イエス・キリストの福音をご紹介します。

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ルカによる福音書 2章

2021-12-24 22:48:01 | 日記
ルカによる福音ふくいんしょ
2章
1 そのころ、ぜん世界せかい人口じんこう調査ちょうさをせよとの勅令ちょくれいが、皇帝こうていアウグストからた。
2 これは、クレニオがシリヤの総督そうとくであったときおこなわれた最初さいしょ人口じんこう調査ちょうさであった。
3 人々ひとびとはみな登録とうろくをするために、それぞれ自分じぶんまちかえってった。
4 ヨセフもダビデの家系かけいであり、またその血統けっとうであったので、ガリラヤのまちナザレをて、ユダヤのベツレヘムというダビデのまちのぼってった。
5 それは、すでに身重みおもになっていたいいなづけのつまマリヤとともに、登録とうろくをするためであった。
6 ところが、かれらがベツレヘムに滞在たいざいしているあいだに、マリヤはつきちて、
7 初子ういごみ、ぬのにくるんで、飼葉かいばおけのなかかせた。客間きゃくまにはかれらのいる余地よちがなかったからである。
8 さて、この地方ちほう羊飼ひつじかいたちがよる野宿のじゅくしながらひつじれのばんをしていた。
9 するとしゅ御使みつかいあらわれ、しゅ栄光えいこうかれらをめぐりてらしたので、かれらは非常ひじょうおそれた。
10 御使みつかいった、「おそれるな。よ、すべてのたみあたえられるおおきなよろこびを、あなたがたにつたえる。
11 きょうダビデのまちに、あなたがたのために救主すくいぬしがおうまれになった。このかたこそしゅなるキリストである。
12 あなたがたは、おさぬのにくるまって飼葉かいばおけのなかかしてあるのをるであろう。それが、あなたがたにあたえられるしるしである」。
13 するとたちまち、おびただしいてん軍勢ぐんぜいあらわれ、御使みつかい一緒いっしょになってかみをさんびしてった、
14 「いとたかきところでは、かみ栄光えいこうがあるように、うえでは、みこころにかなう人々ひとびと平和へいわがあるように」。
15 御使みつかいたちがかれらをはなれててんかえったとき、羊飼ひつじかいたちは「さあ、ベツレヘムへって、しゅがおらせくださったその出来事できごとてこようではないか」と、たがいかたった。
16 そしていそいでって、マリヤとヨセフ、また飼葉かいばおけにかしてあるおささがしあてた。
17 かれらにったうえで、このについて自分じぶんたちにらされたことを、人々ひとびとつたえた。
18 人々ひとびとはみな、羊飼ひつじかいたちがはなしてくれたことをいて、不思議ふしぎおもった。
19 しかし、マリヤはこれらのことをことごとくこころめて、おもいめぐらしていた。
20 羊飼ひつじかいたちは、見聞みききしたことがなにもかも自分じぶんたちにかたられたとおりであったので、かみをあがめ、またさんびしながらかえってった。
21ぎ、割礼かつれいをほどこすときとなったので、受胎じゅたいのまえに御使みつかいげたとおり、おさをイエスとづけた。
22 それから、モーセの律法りっぽうによるかれらのきよめの期間きかんぎたとき、両親りょうしんおされてエルサレムへのぼった。
23 それはしゅ律法りっぽうに「ははたいはじめてひらおとこはみな、しゅせいべつされたものと、となえられねばならない」といてあるとおり、おさしゅにささげるためであり、
24 またおなしゅ律法りっぽうに、「やまばと一つがい、または、いえばとのひな二」とさだめてあるのにしたがって、犠牲ぎせいをささげるためであった。
25 そのとき、エルサレムにシメオンというひとがいた。このひとただしい信仰しんこうふかひとで、イスラエルのなぐさめられるのをのぞんでいた。また聖霊せいれいかれ宿やどっていた。
