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わたしたちのだれもが,神の業を進めるうえで果たすべき重要な役割を持っているのです

2021-05-15 05:14:48 | 日記
「わたしはあなたに一つの業を用意している」
ジョン・C・ピングリー・ジュニア 長老
七十人
わたしたちのだれもが,神の業を進めるうえで果たすべき重要な役割を持っているのです。
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(このお話しは、末日聖徒イエス・キリスト教会2017年10月の総大会での説教のひとつです。)
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神はモーセにこう言われました。「わたしはあなたに一つの業を用意している。」(モーセ 1:6)天の御父が自分のために業を用意しているのかどうか,皆さんは考えたことがありますか。御父があなたのために,特にあなたに成し遂げてもらうために用意しておられる重要なことがあると思いますか。わたしは証します。「ある」というのがその答えです。


ネパールで生まれ育ったギリーシュ・ギミレイの例を考えてみましょう。10代のころ中国で学んでいたときに,クラスメートからイエス・キリストの福音を紹介されました。その結果ギリーシュは大学院で学ぶためにブリガム・ヤング大学に行き,そこで将来の伴侶となる女性と出会いました。二人は結婚してソルトレーク盆地に住み,ネパールから二人の子供を養子に迎えました。 何年もたって,1,500人以上の難民がネパールのキャンプからユタ州に来たとき, ギリーシュは助けなければと感じました。ネパールの言葉が分かり,その文化も理解するギリーシュは通訳兼教師,相談相手として奉仕しました。ネパール難民がその地域に落ち着くと,その中から福音に興味を持つ人たちが出てきました。ネパール語支部が組織され,ギリーシュは後にその支部長を務めました。さらには,モルモン書をネパール語に訳す作業にも加わりました。


天の御父がどのようにギリーシュを備えさせ,御手として用いられたかが分かるでしょうか。
神はなすべき業を一人一人に用意しておられる
兄弟姉妹の皆さん,神はわたしたち一人一人のために大切な業を用意しておられます。スペンサー・W・キンボール大管長は姉妹に向けた話の中でではありますが,万人に当てはまることを教えました。「〔この地上に〕来る前,……〔わたしたちには〕何らかの責任が課せられていました。……それが何であるのか具体的に今は思い出せなくても,かつてわたしたちが同意した栄えある事実は変わりません。」何と心を高めてくれる真理でしょうか。天の御父は,皆さんとわたしが成し遂げるはずのすばらしい事柄を具体的に用意しておられるのです ( エペソ 2:10参照)。

神がお与えになるこの責任は少数の特権階級の人にではなく,すべての人に用意されています。性別や年齢,人種,国籍,収入の程度,社会的地位,教会の召しには関係がありません。わたしたちのだれもが,神の業を進めるうえで果たすべき重要な役割を持っているのです( モーセ 1:39参照)。

天の御父は重要な事柄を行う際になぜわたしたちを用いられるのかと疑問に思う人もいます。しかし,思い出してください。主は常に平凡な人々を使って,非凡な業を成し遂げられます (1コリント1:27-28;教義と聖約35:13;124:1参照)。「〔わたしたちは〕自ら選択し行動する者」であり,「義にかなう多くのことを成し遂げ」るために「自らの内に力があ」るのです(教義と聖約58:27-28)。

ラッセル・M・ネルソン会長は次のように教えています。

主は皆さんが自分のことを考えているよりも,さらに皆さんのことを気にかけておられます。皆さんはこの時代のこの場所に取っておかれました。

主は世界を変えるために皆さんを必要としておられます。皆さんに対する主の御心を受け入れるなら,不可能と思えることを成し遂げている自分に気づくことでしょう。

では,神が望んでおられる業を理解し成し遂げるには,どうすればよいのでしょうか。役に立つ4つの原則を紹介しましょう。
ほかの人に心を向ける
まず,ほかの人に心を向けてください。わたしたちはキリストに従って,「よい働きをしながら……巡回」することができます(使徒10:38。2ニーファイ26:24も参照)。

わたしはフルタイムの伝道から帰ると,日々目的を持って伝道していた生活が恋しくなりました。確かにわたしには聖約を守り,教育を受け,家族を持ち,生活費を稼ぐ必要がありましたが,主が自分に望んでおられる特別なことが,何かもっとほかにあるのではないかと思ったのです。数か月あれこれと考えた後に,こんな聖句を見つけました。「もし​あなた​が​望む​なら​ば,あなた​は​この​時代​に​大いに​善​を​行う​仲立ち​と​なる​で​あろう。」(教義と聖約11:8)御霊の助けにより理解できたのは,神から授かる責任のおもな目的は,人を祝福し,「大いに善を」行うことだということでした。

わたしたちは,何を勉強し,職業とし,どこに住むかなどの人生の決断を下す際に,どのようにほかの人々を助けられるかという観点から選択することができるのです。

ある家族が新しく町に引っ越して来ました。高級住宅街に家を探すよりも,社会的,経済的にも相当な助けを必要としている地域に住んだ方がいいと感じました。何年にもわたって,主はこの家族を通して多くの人を助け,この家族の所属するワードやステークを築かれました。

ある医療従事者は,通常の診察を行っていたのですが,導きを感じて,週に1日休んで,医療保険に入っていない人を無料で診療することにしました。進んで人を助けようとする気持ちがこの男性とその夫人にあったために,大勢の子供を育てる傍ら困っている多くの患者を助ける方法を,主は用意してくださったのです。
霊的な賜物を見つけて伸ばす
第2に,霊的な賜物を見つけて伸ばしてください。天の御父はわたしたちにそのような賜物を与えて,御父の用意しておられる業を見つけ,行い,幸せになることができるようにしてくださいました。

自分に賜物が一つでもあるのかと疑問に思う人もいますが,もう一度言います。「ある」というのがその答えです。「各人​に​神​の​御霊​に​よって​一つ​の​賜物​が​与えられる​の​で​ある。……〔そして,〕すべて​の​人​が​それ​に​よって​益​を​得られる​よう​に​なって​いる。」(教義と聖約46:11-12;強調付加)聖文に記述のある霊的な賜物は多くありますし( 1コリント 12:1-11,31; モロナイ10:8-18; 教義と聖約46:8-26参照),それ以外にもたくさんあります。幾つか例を挙げると,思いやりがあることや希望を与える言葉を言えること,人付き合いがうまくできること,整理整頓が上手なこと,説得力のある話ができたり書けたりすること,分かりやすく教えられること,勤勉であることなどです。

どうしたら,自分の賜物が分かるようになるでしょうか。祝福師の祝福を参照したり,自分をいちばんよく知っている人に聞いたり,もともと何が得意でどんなことが好きなのか自分に問うたりするとよいでしょう。最も大切なのは,神に尋ねることです (ヤコブの手紙 1:5;教義と聖約112:10参照)。神は賜物を下さった御方ですから,わたしたちの賜物を御存じです ( 教義と聖約46:26参照)。

自分の賜物が分かったら,わたしたちにはそれを伸ばす責任があります( マタイ25:14-30参照)。イエス・キリストですら「最初​から​完全​は​受けず,恵み​に​恵み​を​受け​〔て成長された〕」のです(教義と聖約 93:13)。


信仰の貴さを思い起こさせるイラストを描く若い男性がいました。その中でわたしのお気に入りは救い主の肖像画で,家に飾ってあります。この兄弟は芸術的な賜物を伸ばして活用しました。天の御父はこの若者を通して,弟子としての道をさらによく歩めるよう霊感を与えてこられたのです。

