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病の日々を平気で生きようとした正岡子規
その著書「病牀六尺」にある有名な言葉
余は今まで禅宗のいわゆる悟りという事を誤解していた。悟りという事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思っていたのは間違いで、悟りという事は如何なる場合にも平気で生きている事であった
必ず死ぬという事を知っている私たち
死ぬまでその苦しみから逃れられないことも知っている
だから正岡子規が言う「平気で生きる」ことがどれほど難しいことか
将来平穏で生きることができる人なんてあり得ない
死に向かう同じ船に乗り、日々不安と戦いながら同じ時代を生きる私たち
人に抜きん出ようが抜きん出まいが、根底にその感情がうごめく限り、誰もが不安と共にいきるのだろう
不安があって当たり前、誰も彼も皆不安を抱えたまま生き続けている
釈迦も生きるとは苦しみと言っていたと思うが、逃げられない苦しみから目を逸らすことは考えず、今日も1日生ききろうと思う朝の一瞬
そのための宗教でありそのための道徳
難しく考えず、日々の生活に死や宗教への意識を取り入れつつ毎日過ごしていこうと思った次第!
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