去年、書いていない事がありました。
日曜日の朝、いつも通り母と2人で病室に行くと、何だかざわざわと大勢の人で騒がしい感じがします。
扉がいくらか開いていたので覗き込まなくても見えたのですが、知らない人が病室に沢山います。
親戚一同が集まっているところ、みたいに感じました。
中には携帯電話で連絡を取ってる人もいて、これからまだ来るのかな、みたいな。
何だろうと思って入らずに入り口でキョトンとしていると、看護師さんが慌てて来て、
「病室を移動しました」
と・・・。
今までいた病室の、ナースステーションを挟んで反対側です。
もう死にそうな危篤状態の患者を2人部屋へ動かすっていうのは、どうだろうと思いましたが、多分前日の夜か今朝突然に、亡くなりそう、または亡くなられた方がいたのでしょう。
人が少なかったら、うっかり入ってしまったかもしれません。
事前に電話の一本でも欲しかったところです。
父はその日は一日中熱があり、意識は当然ずっとなくて、ただ苦しそうにしていました。
同じ部屋の方は特に病状が深刻そうという感じでもなく、もしこのまま急変して亡くなったら気まずいというか、どうするんだろうと、それが気がかりでした。
他の人がいるし、母ともロクに会話も出来ません。
こういう状態で個室でないのは、空いてないからとはいえ、困ったものがありますね。
今までも部屋を移動する事はちょくちょくありましたが、全て南向きの窓でした。
北向きの窓は初めてだったので、廊下側でしたがもう1人の方がトイレなどでいない時、ちょっと窓の外を見てみました。
今までとは全然違った景色で、変な話ですが新鮮でした。
自宅の方向だったので、自宅を探したのは言うまでもありません。
市営住宅と公務員の団地がズラーッと並んでいるのを、この角度から見るのは初めてだったので、まるでおもちゃのブロックをドミノ倒しをするかのように並べてあるなと思いました。
もう、その景色を見る事もありません。
他の人がいると長居しづらいというのもあって、1時間程いて、また午後に来院しました。
やはりあの方は亡くなったのでしょう、父は元の病室に戻っていました。
科に二部屋しか個室がない為、こんな事も発生するのでしょうね。
そもそも脳腫瘍で入院しているのに、最初に受診した皮膚科にそのままいるのが、おかしい気もしますが。
脳外科・癌科は、どうも空きベッドがないようです。
数日間仕事を休んでいた為、月曜日から出社する事にしました。
本当は最後の瞬間は絶対側にいたいと前々から思っていましたが、数日経って特に変化がないのと、どうしても気を使うというか神経を使ってしまって、職場に申し訳ないと思う板ばさみ状態に、耐えられなくなってきたのだと思います。
私は不器用でバカ正直で要領が悪いので、そういったところは上手く立ち回れません。
深刻なのはこちらの方でも、仕事を休んでいるのが「悪い」気がしてしまうんです。
もっとちゃらんぽらんというか、神経を図太く持ってもいいとは思うのですが、生まれ育ちと周囲の環境の状態から、周りの様子をいつもピリピリと神経を張り詰めて伺う性格になってしまいました。
多分そのおかげで、現在は軽度ではありますが自律神経失調症になりました。
沢山の人と接するのが、どうしようもなく向いていない性格なのです。
具合を悪くしていた母には申し訳ないと思いながら、仕事に出ていた方が正直精神的には楽でした。
周りの人は男性ばかりでとやかく聞いてこないし、仕事中は他の話でもして、辛い事は思い出さなくても良かったからです。
女性が多い職場だと、こうはいかないかもしれません。
だから気の合う女友達が、殆どいないのですが。
男性の方が小さい時から、すんなり友達になれます。
後で聞いたので驚いたのですが、月曜・火曜辺りは何かウィルスが入り込んだらしく、ちょっと肺炎になりかかっていたそうです。
少ししたら回復したそうですが、全く聞かされてなくてビックリしました。
聞いたのは、死ぬ少し前です。
仕事行く前と帰りには寄っていたのですが、全くそんな素振りはなかったというか、別段いつもと変化がないようにしか見えませんでした。
看護師さんにも会ったけど、何も言われませんでしたし、母も何も聞いてません。
もしそのウィルスによって引き起こされた肺炎が死亡原因になったとしたら、それは病院側にかなり問題がある気がしますが、どうなんでしょう?