時々わたしたちは,自分には特に重要な賜物はないと感じることがあります。ある日,落胆した姉妹が必死に祈りました。「主よ,わたしの務めは何なのでしょうか。」主は答えられました。「人に目を留めることです。」それは霊的な賜物でした。それ以来,彼女は普段忘れられている人に目を留めるようになり,神は彼女を通して多くの人に祝福をお与えになりました。霊的な賜物の中には世の基準からすると人目につきにくいものもありますが,それらは神とその業に欠かすことができません。
逆境を逆手に取る
第3に,逆境を逆手に取ってください。天の御父が自分のために用意しておられる業が試練に遭って初めて分かり,その業に携わる備えができることがあります。アルマはこう説明しています。「わたし​が​多く​の​​艱難​を​味わった​後,主​は​……わたし​を​主​の​御​手​に​使われる​者​に​して​くださ……った。」 (モーサヤ 23:10)主が贖いの犠牲によってわたしたちを救うことができるようになられたのと同じように( アルマ 7:11-12参照), わたしたちも,人を励まし,力づけ,祝福するための知恵を,困難な経験から得ることができるのです。

ある人事部の重役は,リストラされた後に祝福師の祝福を読んで霊感を受け,専門職の人たちの職探しを助ける会社を設立しました。(わたしたち家族が伝道部から帰還したときにわたしの職探しを助けてくれたのも彼でした。)主は彼を試練を踏み台にしてさらに価値ある仕事ができるようにされただけでなく,ほかの人に祝福を与えられるようにもされたのです。

ある若い夫婦が死産を経験しました。胸が張り裂けるような悲しみの中で,亡くなった娘のために,同じような状況にある親たちにカウンセリングと物的援助を与えることに決めました。主はこの夫婦を通して働かれました。それは,この夫婦が逆境を通して特定の状況にある人の気持ちをくみ取る力を伸ばしたからです。
神に頼る
そして第4に,神に頼ってください。信仰をもって真心から神に頼るならば,わたしたちが神から受けている責任を神は明らかにしてくださいます。それが分かると,神はその責任が果たせるよう助けてくださいます。「〔神にとっては〕すべてのことが目の前にあるので」(教義と聖約38:2。アブラハム2:8も参照),神はふさわしいときに必要な扉を開いてくださいます(黙示3:8参照)。神は御子を遣わしてまで,わたしたちが神に頼って生まれながらの自分の力を超える力を得られるようにしてくださいました( ピリピ4:13; アルマ26:12参照)。

ある兄弟は,地方自治体の決議事項に疑問を感じ,選挙に立候補した方がよいと感じました。選挙運動をするためには気の遠くなるような手続きがあったにもかかわらず,信仰をもって立候補に必要なものをそろえました。結局当選はしなかったものの,この兄弟は,主が導きと力を与えて,その地域にとって重要な問題提起ができるようにしてくださったと感じました。

発達障害のある子供を育てているあるシングルマザーは,家族をまともに養っていけるのかどうか疑問に思いました。この最も大切な使命を果たすのは難しいことではありましたが,彼女は無事それを果たせるよう主が力づけてくださるのを感じています。
警告の言葉
神から受けた責任を果たせるよう神は助けてくださいますが,それと同時にサタンもわたしたちを価値ある人生から引き離そうとそそのかしてきます。

罪は,恐らく最大のつまずきの石となり,聖霊の導きを感じる力を鈍らせ,霊的な力にあずかる機会を狭めます。天の御父が自分のために用意しておられる業を成すには,清くなければなりません ( 3ニーファイ 8:1参照)。わたしたちは,神が自分を通して働くことができるような生活をしているでしょうか。

サタンはまた,あまり重要でない事柄にわたしたちをかかわらせようとします。教会初期の指導者に主は警告されました。「あなた​の​心​は,……​わたし​に​かかわる​事柄​や,あなた​が​召された​務め​より​も,世​の​事柄​の​うえ​に​あった。」(教義と聖約30:2)わたしたちはこの世のことにかかわり過ぎて神から受けた責任から心がそれていないでしょうか。

それに加えて,サタンはわたしたちに自分の至らなさを痛感させて意欲を失わせようともします。取り組もうとしている業を難しく見せてひるませようとします。しかし,わたしたちは神に頼ることができます。お父様はわたしたちを愛しておられます。そして,わたしたちの成功を望んでおられます。神は「あなたに先立って行き,またあなたと共におり,あなたを見放さ〔れる〕」ことはありません(申命31:8。詩篇 32:8;箴言3:5-6;マタイ19:26; 教義と聖約78:18も参照)。

サタンはわたしたちの務めがほかの人の務めと比べると価値のないものだとうまく説得しようとするかもしれません。しかし,神から与えられた務めはどれも重要です。わたしたちは「主から命じられた事柄を誇る」ときに充実感を得ることができます(アルマ29:9)。

神がわたしたちを通して働かれるとき,成し遂げたことを自分の功績だと考えるようサタンは誘惑してきます。しかし,わたしたちは救い主に倣って自分への称賛に心を留めずに御父に栄光を帰することができます( マタイ 5:16;モーセ4:2参照)。レポーターがマザーテレサを貧しい人を救うことに生涯をささげた人として評価しようとすると,彼女はこう言いました。「これは〔神の〕業です。わたしは……神の手にある鉛筆のようなものです。神が考え,神がお書きになります。鉛筆は関係ありません。鉛筆は使われているにすぎないのです。
結び
愛する兄弟姉妹の皆さん,「自分自身を……義の武器として神にささげる」よう,一人一人にお勧めします(ローマ 6:13)。自分自身をささげるとは,御手に使われたいと望んでいることを神に知っていただき,神に導きを求め,神の力を頂くことでもあります。

わたしたちはいつも,イエス・キリストを完全な模範として仰いでいます。前世で,天の御父は言われました。「わたし​は​だれ​を​遣わそう​か。」

イエスは答えられました。「わたし​が​ここ​に​います。わたし​を​お​遣わし​ください。」(アブラハム3:27。イザヤ 6:8も参照)

イエス・キリストは救い主,贖い主という予任された役割を受け入れ,そのために準備し,その役割を果たされました。御父の御心を行い (3ニーファイ27:13;ヨハネ5:30; 6:38参照),神から受けた責任を成し遂げられたのです。

キリストの模範に従って自分自身を神にささげるならば,神がわたしたちを御手に使って御業を進め,人々に祝福をお与えになることを証します。イエス・キリストの御名により,アーメン。

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※本日もお読みいただいてありがとうざいます。赤字は追加しています。

※黙示録
8 わたしは、あなたのわざをっている。よ、わたしは、あなたのまえに、だれもじることのできないもんひらいておいた。なぜなら、あなたにはすこししかちからがなかったにもかかわらず、わたしの言葉ことばまもり、わたしのいなまなかったからである。
8 I know thy works: behold, I have set before thee an open door, and no man can shut it: for thou hast a little strength, and hast kept my word, and hast not denied my name.
※お祈りの方法についてご紹介します。

※良い1日をお祈りします。
-----------------------2021年5月15日



自分の命を救おうと思う者はそれを失い,わたしのために自分の命を失う者は,それを救うであろう。

2021-05-14 05:11:59 | 日記
目の前の必要
ボニー・L・オスカーソン
中央若い女性会長
わたしたちが満たすことのできる最も大きな必要の幾つかは,家族,友人,ワード,地元の人々の中にあるのです。
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(このお話しは、末日聖徒イエス・キリスト教会の2017年10月の総大会での説教のひとつです。)
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わたしたちは近ごろ,メキシコ,アメリカ合衆国,アジア,カリブ海,アフリカにおいて多くの自然災害が起きるのを目にしました。それは人の善なる資質を最大限に引き出し,何千もの人々が危険や困難に直面している人々,損害を被った人々の救援活動に携わりました。テキサスやフロリダの若い女性の働きを見て感動しました。ヘルピングハンズの黄色いTシャツを着た彼女たちは,そのほか大勢の人々とともに,最近のハリケーンで被災した家からがれきを運び出す手助けをしていました。さらに何千もの,遠くなければ喜んで被災地に行ったであろう皆さんは,現地に行く代わりに,苦しみを和らげようと惜しみなく献金してくれました。皆さんの心の広さと思いやりは感動的なものであり,まるでキリストのようです。




