
今日は友人と18km
井の頭公園から高田馬場まで歩きました。
写真は神田川と善福寺川の合流するところです。
天気もよくて、楽しい一日を過ごすことができました。
吉本先生の本を読んで、私もフムフムと思ったこと
子どもがいじめられて、、
死んだ
そんなことがあったら、
自分だと、
自身の責任だと思うだろうなぁ
でも、
自分の行動を棚に上げ、修身道徳で傍観する親もいる
自殺した自分の子とカウンセラーとの交流記録を知りたいとか、
ん?
子どもをなめてる?
こんな親と一緒にいたくないと思うの、
自分のことを親に相談できなかったの、
なんかわかる!
子どもは囚人、
親や先生の
子どもが死んで、いじめ相手に処罰を願うって、
軽いから重くしろって、、
それも他人ではなくその子の親が、、
自分は高いところにいて、
汚れずに誰かにそれをやってもらうって、
自分は動かず第三者に頼るって、
親が野次馬でどうするんだろ?
親子の距離感もそう、
親も子どもも、
お互い真剣に関わりながら、少しずつ学んでいく
時にはじゃれあい
時には反発して
そのギリギリを探りつつ家族になっていく
親子でも、とにかく関わり続けないとその距離感を計るのは無理
社会に出る前に、家族で人との距離感を勉強して世界に羽ばたく
子どもを、
守るところはしっかり守ってあげる、
委ねる時は全てを委ねてあげる
最終決断は子ども自身がした、
そんな気持ちになってくれれば万々歳!
過干渉でもなく放任でもなく、
過干渉であり放任であり
子育てなんて、何が正解かはわからない、
子どもによって感受性が違うから、
親も手探り、子も手探り
そのいい塩梅は、小さいときから地道にかかわることでしか窺い知れない
子どもが増えるとね、
お兄ちゃんでうまく行ったことがチビには通じない、
そういうことがたくさんある
ただ、
下の子は、お兄ちゃんお姉ちゃんの距離感からも学ぶ
小さい時から兄弟の中で育つので、
親が一から十までやらなくてよいのは楽かもしれない
まあ、そんなこんなで、
生き方の基本は家で学ぶ
その集大成の一つに自殺とかがある
それを行使する最悪を学んでいるかどうか
この世に生まれた動物の一人として、死ぬまで生き続けなければいけないという無茶苦茶きつい「苦しみ」とともに生き続けなければいけないのが私たち
その苦しみから安易に自らの意思で離れるわけだ、
許されるわけがない
それを許す年長者も許されるわけがない
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