26 そしてしゅのつかわす救主すくいぬしうまではぬことはないと、聖霊せいれいしめしをけていた。
27 このひと御霊みたまかんじてみやにはいった。すると律法りっぽうさだめてあることをおこなうため、両親りょうしんもそのイエスをれてはいってきたので、
28 シメオンはおさうでいだき、かみをほめたたえてった、
29しゅよ、いまこそ、あなたはみ言葉ことばのとおりにこのしもべやすらかにらせてくださいます、
30 わたしのいまあなたのすくいたのですから。
31 このすくいはあなたが万民ばんみんのまえにおそなえになったもので、
32 異邦人いほうじんてら啓示けいじひかり、みたみイスラエルの栄光えいこうであります」。
33 ちちははとはおさについてこのようにかたられたことを、不思議ふしぎおもった。
34 するとシメオンはかれらをしゅくし、そしてははマリヤにった、「ごらんなさい、このおさは、イスラエルのおおくのひとたおれさせたりちあがらせたりするために、また反対はんたいけるしるしとして、さだめられています。――
35 そして、あなた自身じしんもつるぎでむねつらぬかれるでしょう。――それはおおくのひとこころにあるおもいが、あらわれるようになるためです」。
36 また、アセルぞくのパヌエルのむすめで、アンナというおんな預言者よげんしゃがいた。彼女かのじょ非常ひじょうとしをとっていた。むすめ時代じだいにとついで、七年間ねんかんだけおっとともみ、
37 そののちやもめぐらしをし、八十四さいになっていた。そしてみやはなれずによるひる断食だんじきいのりとをもってかみつかえていた。
38 この老女ろうじょも、ちょうどそのとき近寄ちかよってきて、かみ感謝かんしゃをささげ、そしてこのおさのことを、エルサレムのすくいのぞんでいるすべての人々ひとびとかたりきかせた。
39 両親りょうしんしゅ律法りっぽうどおりすべてのことをすませたので、ガリラヤへむかい、自分じぶんまちナザレにかえった。
40 おさは、ますます成長せいちょうしてつよくなり、知恵ちえち、そしてかみめぐみがそのうえにあった。
41 さて、イエスの両親りょうしんは、過越すぎこしまつりには毎年まいとしエルサレムへのぼっていた。
42 イエスが十二さいになったときも、慣例かんれいしたがってまつりのために上京じょうきょうした。
43 ところが、まつりおわってかえるとき、少年しょうねんイエスはエルサレムに居残いのこっておられたが、両親りょうしんはそれにづかなかった。
44 そして道連みちづれのなかにいることとおもいこんで、一にちってしまい、それから、親族しんぞく知人ちじんなかさがしはじめたが、
45 つからないので、さがしまわりながらエルサレムへ引返ひきかえした。
46 そして三のちに、イエスがみやなか教師きょうしたちのまんなかにすわって、かれらのはなしいたり質問しつもんしたりしておられるのをつけた。
47 人々ひとびとはみな、イエスのかしこさやそのこたえ驚嘆きょうたんしていた。
48 両親りょうしんはこれをおどろき、そしてははかれった、「どうしてこんなことをしてくれたのです。ごらんなさい、おとうさまもわたしも心配しんぱいして、あなたをさがしていたのです」。
49 するとイエスはわれた、「どうしておさがしになったのですか。わたしが自分じぶんちちいえにいるはずのことを、ごぞんじなかったのですか」。
50 しかし、両親りょうしんはそのかたられた言葉ことばさとることができなかった。
51 それからイエスは両親りょうしん一緒いっしょにナザレにくだってき、かれらにおつかえになった。はははこれらのことをみなこころめていた。
52 イエスはますます知恵ちえくわわり、たけもび、そしてかみひとからあいされた。