今日は,住んでいる場所に関係なく,あらゆる人にとって重要だと思われる奉仕の一面について話したいと思います。最近のニュースを見ながら,何かできることはないかと気をもんでいた方々にとっては,まさにその答えとなることでしょう。

イエスはこう教えられました。 「自分の命を救おうと思う者はそれを失い,わたしのために自分の命を失う者は,それを救うであろう。」トーマス・S・モンソン大管長は,この聖句について次のように述べています。 「救い主が言っておられるのは,自分を捨てて人に奉仕しなければ,自分自身の人生の目的などほとんどないということだとわたしは信じています。自分のためにだけ生きる人は,ついには枯渇してしまい,比喩的に言えば,命を失ってしまいます。一方,自分を捨てて人のために奉仕する人は,成長し,繁栄して,実際に自分の命を救うのです。

わたしたちは,自分の周りにいる人々よりも,手のひらの小さな画面にますます心を傾ける世の中に住んでいます。実際にだれかの目を見てほほえんだり,さらにまれになっていますが,顔を合わせて話をしたりする代わりに,携帯メールやツイートを使っています。友人の肩を抱いて愛や気遣いを示したり,目に見える形で関心を示すよりも,フォロワーや「いいね」の数に一喜一憂しているのです。イエス・キリストの福音のメッセージを広め,家族や友人とのつながりを保つうえで,現代のテクノロジーはすばらしいものです。しかし,個人が持つ電子機器の使い方に注意を払わなければ,わたしたちも内向的になり始め,福音生活の本質が奉仕であることを忘れてしまいかねません。

わたしは10代の皆さんとヤングアダルトの皆さんを心から愛し,信頼しています。奉仕し,社会に貢献したいという皆さんの思いを目にし,感じてきました。ほとんどの教会員は,奉仕を自らの聖約と弟子としての生活の中心に位置づけていると思います。しかし,時には人に仕えるすばらしい機会を見過ごしがちだとも思います。ほかのことに気を取られたり,世の中を変えるような壮大な奉仕の方法を探しているためです。そうして,わたしたちが満たすことのできる,家族や友人,ワードや地元の人々が抱えている重大な必要を見逃してしまうのです。地球の反対側にいる人々が苦しみ,助けを必要としているのを目にして心を痛める一方で,クラスですぐ隣に座る人が友人を必要としていることには,気づかないかもしれません。

リンダ・K・バートン姉妹が,1990年代に周囲の協力を得て,困っている人々のためにキルトを集めたステーク扶助協会会長の話をしたことがあります。彼女は「キルトをいっぱいに積んだトラックを娘とともに運転し,ロンドンからコソボまで行ったのです。家に帰る途中で彼女が受けた霊的な印象は明白なものであり,心の奥深く染み込んできました。その印象はこうです。『あなたはとても善いことをしました。家に帰ったら,通りを渡り,隣人に仕えなさい。』」

世界を救ったとしても,いちばん身近な,最も愛する人々の必要をおろそかにしていたら,何の益になるでしょうか。世直しをしても,周りにいる人々がくじけそうなのに気づけなかったとしたら,いったいどれほどの価値があるのでしょうか。天の御父は,わたしたちがその必要を満たすのに最適だと御存じだからこそ,わたしたちを必要とする人々を,わたしたちのいちばん近くに置かれたのかもしれません。



だれでも,キリストのような奉仕をする方法を見いだすことができます。わたしの顧問のキャロル・F・マッコンキー姉妹は最近,10歳の孫娘,サラのことを教えてくれました。母親の気分が優れないのに気づいたサラは,母親の力になろうと決意したというのです。サラは母親が休めるように,妹を起こして着替えを手伝い,歯を磨かせ,髪をとかして,朝食を食べさせました。必要に気づき,助けたいと願ったサラは,だれに頼まれたわけでもなく,黙々とこのささやかな奉仕を行ったのです。母親を祝福しただけでなく,サラ自身,愛する人の重荷を軽くできたと知って喜びを感じたに違いありません。その過程で,妹とのきずなも強めることができました。ジェームズ・E・ファウスト管長はこう述べています。「人々に仕えることは,何歳からでも始められます。……それは大がかりなものである必要はありません。家庭内で行われる奉仕こそが最も貴いのです。



子供の皆さんは,皆さんが家で奉仕する方法を探すとき,両親や家族がどれほど励まされるか知っていますか。10代の皆さん,世の中を変える方法を探すなら,家族を強め,家族に奉仕することを最優先事項の一つにすべきです。きょうだいや両親に思いやりや関心を示すことで,一体感が生まれ,家庭にさらなる御霊がもたらされます。世界の変革は,家族を強めることから始まるのです。

奉仕のもう一つの重点は,ワードという家族の中で行う奉仕です。時として,子供たちからこう尋ねられることがあるかもしれません。「どうしてミューチャルに行かなきゃいけないの。あまり得るものがないんだけど。」

子供に教えるよい機会として,わたしならこう答えるでしょう。「どうして自分が何かを得るために,ミューチャルに行こうと思うの?」

若人の皆さん,皆さんが出席するどの教会の集会にも,寂しい思いをしている人や,試練の中で友人を必要としている人,あるいは居場所がないと感じている人が必ずいると約束できます。皆さんはどのような集会や活動においても,価値ある貢献をすることができるのです。主は皆さんに,周りにいる仲間を見て,主のように仕えることを望んでおられます。

D・トッド・クリストファーソン長老はこう教えています。「主が教会を所有しておられる重要な理由の一つは,『永遠の命に至る細くて狭い道』にあって互いを支え合う聖徒の共同体を作ることなのです。」長老はこう続けています。「この教会は,自分の心配だけすればよいのではなく,皆が仕えるように召されています。わたしたちは,キリストの目,手,頭,足,そのほかの肢体〔なのです〕。」

確かに,わたしたちは儀式を受け,教義を学び,霊感を受けるために毎週の教会の集会に出席します。しかし,とても大切な理由がもう一つあります。それは,ワードという家族として,また救い主イエス・キリストの弟子として,見守り合い,励まし合い,互いに仕え,強め合うためです。わたしたちは教会が提供するものをただ受け取るだけでなく,与える者,もたらす者として必要とされているのです。若い女性,若い男性の皆さん,次のミューチャルでは,携帯で友達の近況をチェックする代わりに,立ち止まって周りを見渡し,「今日,自分を必要としているのはだれだろう」と自問してみてください。手を差し伸べて仲間の人生に影響を与え,人知れず悩んでいる友人を励ますという重要な役割を果たすのは,皆さんかもしれません。

周りにいるだれが自分の助けを必要としているのか,どう奉仕するのがいちばん良いのか分かるよう,天の御父に尋ねてください。ほとんどの場で,救い主は一度に一人ずつ,お仕えになったことを心に留めてください。


