せかいのうらがわ

君と巡り合えた事を人はキセキと呼ぶのだろう
それでも僕らのこの恋は「運命」と呼ばせてくれよ

神の垢し物(おとしもの)

2009-11-29 10:58:03 | ネタ張
朝焼けの静かな朝に、それは突然訪れた。
空を貫く轟音に木々を裂く風の音。一呼吸置いてから、それに酷い硝煙の臭いと銃声が応えた。爆風で吹き飛んだ窓辺から顔を乗り出すと、森の奥の方に僅か白いカーテンのような裾が翻っている。

「…!…!……ッ!!」

悲鳴にも似た叫び声に耐えかねて、思わず窓を乗り越え駆け出す。蔓延った木の根を飛び越え、硝煙の臭いを掻き分けて走る。彼女の声は聞いているだけで胸を引き裂かれ物理的に死んでしまいそうになるような、悲痛で凄まじい否定の音だった。
彼女の言葉は、本当なら人間に届かない。普段は彼女が周りに合わせているだけで、根本が違う為か彼女の言葉はたまに耳を素通りしていく。だから彼女は他者が真似をできない強力な術―例えそれが魔法であろうとなかろうと―を使えるのだし、フォレッタが自ら亡き後彼女こそを魔女にしようと目論んでいたのもそのせいだ。理解されないからこそ孤高であり強力であり、理解されないからこそ脆弱で儚い。荒い息遣いが、細い肩を揺らしていた。

「…っいよ、人間なんか……大っ嫌い、消えてしまえ、!」
「エテ!」

エテの背に付き添う小さく柔らかな羽が、伸ばした手を叩き落した。予想外の出来事に硬直していると、エテが振り向いて笑った。こちらへ鋭く差された指先から一閃、頬へ悶えるような熱い痛みが走る。

「何があったの」
「なにもないわ」

重く圧し掛かる憎悪の目線は、簡単にこの肩を押さえつけ体を潰してしまう気がした。だというのに声色はどこまでも穏やかで、血色のいい唇は綺麗な弧を描く。再度伸ばされた指先で首を掻き切られてしまうのかとつい目を伏せると、エテの雰囲気がひどく不機嫌になったのだけを感じた。
エテの荒々しい息遣いが言葉を発するために止まった瞬間、銃声のような乾いた音が響き渡り、驚きに目を開ける。黒い塊がエテの横脇から襲い掛かり、頬を打ち不意を狙って地面に押さえつけていた。

「ヘンゼルに当たるな、エテ!!」
「うるさい、うるさいッユーリィのくせに!何も知らないくせに!馬鹿!ユーリィのばかあ!!」

パーカーを深く被ったおかげで、ほの明るくなった陽光の下でもユーリィは辛うじて人間の姿を保っていた。泣き叫ぶエテを傷つけないよう、既に変容してきている爪を必死に服へ収め叫ぶ。エテが細工したというパーカーの紐から、まんまるいポンポンが垂れて揺れていた。
はじめはじたばたと抵抗していたエテもしばらくすると大人しくなり、静寂に沈む森には少女の啜り泣きだけが響くようになった。弱々しい泣き声。本来なら慌てふためいているだろうユーリィもこの時ばかりは冷静で、指先でエテの前髪を掻き分けて軽く頭を撫でるだけにしている。

「らしくない罵倒なんかすんな、どうした」
「人間がみんなのことを悪く言った。松明を持っていたから消し飛ばしただけよ、死んでもいいのよ、あんな人間死んでもいいのよ、当然の報いだわ…」

焦点の合わない目が、ユーリィの漆黒の目を捕らえているような気がした。こういうとき、結局よそ者には何もできないのだという事を、思い知らされる。我を無くしたように呟くエテの言葉から事件の片鱗を嗅ぎ取ったらしいユーリィは、ひどく顔を顰めてからエテの上を退いた。力なくしな垂れ地面に投げ出された四肢が、今にも冷たくなってしまいそうな気すら起こさせる。
すすり泣く音は、まだ、止まらない。そっと近付いてしゃがみ込むと、細い両腕に首を捕らえられ抱き締められた。

「…ヘンゼル、ごめんね」
「いいよ」
「ごめんなさい…」

耳元に、震えた声が響いた。赤子にするように抱き上げて背を叩くとそのうち嗚咽は消えて、擦り付けられた涙で冷たくなった肩口は彼女の体温で生暖かい温度になりつつある。

「エテ。"みんな"の中にヘンゼルは居るのか?」

突然、こちらをぼうっと眺めていたユーリィが、エテの土に汚れた背を刺すように睨みながら真剣な口調で言った。エテはびくりと肩を揺らすと、恐怖に引きつったような顔でユーリィを振り返る。青ざめた頬に、また一筋新しい涙が伝った。
みんな、とは誰のことだろうか。みんな。エテはよく"みんな"が好きだと花が綻ぶように笑ってみせる、その中に、自分が?考えたこともない事を、ユーリィは突如として言い出す。エテが震える唇を開いた。

「…うそよ。居るわ」
「ならいいけどな。…ヘンゼルも、自分が"誰なのか"をよく考えて行動しろよ。俺たちが"誰"なのかも忘れちゃいけない」

そう言って立ち上がったはずのユーリィは徐々に縮んでいき、大きな黒い犬になると屋敷の方へかけていった。後姿を尻目に眺めていると、逆立っていたエテの羽がすこしだけなめらかになるのを感じる。
胸元を握るエテの手が微かに震えていたことに気付かないふりをして華奢な肩を抱きすくめると、彼女はまた人には理解できない言葉で何かを言って、それからすこし、憎んだような顔をした。

―――
(神の垢し物)

エテは言ってしまえば"いらない子"なのです。
"作者"(私に非ず)にとってもこの世界にとっても。
だから、神様の落し物=天使。垢=いらないもの。
このへんからヘンゼルとエテが辿るのは茨道です。

エテの人間嫌いはそもそも物心ついた頃からずっと。
それも全てイヴェールや"みんな"を守りたいがため、
そして"作者"の負の感情を吐き出すためだけの存在。
肥溜めのようなゴミ箱のような、可愛い顔した悪魔。

彼女にとって"人間"とは、"作者"にとっての嘘つき。
"作者"は嘘つきが大嫌いな人です。はてさて誰なのか。