近々死ぬとはいえ、そんな事で死んだら、何だかこちらも納得いきません。
今回つくづく感じたのは、「自宅に近いから」という理由で病院を選んではいけないな、という事でした。
通院するには確かにメリットの1つなんですが、そもそも脳腫瘍であるという診断を下したのも随分遅かったですし(2年近く放置された計算になります)、それによる手遅れもありうると思います。
深刻な状態になってからでは、遅いのです。
セカンドオピニオンを受け入れなかった父にも問題はあったので、今回は仕方ないと思いますが、母か自分に問題が起こったら、この病院には入らないでおこうと、母とも話しました。
そもそもレベルに問題があるよと、職場の人からも言われてましたけどね。
おでこの怪我の状態が「わかりません」で何年も放置しないで、他の病院を紹介してくれるなりすれば、少しは腫瘍を早く発見出来たかもしれないと思うと、手際は全体的に悪いと思います。
父は私が「他の病院でも診察してみよう」と言っても全く聞き入れなかったので、何でも言う事を素直に聞く主治医の先生の紹介だったら、他で診察出来たでしょうに。
家族が呼び出されて主治医の先生に会えた時はもう手遅れでしたから、その点も残念でなりません。
大きな病院となると、父に黙って主治医の先生を探すのはかなり困難です。
普通に聞いても父の性格からいうと、教えてくれなかったと思います。
頑固で偏屈な人でしたから。
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日曜日の朝、いつも通り母と2人で病室に行くと、何だかざわざわと大勢の人で騒がしい感じがします。
扉がいくらか開いていたので覗き込まなくても見えたのですが、知らない人が病室に沢山います。
親戚一同が集まっているところ、みたいに感じました。
中には携帯電話で連絡を取ってる人もいて、これからまだ来るのかな、みたいな。
何だろうと思って入らずに入り口でキョトンとしていると、看護師さんが慌てて来て、
「病室を移動しました」
と・・・。
今までいた病室の、ナースステーションを挟んで反対側です。
もう死にそうな危篤状態の患者を2人部屋へ動かすっていうのは、どうだろうと思いましたが、多分前日の夜か今朝突然に、亡くなりそう、または亡くなられた方がいたのでしょう。
人が少なかったら、うっかり入ってしまったかもしれません。
事前に電話の一本でも欲しかったところです。
父はその日は一日中熱があり、意識は当然ずっとなくて、ただ苦しそうにしていました。
同じ部屋の方は特に病状が深刻そうという感じでもなく、もしこのまま急変して亡くなったら気まずいというか、どうするんだろうと、それが気がかりでした。
他の人がいるし、母ともロクに会話も出来ません。
こういう状態で個室でないのは、空いてないからとはいえ、困ったものがありますね。
今までも部屋を移動する事はちょくちょくありましたが、全て南向きの窓でした。
北向きの窓は初めてだったので、廊下側でしたがもう1人の方がトイレなどでいない時、ちょっと窓の外を見てみました。
今までとは全然違った景色で、変な話ですが新鮮でした。
自宅の方向だったので、自宅を探したのは言うまでもありません。
市営住宅と公務員の団地がズラーッと並んでいるのを、この角度から見るのは初めてだったので、まるでおもちゃのブロックをドミノ倒しをするかのように並べてあるなと思いました。
もう、その景色を見る事もありません。
他の人がいると長居しづらいというのもあって、1時間程いて、また午後に来院しました。
やはりあの方は亡くなったのでしょう、父は元の病室に戻っていました。
科に二部屋しか個室がない為、こんな事も発生するのでしょうね。
そもそも脳腫瘍で入院しているのに、最初に受診した皮膚科にそのままいるのが、おかしい気もしますが。
脳外科・癌科は、どうも空きベッドがないようです。
数日間仕事を休んでいた為、月曜日から出社する事にしました。
本当は最後の瞬間は絶対側にいたいと前々から思っていましたが、数日経って特に変化がないのと、どうしても気を使うというか神経を使ってしまって、職場に申し訳ないと思う板ばさみ状態に、耐えられなくなってきたのだと思います。
私は不器用でバカ正直で要領が悪いので、そういったところは上手く立ち回れません。
深刻なのはこちらの方でも、仕事を休んでいるのが「悪い」気がしてしまうんです。
もっとちゃらんぽらんというか、神経を図太く持ってもいいとは思うのですが、生まれ育ちと周囲の環境の状態から、周りの様子をいつもピリピリと神経を張り詰めて伺う性格になってしまいました。
多分そのおかげで、現在は軽度ではありますが自律神経失調症になりました。
沢山の人と接するのが、どうしようもなく向いていない性格なのです。
具合を悪くしていた母には申し訳ないと思いながら、仕事に出ていた方が正直精神的には楽でした。
周りの人は男性ばかりでとやかく聞いてこないし、仕事中は他の話でもして、辛い事は思い出さなくても良かったからです。
女性が多い職場だと、こうはいかないかもしれません。
だから気の合う女友達が、殆どいないのですが。
男性の方が小さい時から、すんなり友達になれます。
後で聞いたので驚いたのですが、月曜・火曜辺りは何かウィルスが入り込んだらしく、ちょっと肺炎になりかかっていたそうです。
少ししたら回復したそうですが、全く聞かされてなくてビックリしました。
聞いたのは、死ぬ少し前です。
仕事行く前と帰りには寄っていたのですが、全くそんな素振りはなかったというか、別段いつもと変化がないようにしか見えませんでした。
看護師さんにも会ったけど、何も言われませんでしたし、母も何も聞いてません。
もしそのウィルスによって引き起こされた肺炎が死亡原因になったとしたら、それは病院側にかなり問題がある気がしますが、どうなんでしょう?
近々死ぬとはいえ、そんな事で死んだら、何だかこちらも納得いきません。
今回つくづく感じたのは、「自宅に近いから」という理由で病院を選んではいけないな、という事でした。
通院するには確かにメリットの1つなんですが、そもそも脳腫瘍であるという診断を下したのも随分遅かったですし(2年近く放置された計算になります)、それによる手遅れもありうると思います。
深刻な状態になってからでは、遅いのです。
セカンドオピニオンを受け入れなかった父にも問題はあったので、今回は仕方ないと思いますが、母か自分に問題が起こったら、この病院には入らないでおこうと、母とも話しました。
そもそもレベルに問題があるよと、職場の人からも言われてましたけどね。
おでこの怪我の状態が「わかりません」で何年も放置しないで、他の病院を紹介してくれるなりすれば、少しは腫瘍を早く発見出来たかもしれないと思うと、手際は全体的に悪いと思います。
父は私が「他の病院でも診察してみよう」と言っても全く聞き入れなかったので、何でも言う事を素直に聞く主治医の先生の紹介だったら、他で診察出来たでしょうに。
家族が呼び出されて主治医の先生に会えた時はもう手遅れでしたから、その点も残念でなりません。
大きな病院となると、父に黙って主治医の先生を探すのはかなり困難です。
普通に聞いても父の性格からいうと、教えてくれなかったと思います。
頑固で偏屈な人でしたから。
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