孫のイーサンは17歳ですが,この夏,母親の模範から影響を受けて,人に奉仕する機会を頂けるように毎日祈っていると聞き,感動しました。彼の家族と時間を過ごしたとき,イーサンが忍耐と,愛と,思いやりをもってきょうだいたちに接し,両親を手伝い,人に手を差し伸べる方法を探している様子を目にしました。周りの人々を心にかけ,彼らに奉仕したいと思うその望みに感心しました。彼はわたしの模範です。イーサンのように,仕える方法を知ろうと主の助けを求めるなら,御霊によってわたしたちの目は開かれ,周りに存在する必要が見えるようになり,その日自分を必要としている「一人」がだれであり,どのように仕えるべきかが分かるでしょう



家族とワードの会員に加え,近所や地元の人々にも奉仕する機会を探しましょう。大きな災害後,救援活動に参加するよう呼びかけられることもありますが,日常的には,自分の住む地域で困っている人々を励まし,助ける機会を探すよう勧められています。最近,物質的問題が山積している国で奉仕する地域会長から教わる機会がありました。会長は,世界のほかの地域で困っている人々を助けるのに一番の方法は,断食献金を惜しみなく納めること,教会の人道的援助基金に献金すること,そして,どこに住んでいようと,地元の人々に奉仕する方法を探すことだと教えてくれました。すべての人がこの勧告に従ったら,世界中がどれほど祝福されるかを想像してみてください!

兄弟姉妹,とりわけ青少年の皆さん,皆さんがよりいっそう救い主イエス・キリストのようになろう,聖約を守って生きようと努力するとき,皆さんは祝福されて,恵まれない人々の苦しみを和らげ,助けたいという願いを持ち続けることができるでしょう。最も大きな必要を抱えている人々は,あなたの目の前にいるかもしれないことを忘れないでください。まずは,自分の家で,家族の中で奉仕を始めましょう。家族とのつながりは,永遠のものです。たとえ家族の状況が整っていなくても,いえ,だからこそ,家族の中で仕え,高め,強める方法を見いだすことができるのです。今いる場所から始め,ありのままの家族を愛し,将来持ちたいと望んでいる自分の家族のために備えましょう。

愛と励ましを必要としているワードの人々に気づけるよう,助けを求めて祈ってください。教会に行くときは,「この集会から自分は何を得られるだろう」ではなく,「今日自分を必要としているのはだれだろう。自分はどのように貢献できるだろうか」と自問してください。

自分の家族とワードの会員を祝福しながら,地元に暮らす人々を祝福する方法も探してください。奉仕する時間の余裕があるか,一月に数時間しか差し出せないかにかかわらず,皆さんの努力は人々を祝福するだけでなく,皆さん自身にも,思いも寄らない方法で祝福をもたらすでしょう。

スペンサー・W・キンボール大管長は次のように教えました。 「神はわたしたちを心にかけ,見守っておられます。しかし,神がわたしたちの必要にこたえられるのは,普通の場合,人を通してです。」天の御父の子供たちの必要を満たすとき,わたしたちは御父の業の達成に携わっているのです。その特権と祝福に,一人一人が気づけますように。イエス・キリストの御名により,アーメン。
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※本日もお読みいただいてありがとうざいます。赤字は強調追加しています。

※神さまのお役にたてる1日となりますように。
--------------------2021年5月14日


人の価値とは,神のようになる能力です。

2021-05-11 05:11:31 | 日記
計り知れない価値
ジョイ・D・ジョーンズ
中央初等協会会長
わたしたちの霊的な価値について真理を告げてくださる聖霊の甘美なささやきは,しばしば味わうことができます。
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(このお話しは、末日聖徒イエス・キリスト教会2017年10月の総大会での説教のひとつです。)
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西アフリカのシエラレオネを訪問しているとき,わたしはあるステークの初等協会指導者が司会する集会に参加しました。マリアマの司会の様子は愛と気品と自信にあふれていて,教会に長年集っている姉妹なのだろうとだれしもが思ってしまいます。ところが,マリアマは比較的最近改宗したばかりなのです。


妹が教会に入り,一緒に教会のクラスに出てみないかとマリアマを誘ったところ,マリアマはそこで伝えられたメッセージに深い感銘を受けました。レッスンは純潔の律法についてでした。彼女は宣教師にもっと教えてほしいと頼み,間もなく預言者ジョセフ・スミスについて証を得ました。マリアマは2014年にバプテスマを受け,先月娘もバプテスマを受けました。考えてみてください。マリアマを改宗へ導いた二つの基本的な教えは,純潔の律法と預言者ジョセフ・スミスでした。どちらも,しばしば世の人々からは時代にそぐわない,古い,あるいは不都合だと見なされる教えです。しかし,夜に飛ぶ虫のように光に引き寄せられたのだとマリアマは言います。「福音を見いだしたとき,自分が何者であるかが分かりました。」マリアマは聖なる教えを通して自分の価値を見いだしました。聖霊を通して,神の娘という価値ある存在であることを知ったのです。

次に,インドのシン家族の姉妹たちを紹介します。右端の,5人姉妹で最初の教会員となったレヌは,こう語っています。


教会について学び始めるまでは自分がそれほど特別な存在だと思いませんでした。大勢の中の一人にすぎませんでした。母国の社会や文化では,個人として価値ある存在であるなどと教わったこともありません。福音を学び,自分が天の御父の娘であると知ったことで,わたしは変わりました。急に自分が特別な存在だと感じました。神が確かにわたしを,わたしの魂や命を,価値と目的をもって創ってくださったのです。

生活に福音を取り入れる前は,自分が特別な存在であることを絶えず人に証明しようとしていました。ところが,自分が神の娘であるという真理を知ってからは,人に証明する必要はなくなりました。自分が特別であると分かったからです。……自分を価値のない存在だと絶対に思わないでください。」

トーマス・S・モンソン大管長はそれにぴったりな言葉を引用しています。「人の価値とは,神のようになる能力です。



最近,恵まれて,この真理を理解する別の若い女性と会う機会がありました。タイアナに会ったのは,ソルトレーク・シティーのプライマリー・チルドレンズ病院でした。タイアナは高校2年生のときにがんと診断され,1年半の雄々しい闘病生活の末,ほんの数週間前に亡くなりました。タイアナは光と愛にあふれ,周囲を明るくする笑顔と,両方の親指を立てた「ダブルグッドサイン」で知られていました。病気について,「なぜあなたなの?」と聞かれる度に,「なぜわたしじゃいけないの?」と答えていました。タイアナは大好きな救い主のようになろうと努力していました。面会を重ねる間に,彼女が自分の価値を理解していることが分かりました。神の娘であるという知識は彼女に平安を与え,圧倒されそうな大きな試練に前向きな態度で立ち向かう勇気をもたらしました。

マリアマとレヌとタイアナは,わたしたち一人一人に神聖な価値があることを御霊が伝えてくれると教えています。神の娘であると心から知ることは,生活のあらゆる面に影響を及ぼし,あなたが日々行う奉仕において導きとなります。スペンサー・W・キンボール大管長はそれを,次のようなすばらしい言葉で説明しています。

神はあなたの御父であられます。あなたを愛しておられます。天の父母はあなたを計り知れないほど大切に思っておられます。……あなたは唯一無二であり,永遠の英知から創られた,永遠の命を受けることができる存在です。
あなた個人の価値について一切疑ってはいけません。福音の計画の目的は,内なる可能性を最大限に発揮する機会を一人一人に与えることです。すなわち,永遠の進歩と神のようになる可能性を与えることなのです。

ところで,「価値」と「ふさわしさ」という二つの重要な言葉は,区別して考える必要があります。同じではありません。霊的な「価値」とは,世がわたしたちを評価する方法でなく,天の御父と同じ方法で自分の価値を認めることです。わたしたちの価値は,地上に生まれる前に定められていました。「神の愛は無限であり,永遠に持続します。」

