2月のお茶の稽古は「大炉」のお点前です。通常の炉より4寸大きな作りで、師匠のお宅では炉の対角線に位置する場所に設えてあります。
大炉を発案したのは、幕末から明治期に生きた裏千家十一代玄々斎です。外国人を迎えるための立礼の茶礼を創案したことでも知られています。大炉は、厳寒のなか宮中の大事な方を宗家にお招きした際、小間で濃茶を差し上げた後、次の間に囲炉裏を模した大炉を切って、薄茶を差し上げたことに始まるのだそうです。炉が大きいだけではなく、釜も通常より大きめの広口をかけ、部屋全体が早く暖かくなるので、寒さの厳しい2月の設えとして定着しました。
炉の切り方が「逆勝手」のため、お点前も通常の炉とは左右逆になるところが、大炉の難しいところです。普段は左腰に付ける袱紗も右腰に付け、足運びも左右逆になり、道具の配置も微妙に異なるので、頭は大いに混乱します。
お点前は頭ではなく身体が覚えているものなので、身体の記憶に逆らうことは、稽古を積んだベテランほど難しいものになるようです。本勝手の「逆」だと思うと、かえって手足が固まってしまいます。身体の記憶を一度ほどいて、「炉」と「客」と「道具」の配置から、もっとも無理のない動きを組み立て直すように心がけると、自然に身体が動くように感じました。
そう言えば、情報は人間の内部にはなく、われわれを包囲する環境のなかにあって、それを探索することが、人間の認識を支えているのだ、という「アフォーダンス」という概念があります。第2次世界大戦中、空軍の知覚研究プロジェクトに参加したジェームズ・ギブソンは、パイロットの驚くべき認識能力から、そのような結論に達したと言います。
頭の中で受け取った情報を処理し加工した結果を身体に出力すると考えるのではなく、みずからを包囲する環境に情報を「探索」していると考えなければ、計器に頼らずに視覚だけで正確に着陸したり、アクロバット飛行をこなす能力を説明できないのだそうです。
話が脇道に逸れてしまいました。
一年のうちに2月にしかできない大炉の稽古です。床の間には、つぼみをたくさん付けた梅花が香り立っており、気持ちの引き締まる難しいお点前と、ちょうど響き合うような佇まいです。
掛軸は「鉄樹花開二月春」(てつじゅはなひらく にがつのはる)でした。
どんなに厳しい状況にあっても、今果たすべき務めをきちんとしていれば、花咲く春は必ずやってくるという禅語です。
玄侑宗久さんが書いていましたが、梅は儒教的な印象が強い花です。剪定が欠かせず、寒いほど香りが強くなるところから、鍛えるほどに美しくなるというイメージが湧いてきます。鍛えられて「鉄樹」のようにごつごつした幹に、清廉な香りを放つ花をつけるのです。
この時期にしかできないお点前に、社中全員が熱心に取り組み、稽古は陽が傾き始めるまで続きました。