夏がすき…!! 7月生まれのせいか夏の日差しが好きです…♪

山崎勢津子です!ぐるーぷ・ふらいぱんは10年間活動しましたが解散しました。私は今後、朗読を中心に活動してまいります!

ブログ通信簿

2008-11-24 | Weblog
ブログ通信簿なるものがあるので試してみました。画像は初めて試みた今年の10月12日のです。ブログ年齢28歳・・・それから暫らくしてもう一度試したら今度はブログ年齢が19歳になってしまい、ガックリ…書いてあることが幼稚なのかしらん…。今日のブログ年齢は42歳でした。直近10件のブログで採点されるそうなので記事は重複しているのですが、この幅はなんでしょう??…いずれも○○をいかしてナレーターを目指しましょう…で終わるんだけれど、私はもうナレーターを目指す年齢ではないのよね~~。俳優でなくともナレーターで生活できるんなら、それでも満足なんですけれど…通信簿様!!

ところで、またもやの三連休…今回は自分のことだけができるお休みで嬉しかったけれど、やりたいことの半分も出来ずに終わってしまいそうです。テレビはほとんど見ないのですが大河ドラマ「篤姫」に結構はまっています。篤姫の宮崎さんは時々いっぱいいっぱいだな~と思うところもありますが、やはり凄いですね。他にも若くて才能のある俳優さんがたくさん出演していて感心するばかりです。奈良岡朋子さんのナレーションもとても素敵です。失礼ながらアナウンサーの方がやるのとは格が違うような気がします。…ところで幕末から明治にかけてというのはやはり大変な時代だったのですね。。。そちらに興味がわき、いろいろ調べてしまいました。…なんだか歴史年表しか頭に入っていなかった私にはまだまだ分からないことだらけですが、何年もかけていろいろなことが起こりながら時代が変わっていったとうことは理解出来、ひとつのことが分かると新しい疑問がわいてくるので…当分歴史三昧となりそうです。

トマトソース+生トマト

2008-11-08 | Weblog
時々ミートソースが無性に作りたくなるんです。トマトジュースに牛豚合挽きとたまねぎのみじん切り(…最近は生たまねぎみじん切りの冷凍品を愛用!!超便利です。。ハンバーグにも使います!)と、私は人参もすりおろして入れちゃいます・・・。ベイリーフ、オレガノははずせませんが後は適当で、コンソメ、ガラスープの素、トンカツソースとか醤油とか酢、砂糖、にんにくなどその時あるものを味をみながら足していき、最後にケチャップとバターで仕上げます。マッシュルームもあれば入れます。パスタのほか、オムレツやゆでたジャガイモにかけるのがお気に入り…。昨夜は知人が水上勉さんの釈迦内棺唄という演劇で、主役のふじ子を演じるというので観に行って帰りがちょっと遅くなりました。そういうときに限って早くから家にいる息子の夕食は、従ってスパゲティーミートソースになりました。そこでふとミートソースと生のトマトを一緒にしたらおいしいのではないかと思いつきました。…というのは、職場の近所の喫茶店のスパゲティナポリタンにはフレッシュトマトのスライスがちょこっとのっていてこれがなぜか美味いのです。トマトソースにフレッシュトマトが合うのかな…それならミートソースにもいいかもしれない…とトマトを5mm位にスライスしてミートソース+トマトにしてみました。…大当たり…美味いですよ!! トマトがなかったらもうミートソースは食べないと家の子が言ってました。お試しくださいませ…。

立原道造さん…

2008-11-03 | Weblog
昭和初期に活躍した、詩人・建築家の立原道造さんの写真です。良家のご子息の生まれですが、いかにも腺病質ですよね。身長170㎝で体重40㌔そこそこだったという記録がありました。24歳で肺結核で亡くなっています。13歳で歌集を作ったり、全集も全5巻出ているのですよ。大学を出て建築の仕事なども始めたばかりと言うのに辰野賞3回連続受賞、中原中也賞受賞…。早世してしまう人というのは、人生での自分の役割を知っているかのように、走り抜けるようにして逝ってしまうのですね。…でもやりたかったことがたくさんたくさんあったでしょうね。

 ところで今日は先月11日にご報告した「第4回ヒアシンスハウス夢まつりin別所沼」の当日でした。ヒアシンスハウスの前ではダンスパフォーマンスも行われましたが、あいにくの曇り空で寒かったようです。私は第2部の催しで立原道造の「住宅・エッセイ」という…エッセイを朗読させていただきました。ちょっと朗読には大変不向きな作品で、昨夜わたしは立原道造との格闘を余儀なくされたのです…。すぐれた建築家=すぐれたエッセイスト…人間でさえあれば、住宅は誰にも作られる、エッセイは誰にも書くことが出来る…ので「住宅・エッセイ」…!「いま、『人生』(ダス・レーベン)をひとつの中空のボールとして考へよう。そのボールに就て、エツセイと住宅は次のように触れあつてゐると考えられはしないか。住宅する精神は、ボールの表面を包みエツセイする精神は、中空のボールの内部の凹状空間の表面を包まうとする、と。」この凹状をどう朗読するかも困りましたね(ぼこじょう)って言っても耳で聞いたら分からん…へこんだ空間と読みました。…でもこんなところがヒアシンスハウスにつながっていったのでしょうね。
若い人だなと思うところは「もっと上手くかけそうなものだと思ったのにもう時間が足りない」と、そして「今は思いもつかないが」この文章は書き直されるであろうと…書き直されることはなかったわけですけれども…。
建築物の中で最も人の暮らしに密接なのは住まいです。エッセイも創造作品というよりは日々の暮らしの中から生まれてくるものでしょう。昭和12年、世情も不安定になっていく時代に、22歳の立原さんは、人が住まう空間に心の安らぎをもとめたのでしょうか。

文京区に立原道造記念館というのもあるようです。