その一方で,「ふさわしさ」は従順によって得られるものです。罪を犯すとふさわしさが低下しますが,価値が下がるわけではありません。わたしたちは同じ価値を保ちながら,悔い改めてイエスのようになろうと努め続けるのです。ブリガム・ヤング大管長はこう教えました。「今地上にいる最も取るに足りない,価値の低い霊でも……幾つもの世界に匹敵する価値があります。」どんなことがあっても,天の御父はわたしたちを価値ある者として見てくださいます。

このすばらしい真理があるにもかかわらず,自分について時折否定的な考えや思いを抱いてしまう人はいないでしょうか。わたしもそうです。陥りやすいわななのです。サタンはあらゆる偽りの父で,特に人の神聖な価値や目的について誤解させることが得意です。自分をさげすむことは良い結果をもたらしません。むしろ,前進する妨げとなります。よく言われるように,「あなたの同意なしに,だれもあなたに劣等感を抱かせることはできない」のです。自分の最低の出来を人の最高と比較するのをやめましょう。「比較することは喜びを盗んでいく」からです。

対照的に,わたしたちが徳高い思いを抱けば,主はわたしたちを祝福し,自信を,すなわち自分が何者かを知るための自信を授けると約束しておられます。今ほど,次の主の言葉に従うのが大事な時期はありません。「絶えず徳であなたの思いを飾るようにしなさい。そうするときに,神の前においてあなたの自信は増し,……聖霊は常にあなたの伴侶とな〔る〕……であろう。」

主はさらに次の真理をジョセフ・スミスに明らかにされました。「神から受ける者は,それが神からのものであることを考えなさい。また,それを受けるにふさわしいと神から認められたことを喜びなさい。」この聖句にあるように,御霊を感じるときに,それが天の御父から来ていることが分かります。そのとき,わたしたちは,主の祝福に感謝し,主をほめたたえます。さらに,御霊を受けるにふさわしいと認められたことを喜びます。

想像してみてください。ある朝,聖典を読んでいると,読んでいることが真実であると御霊が優しくささやいたとしましょう。あなたは御霊を認識できるでしょうか。主の愛を感じて,それを受けるにふさわしかったことを喜べるでしょうか。

母親の皆さん,あなたは寝る前の祈りをささげる4歳の息子の隣で一緒にひざまずいているとしましょう。耳を傾けていると,ある思いに包まれ,温かく,平安な気持ちを感じます。ほんの短い間でしたが,あなたは自分がふさわしい者と認められたことに気づきます。人生の中で,大いなる霊的な現れを受けることはめったにありません。しかし,わたしたちの霊的な価値について真理を告げてくださる聖霊の甘美なささやきは,しばしば味わうことができます。

主は,人の価値と御自身の偉大な贖いの犠牲の関係についてこう説明しておられます。

人の価値が神の目に大いなるものであることを覚えておきなさい。
見よ,主なるあなたがたの贖い主は,肉体において死を受けた。それによって,すべての人が悔い改めて自分のもとに来ることができるように,主はすべての人の苦を引き受けた。

姉妹の皆さん,主が身代わりとなってくださったおかげで,わたしたちは「愛のきずなによって主と結ばれて」いるのです。主はこう言われました。「父は,わたしが十字架に上げられるようにと,わたしを遣わされた。十字架に上げられた後で,わたしはすべての人をわたしのもとに引き寄せた。」

​ベニヤミン王も救い主との結びつきについて説明しています。わたしたちの罪のために,「この御方は数々の試練に耐え,肉体の苦痛や飢え,渇き,疲労に耐えられるが,それは,人にとっては死ぬ以外に耐えようのないものである。見よ,御自分の民の悪事と忌まわしい行いのためにこの御方が受けられる苦しみは非常に激しく,あらゆる毛穴から血が流れ出るほどだからである。」その苦しみと苦しみがもたらす結果により,わたしたちは愛と感謝の念で満たされます。ポール・E・コーリカー長老はこう教えています。「この世に引き込む悪影響を取り除き,選択の自由を行使して御父を求めることで,わたしたちは,御父に近づけてくれる日の栄えの力に対して心を開きます。」わたしたちが救い主と,主がわたしたちのためにしてくださったことに対して感じる愛が,自分の弱点や自信喪失,悪い習慣に注ぐエネルギーより大きければ,主は,わたしたちの苦しみの原因となっているものに打ち勝つことができるように助けてくださいます。主はわたしたちをわたしたち自身から救わってくださるのです。

もう一度強調します。もし世の中の引力の方が,わたしたちが救い主に抱いている信仰と信頼より強くなると,世の力が毎回勝ってしまいます。救い主にすがる代わりに,否定的に考え,自分の価値を疑うことを選ぶなら,聖霊の促しを感じるのがどんどん難しくなります。

姉妹の皆さん,自分が何者であるかについて混乱しないようにしましょう。霊的に努力して自分の神聖な身分を受け入れて喜ぶよりも,霊的に受け身になる方が楽ですが,末日に生きるわたしたちにはそんな余裕はありません。わたしたちが姉妹として「キリストに忠実であり……キリストに支えられて,キリストの苦しみと死と,……キリストの憐れみと寛容と,キリストの栄光と永遠の命とを願う望みが,とこしえに〔わたしたち〕の心の中にとどま」りますように。救い主がわたしたちをより高い場所へと上げてくださるときに,わたしたちは自分が何者なのかを,そして自分が想像よりはるかに主の近くにいることを,さらにはっきりと知るでしょう。イエス・キリストの聖なる御名により,アーメン。

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※本日もお読みいただいてありがとうざいます。赤字は強調付加しています。

※中学生だつた頃、成績を比較する学校のシステムに、嫌悪感を懐いたことがあります。現在でも、そうです。他人と比較することは、やめましょう。それぞれの持ち味があるのですから。

良い1日をお祈りします。

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御父は,わたしたちが利己心を奉仕に,恐れを信仰に変えるよう望んでおられます。

2021-05-10 04:53:01 | 日記
神とつながり,破れを繕う
ニール・F・マリオット
中央若い女性会長会第二顧問
キリストは,御父や人々との間に愛に満ちた交わりをもたらす力をお持ちです。
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(このお話しは、末日聖徒イエス・キリスト教会 2017年10月の総大会での説教のひとつです。)
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わたしたちは絶えず,天の御父に対する知識と従順さを高めていく必要があります。御父とのつながりは永遠のものです。わたしたちは神の愛する子供であり,それが変わることはありません。御自分に近づくようにという主の招きに心からこたえ,この世と来るべき世において主が与えたいと切望しておられる祝福を享受するにはどうすればよいでしょうか。

主は古代イスラエルとわたしたちに向けて,このように語られました。「わたしは限りなき愛をもってあなたを愛している。それゆえ,わたしは絶えずあなたに真実をつくしてきた。」御父もわたしたちに言っておられます。「あなたはわたしにつながっていなさい。そうすれば,わたしはあなたとつながっていよう。それゆえ,わたしとともに歩みなさい。」御父とつながり,御父と歩むのに十分なほど,わたしたちは御父を信頼しているでしょうか。

わたしたちは学び,成長するためにこの地上にいますが,最も重要な学びと成長は,天の御父とイエス・キリストとの聖約によるつながりからもたらされます。御二方との確固としたつながりから,神への知識や愛,力がもたらされ,人に仕える能力が高められるのです。