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欧米のクリスチャン家庭では、クリスマスに、読まれるといわれる ルカ書2章をご紹介しました。

「そして君たちにも分かるよ」

2021-12-24 22:40:04 | 日記
「そして君たちにも分かるよ」

大管長会クリスマス・ディボーショナル
デール・G・レンランド長老
十二使徒定員会
2021年12月5日(日曜日)
愛する兄弟姉妹の皆さん,わたしが子供のころ家族で過ごしたクリスマスは,両親の故郷の伝統の影響を強く受けたものでした。

母はスウェーデンから,父はフィンランドからアメリカへの移民でした。

わたしたちはクリスマスに備え,手作りのオーナメントでクリスマスツリーを飾り,母はお菓子を焼き続けました。

恐らく彼女はクレーグ姉妹のラングレンおばあさんと親戚です。

我が家のクリスマスイブのお祝いは,母が作った盛大な伝統料理のごちそうで始まりました。

ミートボール,ライスプディング,そしてたくさんのパンとケーキとクッキーが準備されていました。

クリスマスイブのお祝いの締めくくりには,すべての子供にプレゼントを持って来るユールトムテン,つまりサンタ・クロースがやってきました。

しかしユールトムテンが来る前に,母はいつもわたしのきょうだいを集め,父は新約聖書のクリスマスの話を読み聞かせてくれました。

父はもの静かな人で,母国語でも,大人になってから学んだ英語でも,口数の少ない人でした。父は不器用なほど正直で,大げさに褒めたりはしませんでしたし,奇抜なことを言ったり,話に尾ひれをつけることもありませんでした。

クリスマスイブには,ルカ2章を読んでくれました。

父は,ヨセフとマリヤがベツレヘムに旅し,天使が羊飼いに現れ,イエスがお生まれになり,マリヤが出来事を心の中で思い巡らしたことについて読み聞かせてくれました。

しかし,父は19節で読むのをやめず,さらに,マリヤとヨセフが赤ちゃんのイエスをエルサレムの神殿に連れて行き,モーセの律法の従ってささげものをしたところまで読み聞かせてくれました。

こうです。

その時,エルサレムにシメオンという名の人がいた。

そして主のつかわす救主に会うまでは死ぬことはないと,聖霊の示しを受けていた。

この人が御霊に感じて宮にはいった。

すると律法に定めてあることを行うため,〔マリヤとヨセフ]もその子イエスを連れてはいってきたので,
シメオンは幼子を腕に抱き、神をほめたたえて言った、

主よ,今こそ,あなたはみ言葉のとおりにこの僕を安らかに去らせてくださいます,
わたしの目が今あなたの救を見たのですから。
この救はあなたが万民のまえにお備えになったもので……あります』。

父は,いつもここで話を止めて証をしました。

「わたしは赤ん坊のイエスを腕に抱けないかもしれないけれど,シメオンと同じようにその赤ん坊が神の御子であり,わたしの救い主,贖い主であると知っているよ。主は実際に生きておられるんだ。」

