犀のように歩め

この言葉は鶴見俊輔さんに教えられました。自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ、という意味です。

水を掬すれば月手に在り

2023-09-15 19:03:05 | 日記

掬水月在手(水を掬すれば月手に在り)
弄花香満衣(花を弄すれば香り衣に満つ)

どちらの句を読んでも贅沢な気持ちに満たされるのですが、月を詠んだ前段の句が、私は特に好きです。両手でひとすくいした水に、思いもかけず月が浮かんでいるのに気づく、その一瞬の驚き。
我が家では、この軸を飾り、名月の季節を迎えるようにしています。

出典である唐の詩人于良史(うりょうし)の「春山夜月」と題した五言律句を読むと、改めて懐深い自然に包まれる心地がします。

春山勝事多し 賞翫して夜帰るを忘る
水を掬すれば月手に在り 花を弄すれば香り衣に満つ
興来らば遠近無く 芳菲を惜しんで去かんとす
南に鳴鐘の処を望めば 楼台は翠微に深し

 以下が、詩の大意です。

春の山は素晴らしいことが多いので、それらを愛でていると日が暮れても家に帰ることを忘れてしまう。/川の水を手ですくえば月が手中に在り、花にふれれば香りが衣に満ちあふれる。/興が乗れば遠く近くにかかわらず、芳しい花の香を惜しんで何処までも行きたいと思う。/鐘の音が聞こえる南方を望めば、楼台は山の中腹に隠れている。

この世の中は豊かさで満ちている。私たちはその限りない豊かさに驚きとともに包まれているのだ。そう思ってこの詩の世界に浸っていると、誰に対するともしれない感謝の気持ちが湧き上がってきます。

禅語の解釈では、水を掬った掌の中にも、花の香りが移った衣にも、春の美しさが宿るように、ひとしく仏性は宿るのだと説かれるのが通例です。だからその時々の「気付き」が大切なのだと。
しかし、そのように解してしまっては、溢れるばかりの贅沢さが減じてしまうように思います。

掌中の月は水を掬った瞬間に驚きとともに現れ、花の香りは戸惑うほどに衣に漂い続けていて、それは仏性や何かのたとえ話などではありません。月の影や花の香りに対する畏れや、愛おしさや、そしてこの瞬間のかけがえのなさが、色褪せることなく、ここにあります。
                                   (2013年記事の修正再録です)


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