せかいのうらがわ

君と巡り合えた事を人はキセキと呼ぶのだろう
それでも僕らのこの恋は「運命」と呼ばせてくれよ

NO TITLE(という名の題名)

2007-12-21 23:24:35 | 小説
あたしの愛する人たちに捧ぐ。

 人とはそれこそ脆いもので手首を切れば血を流す。止血をしなければ死ぬ。骨が一本折れたといって何ヶ月も休養を要したり、不治の病などというものに掛かれば余命などという言葉がでてきてしまうほどに。
 人の人生など大まかに言ってしまえば"余命100年"。その100年をどう生きるかで世界に対する人の価値など決まってしまう。自分を必要だと考えている貴方は、おそらくその他の素晴らしきものに目を向けず廃れていくだろう。自分を要らぬという貴方は、差し伸べられた手を全て振り払った後絶望を残して消えるだろう。そして今この言葉を聞いて"私は要るのだろうか"そう考えた貴方は素晴らしい。人が必要か不必要かなど実は本人には図れない。だから全て周りに任せる貴方はさぞかし好かれるとおもう、少なくとも、あたしには。

 人は、糸の切れた操り人形だとおもう。
 糸が切れて、どうしていいかうろたえる者。糸が切れたことを知らず、延々と踊り続ける者。糸の存在に気付かず、自ら踊っていると勘違いしている者。糸の存在を知りながらも、抗う術を見つけられない者。
 壊れてはならないとは言わない。寧ろ壊れてしまえと言う、これだけを聞けば人はあたしのことをなんて冷酷な人間だと言うだろう。けれどあたしは受け止められるからそう囁く。ほとんどの人間が人が成し得ないことを成っていない心で受け止める。何故ならあたしも壊れているから。突出した感情を受け入れることは容易い。それが鋭利な刃物であたしの心の隙間から中にある"なにか"をズタズタに引き裂こうというのでなければ。
 あたしは否定しない、否定されたくないから。信じられないエゴだと思う。あたしは人を傷つけるし人はあたしを傷つける。どちらも無意識の成し得る所業であるからあたしはひとりぼっちだ。誰にも好かれない。誰も好きになれない。だからみんな好き。みんな嫌い、あたしが。

ごめんなさい。みんなさようならっていう日は、たぶんこない。