と訛りの強い英語でいつものように短く述べました。

この宣言の後,父は鋭い水色の目でわたしたちを一人一人見つめ,深くうなずきながら「君たちにも分かるよ」と言うのでした。

両親は,ベツレヘムのその赤ん坊がどなたで,その御方がやがて何を成し遂げられるかを知っていました。

この知識により,両親は変わりました。

両親は,子供たちが自分たち両親の言葉を信じるだけでなく,自分で主を知って同じように変わることを願っていました。

両親の証に促され,わたしは「自分も知る」ことを願いながら聖約の道を歩み始めました。

わたしは11歳のとき,家族でスウェーデンのヨーテボリに住んでいました。

あるとき,伝道部会長はすべての青少年に,モルモン書を読むよう勧めました。

厳密に言うとわたしは対象ではありませんでしたが,兄は当時執事で,その勧めを受け入れました。

わたしはいつも兄にあこがれ,兄のまねをしていたので,モルモン書を読むことにしました。

両親が子供たちに1冊ずつ聖典をくれたので,わたしは毎晩読み始めました。

数か月後,伝道部会長会顧問だったヨースタ・マーム会長は,モルモン書を読んでいる青少年に,それが真実かどうか神に尋ねるよう勧めました。

わたしはそうすることにしました。

その晩,兄が寝入るのを待って,ベッドから出て,冷たい床にひざまずき,祈り始めました。

すぐに,「モルモン書は真実だとずっとあなたに語りかけてきましたよ」と言われたように感じ,言葉で言い表せないほどの平安に包まれました。

わたしは聖霊の力によって,モルモン書が真実であることを知ったのです。

モルモン書の序文で約束されているように,わたしも「〔聖霊の力〕によって,イエス・キリストが世の救い主であられ,ジョセフ・スミスがこの終わりの時代の主の預言者であることを,そして末日聖徒イエス・キリスト教会が,メシヤの再臨に先立って地上に再び設立された主の王国であることを知〔った〕」のです。

その知識と,その後得た証により,わたしは両親と同じように変わりました。

この知識,つまり「イエス・キリストが神の子であり,世の罪のために十字架につけられた」という知識は,霊的な賜物です。

.この賜物は,特定の神権の職や性別を持つ人に与えられるるのではなく,それにふさわしいすべての人に与えられます。

このすばらしい霊的な賜物をいただくために求められているのは,救い主に金や乳香や没薬を差し上げることではなく,自分自身をささげることです。

モルモン書の預言者アマレカイは,このように民に懇願しました。

「ところで……わたしはあなたがたがイスラエルの聖者であるキリストのもとに来て,キリストの救いと,キリストの贖いの力にあずかるように望んでいる。

キリストのもとに来て,自分自身をキリストへのささげ物としてささげ……なさい。

そうすれば,主が生きておられるように確かに,あなたがたは救われるであろう。」

わたしは,両親が人に仕えるのを見て育ちました。

神と交わした聖約を守る姿を見ました。

ホームティーチングと家庭訪問を熱心に行い,人に仕えようと努めるのを見ました。

神殿の儀式に携わり,教会の召しを受け入れるのを見ました。

毎年クリスマスイブには,父がシメオンとともに救い主について証をしてくれました。

何年にもわたって,父は義理の家族や孫たちにも,「自分で知る」よう招きました。

少年のころのモルモン書に関する経験から何十年もたったころ,わたしは中央幹部七十人に召され,総大会で話すよう割り当てを受けました。

姉たちは,92歳の父が総大会,中でもわたしの話を見れるように取り計らってくれました。

総大会の後,わたしは父の家に行き,尋ねました。

「お父さん,総大会を見た?」

父は「ああ」と答えました。

「わたしの話も聞いた?」と尋ねると,父は「ああ」と答えました。

少しいらだって,わたしは思わず「で,どうだった?」と聞きました。

父はこう言いました。

「ああ,悪くなかった。まぁ,誇りに思うよ。」

長い沈黙の後,父はこう言いました。

「デール,伝えておきたいことがある。」

わたしが父から誉め言葉を引き出そうとしていたときに,父はそれよりもずっと大切な考え事をしていたのです。

父はこう続けました。

「昨晩,夢を見たんだ。自分が死んで,救い主にお会いした夢だ。主はわたしを抱き締めて,わたしの罪が赦されたと言ってくださった。とてもいい気持ちだったよ。」

父の言葉はそれだけでした。

しかし,父の表情がすべてを物語っていました。

父はイエス・キリストを知っていたのです。

「ますます知恵が加わり,背たけも伸び,そして神と人から愛された」ベツレヘムのそのみどりごが,父の救いであり,神の御子が成長して父の罪を贖ってくださったことを,父は知っていたのです。

しかも,その夢を見るずっと前からそのことを知っていました。

その夢は,愛に満ちた天の御父から,2か月後に亡くなることになる年老いた男性への賜物だったのです。

わたしがもらったクリスマスの贈り物の中で最も大切にしているのは,両親が模範を示してくれた証と信仰の賜物です。

今年のクリスマス,世の救い主が実際に生きておられることを知るという霊的な賜物を天の御父に求めてください。

クリスマスの季節は,主の生涯について研究し,主の人格と属性に倣おうと努力するのに最も美しく,自然な時期です。

そうするときに,イエスがキリストであり,神の御子であり,あなたの罪を贖ってくださったことを知ることができます。

この賜物はあなた自身を変えることができるので,ユールトムテンがクリスマスイブに持って来るどの贈り物よりもよい贈り物で,長持ちします。

救い主は喜んでわたしたちが修復できないものを直してくださり,癒せない傷を癒してくださり,直せないほど壊れてしまったものを直してくださり,粉々になってしまった心にさえ永続する癒しを与えてくださるのです。