「わたしたちには,神が御自身について明らかにされたすべてのことを学ぶ義務があります。」わたしたちは,次のことを理解しなければなりません。すなわち,父なる神は,わたしたちの成長の場として地球を創造するよう御子イエス・キリストに指示されたこと,天の御父はわたしたちの救いのために正義の要求にこたえるべく御子を与えてくださったこと,御父の神権の力と必要な儀式を備えた御子の真の教会が回復されたのは,わたしたちの祝福のためであるということです。わたしたちの喜びと成長のために御二方が備えられる中で,そこに深い愛があるのを感じられますか。天の御父の救いの計画とは,福音の律法と儀式に従い,永遠の命を得,そのようにして神のようになることだと知る必要があります。これこそ,天の御父が与えてくださる真実かつ永遠の幸福であり,そのような幸福はほかに存在しません。

試練は,わたしたちをこの幸福の道から引き離そうとします。試練を受けるとき,ひざまずくのではなく心を惑わされてしまうなら,わたしたちは神との信頼関係を失いかねません。

次の言葉は,優先順位を吟味するよう訴えかけています。
大切なものと,そうでないものがある。

永続するものはわずかしかない。
姉妹の皆さん,皆さんにとって大切なものは何ですか。永続するものは何ですか。御父にとって永遠の価値を持つ事柄は,わたしたちが主に学び,へりくだり,地上での経験を通して主への従順さを増すことです。御父は,わたしたちが利己心を奉仕に,恐れを信仰に変えるよう望んでおられます。こういった永続する事柄は,わたしたちを徹底的に試すものとなるでしょう。

御父は,現世における制限を受ける今,愛するのが最も難しいときに愛し,都合の良くないときに奉仕し,とうてい赦せないと思うときに赦すよう,求めておられます。どのようにでしょうか。どのように行えばよいのでしょうか。御子の御名により,心から天の御父の助けを求め,自分の思いを高慢に主張するのではなく,主の方法に従って行うのです。



エズラ・タフト・ベンソン大管長が器の内側を清めることについて語ったとき,わたしは自分の高慢さに気づきました。自分を水差しだと考えてみました。水差しに残っている高慢を取り除くには,どうすればよいでしょうか。独力で何とか謙遜さを持ち,人を愛するよう自分に言い聞かせることは,偽善的でむなしく,うまくいかないものです。罪や高慢は,わたしたちと,あらゆる愛の源であられる天の御父との間に破れ目や隔たりを生みます。

救い主の贖罪のみが,わたしたちを罪から清め,その隔たりを埋めて,破れ目を繕ってくれるのです。

わたしたちは天の御父の愛と導きの腕に抱かれることを望んでいるため,御父の御心を最優先し,清めの水を自分の水差しに注いでくださるよう,打ち砕かれた心でキリストに請い願います。初めは一滴ずつですが,探し求め,従うなら,豊かに注がれるようになるでしょう。わたしたちは,この生ける水のおかげで主の愛で満たされ,心の水差しを傾けて,癒しや希望,帰属意識を渇望している人に中身を分けることができるようになります。わたしたちの器の内側が清くなると,地上における人間関係に癒しがもたらされるようになるのです。

神の永遠の計画を優先するには,自分の望みを犠牲にすることが求められます。御父の代弁者であられる救い主は,「わたしに近づきなさい。そうすれば,わたしはあなたがたに近づこう」と嘆願しておられます。聖文を通して御父の真理を学び,預言者の勧告に従い,御心を行おうとさらに努力することは,わたしたちを御父に近づけるものです。

キリストが,御父や人々との間に愛に満ちた交わりをもたらす力をお持ちであることを,わたしたちは理解しているでしょうか。キリストは聖霊の力により,そのような関係を築くのに必要な洞察を与えてくれます。

ある初等協会の教師は,11歳の男の子がクラスで印象深い経験をしたことについてわたしに話してくれました。クラスに,ジミーという非協力的な一匹狼の男の子がいました。ある日曜日のこと,その教師はレッスンを脇に置き,なぜジミーを愛しているかを伝えるべきだと感じ,この少年に感謝と信頼の言葉を伝えました。それから教師はクラスの生徒に,ジミーのすばらしいところを本人に伝えるようにと言いました。クラスの生徒が一人一人,ジミーが特別な存在である理由を話すうちに,ジミーはうつむき,涙を流し始めました。教師と生徒たちは,ジミーの孤独な心に橋を架けたのです。飾らない愛を正直に伝えるとき,人に希望と価値を与えることができます。わたしはこれを,「破れを繕い,隔たりを埋める」と呼んでいます。

わたしたちは前世での愛に満ちた生活を経験しているために,地上においても真の,永遠に続く愛を切望するのでしょう。わたしたちは,愛し,愛されるよう神に造られており,最も深い愛は神と一つとなるときにもたらされます。モルモン書は「キリストの贖罪を通じて神と和解〔する〕」よう招いています。

イザヤは,断食の律法に忠実に従い,子孫にとって「破れを繕う者」となる人について述べ,彼らが「久しく荒れすたれたる所を興〔す〕」と約束しています。同じように,救い主はわたしたちと天の御父の間にある破れ目を繕い,隔たりを埋めてくださいました。主が,その大いなる贖いの犠牲を通して,わたしたちが神の愛の力を身に受けられるよう道を開いてくださっているおかげで,わたしたちは人生における「荒れすたれたる所」を修復できるようになるのです。互いの感情的な隔たりを癒すには,神の愛を受け入れるとともに,わたしたちが生まれながらにして抱く傾向にある利己心と恐怖心を犠牲にしなければなりません。

ある晩のことをよく覚えています。一人の親戚と政治的に意見の食い違いがありました。彼女は即座にわたしの意見を酷評し,家族に声が届く範囲でわたしが誤っていることを証明したのです。わたしは自分を愚かで無知な者だと感じました。実際そうだったと思います。その晩,わたしはひざまずいて祈り,この親戚がどれだけ気難しいかを急いで天の御父に説明しました。とめどなく話し続けたのです。恐らくわたしの文句がやみ,やっと聖霊がわたしの注意を引けるようになったのだと思います。驚いたことに,次にわたしが口にした言葉は,「神様,あなたはわたしに,彼女を愛するよう望んでおられるでしょう」でした。彼女を愛するですって?続けて,こう言いました。「どうすれば彼女を愛せるでしょうか。好きですらないのです。わたしの心はかたく,傷ついています。できません。」

そのとき,確かに御霊の助けがあり,新たな考えが湧きました。「でも,天のお父様は彼女を愛しておられます。わたしが彼女を愛せるよう,少しだけその愛を分けていただけませんか。」こわばっていた心が和らぎ,変わり始め,その人に対する見方が変わり始めました。御父が御覧になるように彼女の真の価値が見えるようになったのです。イザヤはこう記しています。「主はその民の破れ目を縫い合わせ,その打たれた傷を癒される。」

幸い,徐々に溝は埋まりましたが,わたしの心の変化が彼女に受け入れられなかったとしても,天の御父の助けを請うならば,愛せないと思う人さえも愛せるよう御父が助けてくださることを学びました。救い主の贖罪は,天の御父から常に慈愛を注いでいただくための水路です。すべての人に慈愛を持てるよう,この愛につながっていることを選択しなければなりません。

御父と御子に心をささげるなら,周りの状況が変わらずとも,自分の世界を変えることができるのです。天の御父に近づくと,キリストの真の弟子になろうとするわたしたちの努力を,御父が優しく受け入れてくださっているのを感じます。識別の力と自信,信仰が増すのです。

モルモンは,この愛を得られるよう熱意を込めて祈るなら,その愛は,源であられる天の御父から授けられると述べています。そのときに初めて,わたしたちは地上で築く関係において,破れを繕う者となることができるのです。

