河合隼雄のエッセイ集『物語とたましい』(平凡社)のなかに、子ども時代、少年倶楽部あたりで読んだ話で、河合の心のなかにずっと残っているという話が紹介されています。おそらく多くの人にとっても、印象に残る話だと思うので、少し長くなりますが引用します。
何人かの人が漁船で海釣りに出かけ、夢中になっているうちに、みるみる夕闇が迫り暗くなってしまった。あわてて帰りかけたが潮の流れが変わったのか混乱してしまって、方角がわからなくなり、そのうち暗闇になってしまい、都合の悪いことに月も出ない。必死になって灯をかかげて方角を知ろうとするが見当がつかない。
そのうち、一同のなかの知恵のある人が、灯を消せと言う、不思議に思いつつ気迫に押されて消してしまうと、あたりは真の闇である。しかし、目がだんだんとなれてくると、まったくの闇と思っていたのに、遠くの方に浜の町の明かりのために、そちらの方が、ぼうーと明るくみえてきた。そこで帰るべき方角がわかり無事に帰ってきた、というのである。(前掲書 50頁)
河合隼雄はこの話に続けて、不登校の子どものカウンセリングで、ある者は「過保護に育てたのが悪い」と言いい、ある者は「子どもには甘えが大切だ」と言って、ついには子どもはかえって良くない方向に進んでしまった事例を紹介しています。過保護はいけないという考えも、甘えさせることが大切という意見も、それぞれ間違いとは言えないけれど、それらは「目先を照らす灯」のようなものではないか、と河合は言います。一度、それらの灯を消して、闇のなかで落ち着いて目をこらすことが大事なのではないかと。
そうすると、闇だと思っていたものの中から「本当に子どもが望んでいるのは何なのか」「いったい子どもを愛するということはどういうことなのか」がだんだんとわかってくると言うのです。ちょうど、暗闇のなかから、ぼうーと光が見えてくるように。
話は少し外れますが、私自身、哀しくて眠られぬ夜にじっと天井の暗闇を眺めていて、やがて夜明けの薄明かりに救われた思いがしたことがあります。山中鹿之介が三日月に向かって「我に艱難辛苦を与えたまえ」と祈ったことなどが唐突に頭に浮かんできて、気持ちがフッと楽になりました。
尼子家再興の悲願を成就すべく奔走した山中鹿之介は、壮絶な敗北と再起の繰り返しの人生を全うしました。常に火を灯していては、おそらく再起するエネルギーが湧かないほどに、道は険しかったのだと思います。灯を消して闇を見つめるうちに三日月を見出して、再起の力と羅針盤とをようやく得ることができたのだろうと、我が身に照らして想像します。
河合隼雄の言う、闇の中から「ぼうーと見えてくる光」とは、そうしてみると必ずしも明るいばかりの希望の光ではないのだとも思うのです。それがなければ、立ち上がれない人にのみ見える、蜘蛛の糸のようなものではないかと。
(写真は杉本貴志展 水の茶室・鉄の茶室 https://superpotato.jp/ja/works/ を借用しました)