昨日の茶道の稽古場に、社中のひとりが小さなお孫さんを連れてきていました。これから「盆略点前」のお稽古をするのだそうです。
玄関には可愛らしい花柄のサンダルがきれいに揃えられていて、社中の皆の微笑みを誘っていました。私はうちの玄関にも、あんなサンダルが十数年前には、いつも2足並んでいたのだとも思い、懐かしく感じます。
わが家の双子の娘たちは遅くに授かったこともあって、人に娘の話をするときには「まだ何歳」と言い添えていました。しかし就活も終えた彼女らは、来年からの新社会人としての夢を昨夜語っていて、いつの間にか「もう22歳」になろうとしています。これは父親にとって改めて驚きでもあります。
きのふまで吾が衣でにとりすがり父よ父よといひてしものを
今どきの家族思いの父親が詠んでいても不思議ではない歌ですが、これは幕末の福井の国学者で歌人、橘曙覧(たちばなあけみ)の一首です。安政の大獄で謹慎中の松平春嶽の命を受け、『万葉集』の秀歌を選んだ人です。
この歌は成長した娘を見て感慨にふけったものではなく、長女、次女を生後間も無く失い、ようやく4歳まで育った三女を天然痘で亡くした悲しみを詠んだ歌なのだそうです。橘は明治維新の年に亡くなっているので、幕末の激動期に詠まれた歌だとすると、この人の心を支えた子への思いに打たれる思いがします。
ところで父の日の今日、わが家の娘たちから、プレゼントをもらいました。きっと時間をかけて選んでくれたものなのだと分かる品でした。「父よ父よ」と言ってまとわりついていた子が大人になったのだと、ここでも改めて感じるのです。
世の娘半分は父を嫌うとぞ猫を撫でつつ答へむとせず
(宮地伸一)
世の中の娘の半分は父親が嫌いなのだそうだ、と猫を撫でつつ呟いてみるが、答えは返ってこないという切ない歌です。
私自身もそうではないとは言い切れない一抹の恐ろしさはありますが、幕末の歌人を支えた「いとおしさ」が自分にとっても疑いのないものであれば、それでよいではないかとも思います。