御父の無限の愛が注がれ,御父の栄光と喜びのもとに戻ることができます。御父は,わたしたちと御父を大きく隔てる破れ目を繕うために,御自分の独り子であられる御子イエス・キリストを与えられました。永続する愛と永遠の目的がもたらすのは,天の御父との再会です。わたしたちは今こそ,ほんとうに大切なことを学び,御父と同じように愛し,成長して御父に似た者となれるよう,御父とのつながりを築かなければなりません。天の御父と救い主との確かなつながりは,御二方にとってもわたしたちにとっても,永遠に重要なものであることを証します。イエス・キリストの御名により,アーメン。

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※本日もお読みいただいてありがとうざいます。赤字は強調付加しています。

※私の生まれながらの、短気の性格は、福音を学び続けることで、(かなり)なくなってきました。福音は、確かに人を変えることができます。この福音に感謝しています。

今日も、「利己心を奉仕に、恐怖心を信仰に」、良い1日をお祈りします。

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母の日おめでとうございます。女性の素晴らしさを紹介します。

2021-05-09 06:46:58 | 日記
あなたの光をともしなさい
シャロン・ユーバンク
中央扶助協会会長会第一顧問

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(このお話しは、末日聖徒イエス・キリスト教会の2017年10月の総大会での説教のひとつです。)
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姉妹の皆さん,預言者はわたしたちに呼びかけています。皆さんは義にかなっていますか。自分の信仰をしっかりと表現していますか。自分の光をともしていますか。
御存じないかもしれませんが,モンソン大管長とわたしは双子です。わたしが北カリフォルニアで生まれたまさにその日,そのときに,36歳のトーマス・S・モンソンがいちばん新しい使徒として支持されたのです。神の預言者モンソン大管長と自分に特別なつながりがあることをうれしく思っています。

預言者たちは女性について話しています。皆さんはこの集会で,預言者の言葉を聞くことになるでしょう。文献を40年ほどさかのぼると,スペンサー・W・キンボール大管長の書いた驚くべき予言的な言葉があります。1979年9月に,2回目となる女性のための中央集会が開かれ,全世界の教会員の女性が集いました。キンボール大管長はお話を用意したのですが,大会当日は入院していたため,話の代読を,妻のカミラ・アイリング・キンボール姉妹に頼みました。



キンボール姉妹が読んだ預言者の言葉で強調されていたのは,救い主の再臨の前に末日聖徒の女性が世の善良な女性たちに与える影響力についてでした。最後の方に教会の女性に向けた電撃的なチャレンジがあり,これについてはそれ以来ずっと話題となってきました。

そのときのキンボール大管長の言葉を少し引用します。

「愛する姉妹の皆さん,最後に,今まで言われたことがなく,少なくともこのような形で言われたことのなかったことをお勧めします。終わりの時に教会に大きな発展がもたらされようとしていますが,その多くは,世界中にいる善良な女性たち……が大勢教会に引き寄せられることが理由となって起きるでしょう。これがどの程度の規模になるかは,教会の女性たちがどの程度まで義を反映した生活を送り,自分をしっかりと表現できるか,また,どの程度まで世の中の女性と良い意味で区別され,異なって見られるかによって決まるでしょう。

教会に入って来る,世のほんとうのヒロインたちの中に,自分の利益より,義にかなった生き方をすることに関心を寄せる女性たちがいます。このヒロインたちは真の謙遜さ,すなわち注目を浴びることよりも徳高くあることを重視する特質を備えています。……

……教会の女性たちの模範は,末日の教会の数字的な発展と霊的な発展の両方に寄与する重要な力となるのです。」

何と予言的な言葉でしょうか。まとめると,こうなります。
これから先,教会の発展の多くは,女性たちの良好な人間関係によって引き起こされる。
扶助協会の女性や若い女性,初等協会の少女が,信仰の異なる誠実で忠実,善良な女性や少女と友情を築くことは,教会が終わりの時に発展するうえで重要な力となる。
自分の利益よりも義にかなった生き方をすることに関心を寄せ,注目を浴びることよりも徳高くあることの方に価値があると示す,この背景の異なる女性たちを,キンボール大管長は「ヒロイン」と呼んでいる。
わたしは仕事で世界を巡りながら,このような善良な女性たちに非常に数多く出会ってきました。彼女たちとの友情は,わたしにとってとても貴いものです。皆さんの友達や近所の人たちの中にも,そのような人がいるはずです。現在教会員であってもそうでなくても,彼らとはとても大切な友情で結ばれています。では,わたしたちはどのように役割を果たすのでしょうか。何を行うべきでしょうか。キンボール大管長は5つの点について触れています。

まず,義にかなうということです。義にかなうとは,完璧であるとか間違いを犯さないという意味ではありません。神との内面的なつながりを育んで罪や過ちを悔い改め,惜しむことなく人を助けるという意味です。

悔い改めた女性たちは,人生の流れを変えます。わたしには,幼いころに交通事故に遭い,痛み止めの薬の依存症になった友達がいます。その後,彼女の両親は離婚しました。彼女は行きずりの恋で妊娠し,依存症を引きずっていました。しかしある晩,乱れに乱れた自分の生活を見詰めてこう考えたのです。「もう,うんざりだわ。」そして,救い主イエス・キリストに助けを叫び求めました。イエス・キリストの力は自分のひどい状況よりも強いことが分かったと,彼女は言っています。その力に頼りながら,悔い改めの道を歩むことができました。

主に立ち返り,主の道に戻ることによって,彼女は自分の人生と,息子たちの人生と,新しい夫の人生の流れを変えたのです。彼女は義にかなっており,過ちを犯したが変わりたいと願う人を寛大な心で受けとめています。彼女はわたしたち皆と同様,完璧な人ではありませんが,悔い改めて努力し続ける方法を知っているのです。

第2に,自分をしっかりと表現することです。自分をしっかりと表現するとは,あることについてどう感じているかを,その理由とともにはっきりと表現することです。今年になってから,キリスト教をさげすむ投稿がわたしのフェイスブックのページに書き込まれました。わたしは読んで少し不快になりましたが,受け流しました。ところが,末日聖徒ではない知り合いが,自分のフェイスブックに反対意見を投稿したのです。こんな文面です。「〔それは〕イエスの擁護されたことと真逆です。イエスのなさったことは当時としては過激でした。……万人を平等に扱われたのですから。売春婦〔に話しかけ〕,取税人と食事を共に〔し,〕……力のない女性や子供たちの……味方となり,〔そして,〕良いサマリヤ人の話をなさいました。……ですから,真のキリスト教徒〔とは,〕人を愛する努力を世界一している人たちだということになります。」これを読んだとき,「なぜわたしはこれを書かなかったのだろうか」と思いました。

自分が信じる理由を,わたしたち一人一人がもっとはっきりと表現する必要があります。イエス・キリストについてどう感じているか。なぜ教会員なのか。なぜモルモン書が聖典だと信じているのか。どこに平安を感じるのか。預言者が2017年の現在も語っていることがなぜ大切なのか。その人がほんとうに預言者であることがなぜ分かるのか。ソーシャルメディアであれ,友達と落ち着いて話すときであれ,孫とおしゃべりするときであれ,自分が知っていることや感じていることを,自分の言葉と自分の力でしっかりと表現してください。信じている理由やそれを知るようになった経緯,信仰とは何か,疑いたくなったときにそれをどう克服したか,イエス・キリストは自分にとってどんな存在なのかを話すのです。使徒ペテロが言ったように, 「彼らを恐れ……てはならない。ただ,心の中でキリストを主とあがめなさい。また,あなたがたのうちにある望みについて説明を求める人には,いつでも弁明のできる用意をしていなさい。」