父と同じようにわたしも赤ん坊のイエスを腕に抱けませんが,シメオンと同じように,その幼子が神の御子であり,わたしの救い主であり皆さんの救い主であること,またわたしの贖い主であり皆さんの贖い主であられることを知っています。

主が実在し生きておられることを,あなたも知ることができます。

イエス・キリストの御名により,アーメン。

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このお話は、末日聖徒イエス・キリスト教会 2021年 大管長会クリスマス・ディボーショナルから、ご紹介しました。

赤字青字は、付加しています。
段落は、変更しています。

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主が実在し生きておられることを,あなたも知ることができます。

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He is real, and He lives. And you can know it too.

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祂是真實的,祂活著。你也能知道這件事。

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祂是真实的,祂活着。你也能知道这件事。

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(〔主語述語主語[+‘’]+述語),主語述語主語+‘’+述語)〕の並列複文に用い)…は…が…であるし,…もまた…である.


用例
【Weblio中国語辞典から】引用しました。

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今日もお読みいただいて、ありがとうございます。

良いクリスマスをお祈りします。


平和をつくり出す人たちは,さいわいである

2021-12-24 05:06:34 | 日記
平和をつくり出す人たちは,さいわいである

2021年大管長会クリスマス・ディボーショナル
W・マーク・バセット長老
七十人
2021年12月5日(日曜日)
クリスマスを祝い始めるに当たり,わたしたちの愛する大管長会は再び,わたしたちが一つに集まるよう招いてくれました。

国によって伝統や慣習の違いがあっても,わたしたちの救い主イエス・キリストを共に礼拝し,2千年以上前の主の生誕を祝うために集まる祝福が与えられたことに,わたしたちは感謝しています。

多くの家庭同様,バセット家のクリスマスの伝統の一つは,降誕劇を演じることです。

イザヤやルカ,マタイ,ニーファイ,モルモンの言葉を読み,クリスマスの音楽と,マリヤ,ヨセフ,幼子イエスの役を演じることは,霊感あふれる霊的な経験でしたが,いつもそうだったわけではありません。

ある年のクリスマスイブには,羊役の小さな子供たちの群れが,赤ちゃんの泣き声の大合唱に変わりました。ほかの羊飼いや天使,しまいには布で包まれた幼子にも,すぐに騒ぎが広がっていきました。

次の年のクリスマスには,羊の群れはありませんでした。なぜか羊が悲しくて怖いものだと思われたせいか,怖がってだれも羊飼いをやりたがりませんでした。

羊飼いの杖がライトセーバーになった年もあれば,博士や天使の代わりにハロウィーンの衣装を着た恐竜やイルカになりたがった年もありました。

しかし,最も印象に残っている降誕劇は,高くて不安定な所に置かれた飼い葉おけにいた生まれたばかりの赤ちゃんが,そこからころげ落ち,あともう少しで石の暖炉にぶつかるぎりぎりの所でキャッチされたときのものでしょう。ダイビングキャッチをしたのはわたしでしたが,赤ちゃんが落ちる原因を作り出したのもわたしでした。

わたしたちの降誕劇は,聖し,この夜ではなく「混乱の飼い葉おけ」とでも呼べたでしょう。わたしはクリスマスの季節が巡ってくる度に,平安を確かに招くほかのクリスマスの伝統を試すべきかよく考えたと言わなければなりません。

