Little by Little

慌てず騒がず

5月1日

2020年05月02日 | 日記
稽古って、どこまでやればいいのだろう。基本は、やればやるだけいいと思うのだけれど。
作り込むタイプの俳優がいる。稽古をやるだけ緻密になっていく。セリフの言い方、体の動き、表情の出し方、立ち方、その他諸々まで決めていく。こういうタイプはいい俳優の部類に入る。けれど、時に、相手がどう出ようとハプニングが起きようと、その演技しかしない。となれば別だ。
例えば、喫茶店でお茶を飲んでいるシーンがあるとする。深刻な別れ話をしている。「飲み終わったら、お別れだ」というようなセリフがある。けれど、何かの間違いでコップを倒してこぼれてしまった。さあどうしよう?これまで積み上げてきた演技はもう通用しない。
こぼれてしまったことに対する反応も必要だろう。ドラマをつなぐためのアドリブも必要だろう。店員の俳優だって、脚本にはないのに急ぎ出てこなくてはならないかもしれない。
その時に俳優にとって必要なことは、何が起こっても起こっても役がぶれないこと、ドラマの流れを途切らせたり間違った方向に運ばない、作品自体を把握していることだろう。
つまり、稽古の量は、俳優によってまるで違う。けれど、色々なパターンをやったから、もうどんな気持ちが湧いても役やドラマのラインは崩れない、といった状態になるまでやれば良い。