職場に近い今の自宅に引っ越して一年になります。旧宅は神社の森に接していたので、庭には野花が豊かに自生して、ちょうど今ごろツユクサの花が咲きはじめているはずだ、などと思いを馳せてしまいます。自然に恵まれた環境で子育てをしたことは、今から思い返して親子ともども大きな恩恵を受けたと思っています。
早寝して子はみづからの歳月を生き始めをり夜の露草
(高野公彦『天泣』)
朝に花を咲かせ、昼を待たずに萎んでしまうツユクサは、夜見かけると早寝をした子のように映るのでしょう。明日の朝元気に花を咲かせるための準備をしている健気な様子を見守る姿が、子を思う親心に重なります。
我が家の双子の娘たちは、この夏、就活セミナーや企業インターンで忙しいらしく、ようやく盆休みが数日とれる予定なのだそうです。早寝こそしていませんが、子らは「みづからの歳月」をたしかに生き始めています。今年の夏が最後の家族旅行になるかもしれないなどと考える、親の感傷とは無縁のようです。そうしてみると、朝咲いてその日のうちに萎んでしまう花のはかなさは、子育ての時期の短かささえ思い起こさせます。
さて、ツユクサは、つぼみを包むように葉が変化した「苞葉(ほうよう)」という器官の中にたくさんの花を仕込んでいて、今日萎んだ花とは別の新しい花を明日咲かせるのだそうです。はかなさと見えるもののうちには、思いもかけぬしたたかさが潜んでいるのです。親の感傷など乗り越えて独り立ちしようとする、子らのしたたかさにも通じるように思います。
子らもこれから、挫折や失敗を重ねながらみずからの道を模索して行きます。彼女らの「苞葉」に多くの花が潜んでいることを信じて、ひとつがダメなら、次の花を咲かせばいいじゃないかと、そんな言葉をかけられるようになれば、親もしたたかさを身につけることができるのでしょう。そのときにようやく子離れができるのではないかと思います。