平安,それはクリスマスの季節だけではなく,わたしたちが常に切望する甘くて希望に満ちた状態のことです。

しかし今,世界では平安を見つけるのがどんどん難しくなっているような気がします。

教義と聖約を今年勉強していて,わたしたちの時代を説明している啓示を思い出しました。

その日……全地が混乱し,人々は気落ちするだろう。

この混乱する世にあって,わたしたちはどこに大いなる平安を見いだすことができるでしょうか。

ラッセル・M・ネルソン大管長は次のように教えています。

イエス・キリストの福音はまさしく,この混乱した,争いの多い,疲弊した世界に必要とされているものです。

神の子供たちはそれぞれ,イエス・キリストの癒しと贖いのメッセージを聞いて受け入れる機会を与えられて然るべきです。わたしたちの幸福にとって,これほど重要なメッセージはありません。—今も永遠にもです。

回復のメッセージは,クリスマスのメッセージなのです。

羊飼いを飼い葉おけの幼子のもとへと導いた星の輝きは,ジョセフに降り注いできた光の柱に似ています。

どちらも,キリストを世界に告げ知らせる喜ばしい知らせの前に起きた出来事です。

混乱するわたしたちの時代にあてたイザヤのメッセージは引き続き,次のものです。

ひとりのみどりごがわれわれのために生れた,ひとりの男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり,その名は,『霊妙なる議士,大能の神,とこしえの父,平和の君』ととなえられる。

クエンティン・L・クック長老はこう教えました。

わたしたちの主であり救い主であられるイエス・キリストの最も愛された名称の一つは,『平和の君』[イザヤ9:6]です。主の王国は……確立され,そこには平和と愛が広がっているでしょう。

今年ルカの言葉を読むときには,ぜひ「おびただしい天の軍勢が現れ……いと高きところでは,神に栄光があるように,地の上では,み心にかなう人々に平和があるように」と言った言葉について考えてください。

わたしはこの言葉について深く考えてきて,この言葉が「今地上には平和がある」という宣言であると捉えても良いと思いました。

天の軍勢は「平和が来られた」と叫んだかもしれません。

文字どおり,あの夜の粗末な馬小屋に,「平和の君」御自身が降誕されたのです。

最初のクリスマスの日に,天からの御使いたちが平和が訪れたことを宣言したのです。

それよりも前にヤコブはこう宣言しました。

わたしたちがキリストのことを知っていたということと,キリストの来臨の何百年も前にキリストの栄光を待ち望んでいたこと,また,わたしたちばかりでなく,前の時代の聖なる預言者もすべてキリストの栄光を待ち望んでいたことを,彼らが知ることができるようにするためである。

そしてまたイザヤはわたしたちの時代のことについて預言し,こう書き記しました。

よきおとずれを伝え,平和を告げ〔る〕……者の足は山にあって,なんと麗しいことだろうか。

この平和を告げる麗しい人とは,だれのことでしょうか。

救い主はガリラヤとバウンティフルの地でこう宣言されました。

平和をつくり出す人たちは,さいわいである,彼らは神の子と呼ばれるであろう。

さらに,ベニヤミン王はこう教えました。

さて,あなたがたが交わした聖約のために,あなたがたはキリストの子と呼ばれ,キリストの息子および娘と呼ばれる。見よ,それは,今日キリストが霊的にあなたがたを子としてもうけられたからである。あなたがたは,キリストの御名を信じて心が改まったと言う。だから,あなたがたはキリストから生まれ,キリストの息子および娘となったのである。

皆さんとわたしは,一人一人がイエス・キリストの聖約の子供です。

平和をつくり出す人は神の子であると主が言われたことを忘れないでください。

それゆえ,神の子供であるわたしたちは,平和をつくり出す人になるのです。

それがわたしたちの聖約の義務です。

対面であってもオンラインであっても,わたしたちが家庭で,集会所で,地域で,そして世界中で,親切,善い行い,良い言葉によって平和をつくり出す人になろうと努めるときに,この混乱した世界に良い影響をもたらすのです。

