え付けのものかどうか、一つずつ尋ね、来年の帰国の時はどうするのか聞かれました。
欲しい人に、あげるといったら、それはもったいないと言います。
送料が高いから、送料を払っても持って帰りたいものはもって帰りますと言いましたら、少し、納得したようでした。
こうして、気楽に家に来ていただけるモンゴル人が、一人出来ました。
彼女は、日本語会話の勉強のつもりで居ますから、先生と呼びたがっていました。
最近やっと私の名前で呼んでくれるようになり、ずっと気楽に話が出来るようになりました。
彼女の、考え方は、ウランバートルの都会人のなかで働いて上にのし上がろうとしている人たちの中では、生きにくいようです。
違った意味で、控えめで恥ずかしがり屋の大学院生のマンチョクさんも、日本人の私には好感が持てるのですが、先生の間では、評価されにくいように見受けました。
二人の熱心さと優秀さが、正当に評価されますように。と、私の立場では、お茶を入れてお話をして、心で応援するしかありません。