第3に,異なっているということです。フロリダ州のパナマシティービーチで今年の7月に起こったことを話しましょう。夕方近くに,ロバータ・アースリーは,二人の息子が90メートル沖合いで悲鳴を上げているのを見つけました。強い流れに捉えられて沖に流されたのです。近くにいた夫婦が助けに行きましたが,彼らも流れにのまれてしまいました。アースリー家の人たちはおぼれそうな人たちを救うために次々に水に入り,あっという間に9人が引き波にさらわれてしまいました。

ロープもなく,ライフガードもいません。警察は救助艇の出動を要請しましたが,波にさらわれてから20分もたっており,海の中の人たちは疲れ果てて今にも沈みそうです。その様子を海岸で見ていた人たちの中に,ジェシカ・メイ・シモンズがいました。彼女の夫が人間の鎖を作ったらどうかと考え,海岸にいる人たちに協力を呼びかけました。数十人の人たちが手をつないで海に入って行きました。ジェシカはこう書いています。「人種も性別も異なる人たちが行動を起こし,見ず知らずの人たちを助ける様子は,まさに壮観でした。」80人から成る鎖は,おぼれかけている人たちのところに届いたのです。その驚くべき瞬間の写真を見てください。



海岸にいた人たちは皆,普通の救助方法しか思いつかず,手も足も出ない状態でした。しかし,一組の夫婦が,まったく異なる解決方法を一瞬にして思いついたのです。革新的なアイデアや創造性は霊的な賜物です。わたしたちは聖約を守るならば周りの文化や社会と異なる存在になることができますが,それは,霊感を受けて,異なる解決方法やアプローチ,異なる応用方法が分かるようになるということなのです。わたしたちは常に世の中になじんでいるわけではありませんが,良い意味で異なっていることが,困っている人にとって命綱になることもあるのです。

第4に,際立っているということです。際立っているとは,明らかにほかと違うという意味です。海岸にいたジェシカ・メイ・シモンズの話に戻ります。人間の鎖がどんどん伸びておぼれかけている人たちのところに届いたとき,彼女は救助できると思ったそうです。ジェシカ・メイは言います。「わたしは息継ぎなしで,たやすくオリンピックサイズのプールを泳ぎ切ることができます。〔引き波から抜け出る方法も知っていました。〕人間の鎖のところまで,〔おぼれかけている人を全員〕連れて来られることが分かっていたのです。」彼女は夫とともにボディボードをつかむと,人間の鎖に沿ってもう一人の人とともに,おぼれかけている人たちのもとへと泳いでいき,彼らを一人ずつ人間の鎖のところまで連れて帰りました。鎖を作っていた人たちは,彼らを手渡しで無事海岸に運んだのです。ジェシカには際立った技術がありました。引き波に流されずに泳ぐ方法を知っていたのです。

回復された福音は,明らかにほかと違います。わたしたちはそれに従うことによって際立った者にならなければなりません。ジェシカが泳ぐ練習をしたように,わたしたちは緊急事態に陥る前に福音に従った生活を練習しておく必要があります。そうすれば,だれかが流れにのまれたときには,ひるまずに助けるだけの力が身についていることでしょう。

最後に第5番目として,これまで話した1から4を楽しく行うことです。楽しくとは,何が起きても作り笑顔を絶やさないという意味ではありません。神の律法を守り,人々を成長させ,高めるという意味なのです。わたしたちが人々の成長を助け,重荷を持ち上げるときに,人生が祝福されます。それは試練ですら奪うことはできません。わたしは毎日目につく所に,ゴードン・B・ヒンクレー大管長の言葉の引用を貼ってあります。こんな言葉です。「悲観的,懐疑的な態度からは何も築くことはできません。楽観的に物事をとらえ,信仰をもって取り組むとき,物事は起こります。

幸せで楽観的な精神の例として,エルサという13歳の知り合いの少女のことを話しましょう。 彼女は,友達の住む町から2,900キロも離れたルイジアナ州バトンルージュに引っ越すことになりました。13歳で新しい土地に引っ越すのは簡単なことではありません。エルサが引っ越しに乗り気でないのもうなずけます。そこで父親が祝福を授けました。祝福をしているまさにそのときに母親の携帯が鳴りました。メールが来たのです。ルイジアナ州に住む若い女性たちが,「うちのワードに来てください」という言葉を添えて,こんな写真を送ってくれました。



その若い女性たちは楽観的で,まだ会ってもいないのにエルサのことが気に入ったようでした。彼女たちの熱意のおかげでエルサは引っ越しを楽観的に見ることができるようになり,すべてうまくいきますようにという彼女の祈りはこたえられました。

幸せで楽観的な態度が生み出すエネルギーは,自分に祝福を呼び込むだけでなく,周りにいる皆を成長させてくれます。人の心に真の幸せをともすようなささやかな行いをするということは,キンボール大管長がともしたたいまつをあなたがすでに手にしているということです。

キンボール大管長がその話をしたのは,わたしが15歳のときですから,今40歳以上の人は,その日以来,キンボール大管長のこのチャレンジを受けていることになります。さて,見渡すと8歳の子もいれば15歳の人もおり,20歳の人も35歳の人もいます。すべての皆さんに,わたしはこのたいまつを手渡します。皆さんは,この教会の未来の指導者です。このたいまつを掲げて進み,その預言を成就する責任は皆さんにあります。40歳以上の人たちは皆さんと手をつなぎ,皆さんの力と勢いを感じ取ります。わたしたちには皆さんが必要です。

教義と聖約第49章26節から28節に書かれた聖句に耳を傾けてください。当時は違う状況で書かれたのかもしれませんが,今晩は聖霊によって,皆さんがこれを神聖な業に対する自分への召しと捉えてくださるよう願っています。

見よ,わたしはあなたがたに言う。わたしがあなたがたに命じたように,出て行きなさい。あなたがたのすべての罪を悔い改めなさい。求めなさい。そうすれば,与えられるであろう。たたきなさい。そうすれば,開かれるであろう。

見よ,わたしはあなたがたの前を行き,またあなたがたのしんがりとなろう。わたしはあなたがたの中におり,あなたがたは打ち破られないであろう。

見よ,わたしはイエス・キリストである。 わたしはすぐに来る。

皆さん一人一人に切にお願いします。神が皆さんに対して持っておられる惜しみない愛を感じることのできる場所にいてください。その愛の届かない所に身を置いてはいけません。神の愛を感じ,神を愛するならば,皆さんは悔い改めて神の戒めを守るようになるでしょう。戒めを守るとき,神は皆さんを御業の中で用いられます。神の業と栄光は,女性と男性に昇栄と永遠の命をもたらすことです。

姉妹の皆さん,預言者はわたしたちに呼びかけています。皆さんは義にかなっていますか。自分の信仰をしっかりと表現していますか。際立ち,異なっていますか。試練を受けていても幸せであり,皆さんの友情を必要としている善良な人,気高い人を引き寄せていますか。自分の光をともしていますか。主イエス・キリストがわたしたちの前を行き,わたしたちの中におられることを証します。

深く愛する預言者トーマス・S・モンソン大管長の言葉で終えます。「愛する姉妹の皆さん,今こそあなたがたの時代,あなたがたの時です。」イエス・キリストの御名により,アーメン。

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※本日もお読みいただいてありがとうざいます。赤字は強調付加しています。

母の日おめでとうございます。

社会の中心は、女性の力だと感じます。
女性を大切に、女性が生き生きとした社会を作り上げましょう。
こうすることによって、男性の力は倍加されるのです。

---------------------2021年5月9日