言葉と行いで主を証するなかで,信仰を持って「平和を告げ」ようではありませんか。


ルカによる福音書から再び読みます。

御使たちが彼らを離れて天に帰ったとき,羊飼たちは『さあ,ベツレヘムへ行って,主がお知らせ下さったその出来事を見てこようではないか』と,互に語り合った。

そして急いで行って,マリヤとヨセフ,また飼葉おけに寝かしてある幼子を捜しあてた。

彼らに会った上で,この子について自分たちに告げ知らされた事を,人々に伝えた。

同様に,「〔わたしたちも〕行って,……この子について人々に伝え〔よう〕」ではありませんか。

これこそが,わたしたちの宣教師がわたしたちの愛する人や友人に教えているメッセージなのです。

これこそが,奉仕宣教師が救い主のように奉仕するときに分かち合っている生きたメッセージなのです。

これこそが,わたしたちがイエス・キリストの良き知らせから来る希望と平安を感じるよう,周囲の人々を愛し,分かち合い,招くときに宣言しているメッセージなのです。

では,バセット家が混沌とした状況下で毎年行ったクリスマスの降誕劇に戻りましょう。

どうしてわたしたちはこの伝統を続けることにこだわったのでしょうか。

どうして子供たちに,天使が胸躍る喜びの知らせを持ってやって来たあの美しい夜の出来事を演じるよう,子供たちと孫たちに勧めてきたのでしょうか。

その答えは簡潔で喜ばしいものです。

わたしたちはキリストのことを話し,キリストのことを喜び,キリストのことを説教し,キリストのことを預言し,また,どこに罪の赦しを求めればよいかを,わたしたちの子孫に知らせるために,自分たちの預言したことを書き記すのである。

確かに今は,全地が混乱し,人々は気落ちしています。

しかしたとえ試練,逆境,混乱に直面していても,わたしたち自身と周囲の人を平和の君であられる主,救い主,贖い主,イエス・キリストの再臨に備える中で,いつでも,特にこのクリスマスの季節に,平和を告げ続けましょう。

ネルソン大管長の言葉を繰り返します。

神の子供たちはそれぞれ,イエス・キリストの癒しと贖いのメッセージを聞いて受け入れる機会を与えられて然るべきです。

救い主の降誕とその生涯,そして使命を祝うこのクリスマスの季節や,またどんなときでも,わたしたちが平和を告げ知らせる者となれますように。

イエス・キリストの御名により祈ります,アーメン。

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このお話は、末日聖徒イエス・キリスト教会2021年大管長会クリスマスデボーショナルから、ご紹介しました。

https://youtu.be/mCfDZu4OkoU

赤字青字は追加しています。
段落は、変更しています。

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イエス・キリストの福音はまさしく,この混乱した,争いの多い,疲弊した世界に必要とされているものです。

神の子供たちはそれぞれ,イエス・キリストの癒しと贖いのメッセージを聞いて受け入れる機会を与えられて然るべきです。わたしたちの幸福にとって,これほど重要なメッセージはありません。—今も永遠にもです。

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The gospel of Jesus Christ is exactly what is needed in this confused, contentious, and weary world.

Each of God’s children deserves the opportunity to hear and accept the healing, redeeming message of Jesus Christ. No other message is more vital to our happiness—now and forever.

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耶穌基督的福音正是這個困惑、紛爭和疲憊的世界所需要的。

神的每個孩子,都應當有機會聆聽和接受耶穌基督的醫治與救贖的信息。沒有其他的信息比這更攸關我們的幸福,無論是現在或永恆的祝福。
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耶稣基督的福音正是这个困惑、纷争和疲惫的世界所需要的。

神的每个孩子,都应当有机会聆听和接受耶稣基督的医治与救赎的信息。没有其他的信息比这更攸关我们的幸福,无论是现在或永恒的祝福。

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本日もお読みいただいて、ありがとうございます。

イエス・キリストの福音は、この暗闇の世界から、私達を平和の光の世界へと導き出してくれます。

このクリスマスのメッセージが、世界中に告げ拡げられますように。

良いクリスマスをお祈りします。

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